第231話:過保護すぎるSランク警備網、中学生の日常とドッジボールの死闘
東京の閑静な住宅街にある、ごく普通の中学校。
その二年B組の教室で、如月拓也は、死んだ魚のような目をして黒板を見つめていた。
数学の教師が、チョークでカツカツと図形の問題を書き込んでいる。
平和な授業風景だ。
しかし、拓也の意識は黒板には全く向いていなかった。彼の神経は、窓の外からヒリヒリと突き刺さってくる『異常なプレッシャー』に全集中させられていたのだ。
(……まだいる。三時間目になっても、まだぶら下がってるよ、あの人……)
拓也がチラリと窓の外に視線を向けると、校庭の端にある巨大な桜の木の太い枝に、淡いグリーンのワンピースを着た美しい女性――最愛の姉である如月三月が、コウモリのように逆さ吊りになったまま、高性能の双眼鏡でこちらをガン見していた。
周囲の生徒たちには木陰に隠れて見えていないようだが、拓也にはバッチリ見えている。
さらに悪いことに、校庭の隅でホースを持って花壇に水を撒いている『はち切れんばかりの筋肉の鎧を纏った巨漢の清掃員』の姿も、相変わらずそこにあった。
「……おい如月。お前、さっきから顔色悪いぞ。やっぱりどこか痛むのか?」
隣の席の友人、健太が小声で心配そうに話しかけてくる。
「ううん、体調は悪くないんだ。ただ、ちょっと……大人の理不尽さに疲れてるというか……」
「はあ? なんだそれ。まあ、次の四時間目は体育でドッジボールだから、体動かしてスッキリしようぜ!」
健太の無邪気な笑顔に、拓也はひきつった笑みを返すことしかできなかった。
そして迎えた四時間目、体育の授業。
初夏の爽やかな風が吹き抜ける校庭に、二年B組の男子生徒たちが集まっていた。
コートの白線が引かれ、二つのチームに分かれてのドッジボールが始まる。
「よーし、如月! お前、ずっと休んでて体が鈍ってるだろうから、俺の後ろに隠れてろよ!」
健太が、頼もしく胸を張って拓也の前に立つ。
「ありがとう、健太。でも、そんなに心配しなくても……」
拓也が苦笑した、その時だった。
「オラァッ!! 行くぜぇぇぇッ!!」
相手チームのエースであり、学年で一番の巨体を誇るガキ大将のゴロウが、ボールを高く掲げて助走をつけてきた。
野球部でピッチャーを務めるゴロウの投げるボールは、中学生離れした剛速球だ。
そのボールが、健太を躱し、後方にいた拓也に向かって一直線に飛んできた。
(あっ、ちょっと速いな。でも、当たっても少し痛いくらいか)
魔力を持たない本来の『Fランク』である拓也の身体能力では、完全に避けるのは難しい。
彼は両腕をクロスさせ、ボールを受け止めようと身構えた。
しかし。
ボールが拓也に直撃する、そのコンマ一秒前。
「若大将に何してくれトンじゃァァァァァァァッ!!!!」
ズドゴォォォォォォォォォンッ!!!!
校庭の隅で花壇の手入れをしていたはずの清掃員(南米の総司令カルロス・リベラ)が、音速を超える神速のステップで拓也の眼前にテレポートしてきた。
そして、カルロスは手に持っていた竹箒を、まるで伝説の戦斧を振るうかのような凄まじい気迫で振り抜いた。
パキィィィィィィィィィィンッ!!!!
ゴロウが投げたドッジボールが、カルロスの竹箒と激突した瞬間。
ボールは弾き返されるどころか、圧倒的な物理的衝撃によって空中で『粉微塵に消滅』し、凄まじい衝撃波が校庭を吹き荒れた。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!?」
「な、なんだ!? 爆発!?」
突風に巻き込まれ、クラスメイトたちが次々と尻餅をつく。
ゴロウに至っては、あまりの衝撃とカルロスから放たれる尋常ではない殺気に当てられ、腰を抜かしてガタガタと震えていた。
「大丈夫ですか若大将ッ!! どこか怪我は!? もしお体に傷一つでもつけば、俺が姉御(三月)に東京湾に沈められちまうんでさァッ!!」
カルロスが、麦わら帽子を押さえながら涙目で拓也に詰め寄る。
さらに、その後方からはもう一人の清掃員(アメリカ最強のSランク、レオン・カーター)が、巨大なチリトリを構えながら猛ダッシュで駆けつけてきた。
「テメェら!! ウチの若大将にボールをぶつけようとするたぁ、いい度胸してんじゃねえか!! 全員、このチリトリで粉砕してやろうかァッ!!」
世界最高峰のSランク探索者二人による、中学生相手の本気の威圧。
もはや体育の授業どころではない。校庭は、第一魔卿バエルの玉座よりも恐ろしい地獄絵図と化していた。
「レオンさん! カルロスさん! 頼むからやめて!! ただのドッジボールだから!! 遊びだから!!」
拓也は、慌てて二人の巨漢の間に割って入り、必死に説得を試みた。
「あ、遊び……? このゴムの塊をぶつけ合う致死のゲームがですか!?」
「若大将、騙されちゃいけねえ! あいつらの目には確かな『殺意』がありましたぜ!」
「ないよ!! ゴロウくんはただボールを投げただけだよ!! むしろ殺意を放ってるのはあなたたちの方だから!!」
拓也が胃を押さえながら叫んでいると、騒ぎを聞きつけた体育教師がホイッスルを鳴らしながら走ってきた。
「こらーっ!! そこで何をしている清掃員!! 生徒の授業の邪魔をするな!!」
「ああん? 何だとこのモブ教師が。俺たちを誰だと……」
レオンがイラッと青筋を立てて凄もうとした瞬間。
「レオンさん。……姉さんに言いつけるよ?」
拓也が、底冷えのする低い声でボソリと呟いた。
「ヒッ……!!」
『姉さん』という単語を聞いた途端、人類最強の英雄であるはずのレオンとカルロスは、ビクゥッ!! とカエルのように飛び上がった。
「も、申し訳ございませんッ! 竹箒の素振りをしていたら、手が滑ってしまいまして!!」
「し、失礼いたしましたァァッ!!」
二人は、体育教師に深々と九十度のお辞儀をすると、猛烈なスピードでダッシュし、校庭の隅の花壇へと戻っていった。
「な、なんだあのやたらガタイのいい清掃員たちは……。よし、授業再開だ! ゴロウ、新しいボールを取ってこい!」
体育教師が狐につままれたような顔をしながらも、授業を再開させる。
「おい、如月……。お前、あの清掃員たちと知り合いなのか……?」
健太が、引き攣った笑いを浮かべながら尋ねてきた。
「……ううん、知らない人。ちょっと、清掃への情熱が強すぎるだけだよ」
拓也は、死んだ魚のような目で遠くを見つめながら、そう誤魔化すことしかできなかった。
そして、昼休み。
教室での食事は危険だと判断した拓也は、購買で買ったパンと紙パックのジュースを抱え、逃げるように校舎の屋上へとやってきた。
屋上は普段は立ち入り禁止だが、鍵のピッキングはお手の物だ。
(ふぅ……。ここなら、さすがに誰も来ないだろう)
拓也は、貯水タンクの陰に腰を下ろし、ようやくホッと息を吐いた。
過保護すぎる大人たちから逃れ、やっと訪れた一人だけの平和な時間。
そう思った、次の瞬間だった。
「お疲れ様です、指揮官殿。……いや、拓也くん」
頭上から、重々しくも落ち着いた声が降ってきた。
拓也がギョッとして見上げると、貯水タンクの上で、空調設備の点検業者のような作業着を着た男があぐらをかいていた。
日本のトップランカーであり、最強の盾である神宮寺蒼太だった。
なぜか、作業着の背中には、彼自身の身の丈ほどもある巨大な防魔大盾がしっかりと背負われている。
「じ、神宮寺さんまで……! なんで屋上にいるんですか!?」
「三月殿から、『拓也が学校で不良に絡まれないように、上空から監視せよ』との厳命を受けてな。……安心しろ、周囲半径三キロ以内の不審な魔力反応は、私が全て『絶氷』で凍結させておいた」
「凍結させないでください! ここ普通の住宅街ですよ!?」
拓也が頭を抱えていると、神宮寺はスッと貯水タンクから飛び降り、拓也の前に立った。
「拓也くん。中学生というのは、育ち盛りで腹が減るのだろう? 私特製の『超高純度スタミナポーション(一本百万相当)』を持ってきた。これを飲めば、三日は寝なくても平気だぞ」
「いらないです!! 昼ごはんは普通のパンで十分ですから!!」
拓也が全力で拒否していると。
「あっ! 拓也、見ーっけ!!」
屋上のフェンスの外側から、パッと両手が現れ、ひらりと身軽な動作で一人の少女(?)が飛び越えてきた。
淡いグリーンのワンピースではなく、拓也の通う中学校の『女子のセーラー服』を身に纏った、如月三月だった。
「ね、ねえさん!? なんでセーラー服着てるの!? ていうか、どこから登ってきたの!?」
「えへへ、コスプレ通販で買っちゃった! 似合うでしょ? 登ってきたのは、校舎の外壁を素手でよじ登ってきたの!」
三月は、セーラー服のプリーツスカートを翻しながら、満面の笑みで拓也に抱き着いてきた。
本来なら二十歳を超えているはずだが、その圧倒的な美貌とスタイルの良さのせいで、セーラー服姿でも全く違和感がないのが逆に恐ろしい。
「拓也ぁ、お姉ちゃんお弁当作ってきたよ! あーんしてあげるから、いっぱい食べてね!」
三月は、四次元ポケットのようなアイテムボックスから、豪華な三段重のお弁当を取り出した。
中には、最高級の和牛ステーキ、伊勢海老のフライ、そしてキャビアがこれでもかと詰め込まれている。
「……ねえさん。中学生の昼ごはんに、伊勢海老とキャビアは重すぎるよ……」
「えー? だって、拓也には一番いいものを食べさせてあげたいんだもん! ほら、あーん!」
三月が、お箸でステーキを挟み、拓也の口元へと差し出してくる。
「……三月殿、素晴らしいお弁当ですね。私も、拓也くんの護衛として末長くお仕えできるよう、一層の精進を重ねる所存です」
神宮寺が、作業着姿のまま背中の大盾を置き、直立不動で三月に敬礼している。
世界を救った最強の指揮官である如月拓也。
彼は今、最高級のステーキを口に詰め込まれながら、静かに涙を流していた。
(誰か……誰か、俺に普通の『日常』を返してくれ……!)
魔力を持たないFランク少年の胃痛は、第一魔卿バエルを倒した今もなお、全く治まる気配がないのであった。
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次回も引き続き、騒がしくも温かい日常をお楽しみに!




