第227話:絶対強者の格付けと、最強パーティの新たな序列
「……う、うう……。オレは、一体……」
日本探索者協会本部、地下五十階の特別訓練場。
冷たい防魔合金の床の上で、アメリカ最強のSランク探索者、レオン・カーターが低く唸りながら重い瞼を開けた。
「目が覚めましたか、レオンさん……。本当に、本当にすみませんでした……っ!」
視界が晴れると、そこには涙目で土下座せんばかりの勢いで平謝りしている少年指揮官、如月拓也の姿があった。
「わ、若大将……? 謝るって、一体何を……」
レオンが身を起こそうとした瞬間、全身の筋肉が「ビキッ!」と悲鳴を上げ、彼は思わず顔をしかめた。
そこでようやく、レオンの脳裏に先ほどの『悪夢』のような記憶がフラッシュバックする。
自分たちに向けて放たれた、ただのパンチの風圧。
防魔合金の魔剣を粉砕した、素足の回し蹴り。
第一魔卿バエル戦でさえ感じなかった、純粋な『生物としての絶対的な格付け』。
「……思い、出したぜ。オレたちは、あのネエチャンに……」
レオンが周囲を見渡すと、南米の総司令カルロス・リベラが壁際の瓦礫の中で白目を剥いており、日本のトップランカーである神宮寺、風間、九条の三人も、床に転がってピクピクと痙攣していた。
「あ、皆さん! お茶が入りましたよー! 麦茶と緑茶、どっちがいいですか?」
その地獄絵図の中心で。
淡いグリーンのワンピースを着た如月三月が、どこから持ってきたのか、お盆に急須と湯呑みを乗せてニコニコと微笑んでいた。
その姿は、まるで休日に弟の友達が遊びに来て、おやつを出してあげる優しいお姉ちゃんそのものである。
先ほどまで、Sランク探索者たちを素手で蹂躙していた怪物と同一人物だとは、到底思えなかった。
「ヒッ……!?」
三月の笑顔を見た瞬間、レオンの巨体がビクッと跳ね上がった。
「あ、レオンさん! 大丈夫ですか? ちょっと手加減を間違えちゃって、ごめんなさいね」
三月がトコトコと歩み寄り、冷たい麦茶を差し出す。
「い、いえッ!! めっそうもございません!! オレ……いや、私奴の鍛錬不足であります、姉御ォォォッ!!」
レオンは、受け取った麦茶のグラスを両手で恭しく掲げ、アメリカ最強のプライドをかなぐり捨てて完璧なジャンピング土下座をキメた。
「あねご……?」
三月が不思議そうに首を傾げる。
「お、おいレオン。テメェ、アメリカSランクの誇りはどうした……」
壁際で意識を取り戻したカルロスが、フラフラと立ち上がりながらレオンをたしなめようとしたが。
「カルロス!! 貴様、姉御に向かってその態度はなんだ!! 命が惜しくないのか!!」
「はッ!?」
レオンの血走った目と、その奥に見え隠れする『逆らったら本当に消し飛ばされるぞ』という無言の警告を受け取り、カルロスもまた、瞬時に状況を悟った。
「し、失礼いたしましたァァァッ!! 南米代表カルロス・リベラ、以後、姉御の舎弟として粉骨砕身働く所存であります!!」
カルロスもまた、巨体を折り曲げてレオンの横に並び、見事な土下座を披露した。
「ええ……。外人さんたち、ノリがいいね、拓也」
「ねえさん、あの人たち本気で命の危機を感じてるだけだと思うよ……」
拓也が、額に手を当てて深い深いため息を吐く。
「……まったく。だから言っただろうが。相手は一人で特異点を更地に変えてきた『生きた災害』だと……」
風間蓮が、ふらつく足取りで立ち上がりながら、恨めしそうにレオンたちを睨みつけた。
「風間、口を慎め。……三月殿、此度は我らの実力不足を露呈する形となり、面目次第もございません」
神宮寺蒼太が、騎士のように片膝をつき、恭しく頭を下げる。
「チッ……。魔力も使わずに俺たちを全滅させるとはな。相変わらず、理不尽の塊みたいな女だぜ」
九条炎樹が、後頭部をさすりながら悪態をつくが、その声には一切の敵意はなく、ただ純粋な「畏怖」と「諦観」だけが混じっていた。
「うふふ。でも、みんなすごくタフだったよ! 私の素手(峰打ち)を食らって、たった数分で目を覚ますなんて、やっぱり拓也が選んだだけのことはあるね!」
三月は、ポンッと手を叩いて満面の笑みを浮かべた。
「というわけで! 貴方たちを、私の弟の『仲間』として正式に認めてあげます! これからも、拓也のことをよろしくね!」
三月のその言葉に、極星の大人たちは全員、ホッと胸を撫で下ろした。
もしここで「不合格」の烙印を押されていれば、彼らは二度と拓也に近づくことを許されず、最悪の場合、この最強のブラコン姉によって東京湾の底に沈められていたかもしれないのだから。
「……よかったですね、拓也くん」
隅っこの安全地帯で気絶から復帰していた瀬戸玲奈が、ふらふらと歩み寄りながら苦笑いを浮かべる。
「瀬戸さん……。ごめんね、巻き込んじゃって」
「いえ、私は結界を張る間もなく気絶したので、無傷ですから。……でも、三月さんがこれほどお元気そうで、本当によかったです」
瀬戸が、心からの安堵の笑みを向ける。
「さて! 挨拶も済んだことだし、上に戻ってお茶の続きにしよっか! 私、もっと皆から拓也の活躍(武勇伝)を聞きたいな!」
三月が、ウキウキとした足取りでエレベーターへと向かう。
「は、はい喜んでェェェッ!! 若大将の活躍ならば、このレオンが三日三晩かけて語り尽くしてみせますぜ、姉御ォッ!!」
「カッカッカ! 俺もアマゾンでの若大将の神采配を、余すことなくお伝えしやす!!」
すっかり『三月の舎弟』というポジションに収まってしまった海外勢二人が、揉み手で三月の後を追う。
「……あいつら、順応性が高すぎるだろ」
風間が呆れたように呟く。
「まあ、命あっての物種だ。……それに、拓也くんの姉君がこれほどの力を持っているのなら、これからの残党狩りもずいぶんと楽になるだろう」
神宮寺が、大盾を背負い直してふっと相好を崩した。
――再び、最上階のVIPラウンジ。
砕け散ったグラスや萎れた観葉植物は、協会の職員(主にセバスチャン)の決死の努力によって、わずか数分の間に綺麗に片付けられ、新しいケーキと紅茶が用意されていた。
「へぇー! 拓也が、バエルの処理の隙間を視抜いて……っ、すごい! さすが私の弟!」
三月は、高級なソファの真ん中に座り、目をキラキラと輝かせながらレオンたちの語る『拓也の武勇伝』に聞き入っていた。
「ええ、ええ! あの時の若大将は、まさに軍神の如き采配でしてね! 俺たちの全火力を囮にして……」
レオンが、身振り手振りを交えて熱弁を振るう。
「ちょっと待てレオン。そこは俺の『極大殲滅魔法』がバエルの防壁を削ったからこそだろうが。若大将の特攻への道を作ったのは俺の炎だぞ」
九条が、負けじと話に割り込んでくる。
「何言ってんだオッサン。俺の『絶氷』でバエルの意識を逸らしたのが一番デカかったに決まってんだろ」
風間も得意げに胸を張る。
拓也は、その賑やかな光景を、少し離れた席からお茶を飲みながら静かに見守っていた。
かつては血で血を洗うような絶望の戦場で、命を削り合っていた仲間たち。
彼らが今、こうして平和な東京のラウンジで、自分の姉を囲んで笑い合っている。
(……本当に、終わったんだな)
拓也の右眼は、もう痛みを発することはない。
眼帯を外した彼の視界には、魔力の流動も、空間のバグも、崩壊の波動も映らない。
ただ、温かく、平和で、少しだけ騒々しい日常の景色だけが広がっていた。
「拓也くん。……本当に、お疲れ様でした」
不意に、隣の席に座った神宮寺蒼太が、静かに声をかけてきた。
「神宮寺さん。……俺の方こそ、今まで俺の無茶苦茶な指揮に付き合ってくれて、本当にありがとうございました」
拓也は、照れくさそうに頭を下げる。
「君の指揮があったからこそ、我々は生き残れた。……だが、これからはもう、一人で世界を背負い込む必要はない。君には、あの無敵の姉君がついているのだからな」
神宮寺が、ソファの真ん中で豪快に笑う三月を見やりながら、優しく微笑む。
「うん。……姉さんは、やっぱり世界で一番強かったよ」
拓也もまた、誇らしげに目を細めた。
「それで、拓也くん。君はこれから、どうするつもりだ?」
神宮寺が、改まった様子で問いかける。
「え……?」
「七つの特異点は消滅したが、世界中に溢れ返った『野良魔獣』や、魔力溜まりから発生する『迷宮』がすべて消えたわけではない。我々探索者の仕事は、これからも続く。……君は、探索者を続けるのか?」
神宮寺の問いに、拓也は少しだけ黙り込んだ。
彼は元々、魔力を持たないただの凡人、最底辺の『Fランク』だ。
かつて同じFランクから『魂喰い』の覚醒によって最強へと成り上がった姉とは違い、拓也自身には異能も強力な魔法もない。
右眼の『深層言語・限定解析』も、三月の魂を救うという極限の目的があったからこそ、脳の毛細血管が焼き切れる痛みに耐えて使えていた諸刃の剣なのだ。
目的を果たした今、あえて危険な探索者の道に留まる理由は、どこにもなかった。
「……俺は」
拓也が口を開きかけた、その時。
「決まってるでしょ!」
いつの間にか、レオンたちとの談笑を終えた三月が、拓也の背後からひょっこりと顔を出した。
そして、拓也の首に両腕を回し、ギュッと抱きしめる。
「拓也は、私と一緒に探索者をやるの! 私が前衛で全部の敵をぶっ飛ばすから、拓也は後ろで安全に指示を出してくれればいいんだよ!」
「ええっ!? ねえさん、俺、もう戦う理由はないんだけど……」
拓也が慌てて振り返る。
「駄目! 拓也のその凄い頭脳を独り占めできるのは、お姉ちゃんだけの特権なんだから! これからは、最弱から成り上がった姉弟の『最強の二人組』として世界中を平和にして回るの!」
三月が、満面の笑みでビシッと指を突きつける。
「あー……。こりゃあ、若大将の苦労は一生絶えそうにねえな」
風間が、同情するような目で拓也を見つめる。
「カッカッカ! いいじゃねえか! 姉御と若大将のコンビなら、どんな迷宮も一瞬で更地だぜ!」
カルロスが豪快に笑い飛ばす。
最弱のFランクから最強へ成り上がった姉と、Fランクのまま世界を救った少年指揮官。
世界を救った彼らの物語は、終わりではない。
新たな日常という名の、少し騒々しくて、でも最高に温かい冒険の日々が、今ここから始まろうとしていた。
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