第226話:地下特別訓練場の惨劇、世界最強の理不尽
日本探索者協会本部、地下五十階。
そこは、Sランク探索者同士が全力で魔法やスキルをぶつけ合っても決して崩落しないよう、最高純度の防魔合金と幾重もの多重結界で構築された『特別訓練場』である。
普段は静寂に包まれているその広大な空間が、今はピリピリとした、肌を刺すような異常な緊張感に支配されていた。
「さてと。広くていい場所だね!」
特別訓練場の中央。
淡いグリーンのワンピース姿のまま、如月三月は楽しそうにストレッチをしていた。
武器は持っていない。ただの素手である。
足元すら、先ほどまで履いていたパンプスを脱ぎ捨てて裸足という、およそ戦闘とは無縁の出で立ちだった。
その三十メートルほど前方には、人類の希望として世界を救った『日米南米合同遠征軍(極星)』のトップランカーたちが、横一列に並んで武器を構えている。
「ねえさん、本当に怪我させないでよ……? あの人たちは、命の恩人なんだから……」
訓練場の隅にある安全地帯の強化ガラス越しに、如月拓也がハラハラとした表情でマイクに向かって声をかける。
『大丈夫だよ、拓也! お姉ちゃん、手加減はバッチリだから! ……あ、拓也は絶対に右眼の能力を使っちゃ駄目だからね? また頭痛くなっちゃうから!』
三月は、ガラスの向こうの弟へ向けて、ニコリと極上の笑顔で手を振り返した。
だが、弟へ向けるその甘い視線とは裏腹に、三月の背中から放たれているプレッシャーは、尋常ではなかった。
目に見えないはずの魔力が、ドス黒い陽炎となって彼女の周囲の空間を歪ませている。
「……オイオイ。マジかよ、あのネエチャン」
アメリカ最強のSランク、レオン・カーターが、巨大な魔剣を構えながら、額に一筋の冷や汗を流した。
海外勢である彼らは、三月が倒れる前の『現役時代』の活躍を直接は知らない。
ただの病み上がりの女性だと高を括っていたが、本能が「あれは人間じゃない」と警鐘を鳴らし始めていた。
「ハッ! 凄まじい威圧感だが、こちとら第一魔卿をぶっ飛ばした最強のパーティだぜ! いくら眠り姫が相手だろうと、世界一の座はそう簡単に譲れねえな!」
南米の総司令カルロス・リベラが、手にした二本のマチェーテを打ち鳴らし、獰猛な笑みを浮かべる。
しかし、彼ら海外勢の強気な態度とは対照的に、日本のトップランカーたちの顔色は、まさに土気色だった。
「……カルロス、お前は何も分かっていない。……相手は、一人で特異点を更地に変えてきた『生きた災害』だぞ……」
風間蓮が、愛槍『銀牙槍・改』を握る手をガタガタと震わせている。
「風間、無駄口を叩くな。……集中しなければ、一瞬で首が飛ぶぞ。我らの盾が、三月殿の理不尽にどこまで通用するか……」
神宮寺蒼太もまた、大盾を構えたまま一歩も動くことができずにいた。
日本のトップ魔術師である九条炎樹に至っては、すでに両手に極大の炎を集束させ、いつでも最大火力をぶっ放せるように臨界状態を保っている。
「それじゃあ、テストを始めようか」
三月は、ワンピースの裾を少しだけ持ち上げ、可憐に微笑んだ。
「ルールは簡単。貴方たち全員で私に掛かってきて、一撃でも私に当てられたら合格。……もし当てられなかったら、二度と拓也に近づかないでね?」
「カッカッカ! 言い切ったな、お嬢ちゃん! 筋肉ダルマの恐ろしさ、その身体に教えてやるぜ!!」
三月の挑発に、カルロスが咆哮を上げて大地を蹴った。
南米の密林で鍛え上げられた、圧倒的な瞬発力。巨体が弾丸のように三月へと肉薄し、左右から首を刈り取るようなマチェーテの双撃が放たれる。
「カルロス、一人で突っ込むなッ!!」
レオンが制止の声を上げるが、遅かった。
「……遅い」
カルロスの放った音速の斬撃。
しかし、三月は一切の回避行動を取らなかった。
トンッ。
「……なっ!?」
カルロスの目が見開かれる。
三月は、カルロスが振り下ろした右手のマチェーテの刃の『側面』を、細い人差し指の腹で軽く叩いただけだった。
たったそれだけで、カルロスの全力の斬撃の軌道が完全に逸らされ、彼は勢い余って前のめりに体勢を崩した。
「ほいっ」
三月が、無防備になったカルロスの足元に、軽く足を引っ掛ける。
ただの悪戯のような足払い。
しかし、そこに込められたSランクの規格外の筋力と魔力によって、体重百キロを優に超えるカルロスの巨体は、まるで紙屑のように宙を舞い、数十メートル後方の防魔合金の壁へと激突した。
ズガァァァァァァァンッ!!!!
「がはァッ……!?」
カルロスが壁にめり込み、そのまま白目を剥いて気絶する。
「カ、カルロスを一撃で……!? ふざけんな、あんな細腕のどこにそんな力が……!」
驚愕するレオンの懐に。
いつの間にか、三月がふわりと入り込んでいた。
「よそ見してる暇、あるのかな?」
「チィッ!!」
レオンが咄嗟に巨大な魔剣を盾にするように構える。
天空の冥城で、第一魔卿の防壁すらも叩き割ったレオンの絶大な筋力。
三月は、その魔剣の腹に向かって、裸足のまま『回し蹴り』を放った。
パキィィィィィィンッ!!!!
「ぐおォォォォォォォッ!?」
防魔合金で鍛え上げられたはずの魔剣が、三月の蹴りの一点から蜘蛛の巣状にヒビ割れ、爆発的な衝撃波と共にレオンの巨体が吹き飛んだ。
レオンは床を何度もバウンドし、気絶したカルロスの隣へと転がっていく。
開始から、わずか三秒。
海外のSランク二人を、文字通り「指先と素足」だけで無力化した光景に、ガラスの向こうの拓也は絶句した。
「……嘘だろ。レオンさんたちのフルパワーを、あんな簡単に……」
「拓也くんの視界を通さなくても、彼女は全てを『本能』で視抜いているのです。……あれが、かつて世界最強と謳われた、如月三月の真の姿」
隣で見ていた東雲慧が、冷や汗を流しながら呟いた。
「さあ、海外のお客さんはおねんねしちゃったけど。……次は誰が来るの?」
三月が、楽しそうに首を傾げながら、残された日本のトップランカーたちへ視線を向ける。
「……クソッ! 手加減なんて一切いらねえ! あの理不尽バケモノを止めるぞ!!」
風間が、自暴自棄のような叫びを上げて跳躍する。
「『絶氷・百連牙』!!」
風間の槍から、絶対零度の冷気を纏った無数の突きが三月へと降り注ぐ。
「神宮寺さん、合わせろ!!」
「承知ッ!! 『絶氷領域・大城壁』!!」
神宮寺が三月の退路を断つように、巨大な氷の壁を展開する。
そして、その後方からは九条が両手の炎を限界まで圧縮していた。
「弟くんへの恩を忘れたたぁ言わせねえぞ! 消し飛びなァッ!! 『極大殲滅魔法』!!」
風間の冷気と、九条の極大の炎。
相反する絶対的な魔力が、三月という一点に向けて同時に叩き込まれる。
それは、第一魔卿バエルのシステムをもパンクさせた、極星の連携攻撃そのものであった。
「うんうん、いい連携だね! でも――」
三月は、迫り来る氷と炎の弾幕を前にして、一切の防御魔法を展開しなかった。
ただ、右腕を軽く引き、虚空に向かって『正拳突き』を放っただけ。
ズドンッ!!!!
三月の拳から放たれた、純粋な『物理的な衝撃波』。
大気を圧縮し、空間そのものをぶん殴るような規格外の暴力が、訓練場を吹き荒れた。
パキィィィンッ! シュゥゥゥゥンッ!!
「なっ……!?」
「俺たちの魔法が、拳の風圧だけで吹き飛ばされただと!?」
風間の絶対零度の槍撃も、九条の極大の炎も。
神宮寺の退路を断つ氷の壁ごと、三月の放ったただの『パンチの風圧』によって、すべてが霧散してしまったのだ。
「あはっ、隙だらけ♪」
唖然とする日本のSランク三人の背後に、三月が音もなく回り込んでいた。
そして、三人の後頭部へ向けて、優しく、しかし絶対的な威力を持った手刀が落とされる。
ストン、ストン、ストンッ。
「あ……」
「化け、物……」
神宮寺、風間、九条の三人が、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
戦闘開始から、わずか十数秒。
訓練場には、世界を救ったはずの最強の英雄たちが、全員床に転がり、ピクピクと痙攣しているという地獄のような光景が広がっていた。
(……あ、暗殺部隊の不知火さんと、回復役の瀬戸さんは、怖がって隅っこでガタガタ震えてるから、見逃してあげよっと)
三月は、訓練場の隅で涙目で抱き合っている瀬戸と不知火を見て、ニコリと微笑みかけた。
それだけで、二人は「ひぃっ!」と悲鳴を上げて気絶してしまった。
「ふぅ。こんなもんかな!」
三月は、パンパンと手についた見えない埃を払い、安全地帯のガラスの向こうにいる拓也へ向けて、ブイッとピースサインを作った。
『……ね、姉さん。やりすぎだよ……。みんな、死んじゃってない……?』
マイク越しに、拓也の震える声が響く。
「大丈夫大丈夫! ちゃんと峰打ち(素手)だから! 骨も折れてないよ!」
三月は、床に転がる極星の大人たちを見下ろしながら、少しだけ満足げに頷いた。
「まあ、拓也の仲間にしては少し頼りないけど……。これだけタフなら、合格にしてあげる!」
世界を救った最強のパーティ『極星』は、こうしてブラコン最強姉さんの理不尽な実力テストにより、文字通り全滅の憂き目に遭ったのであった。
これから始まる、彼らの波乱に満ちた平和な日常。
拓也の胃薬が手放せない日々は、まだまだ続きそうである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
これにて、三月姉さんによる『極星』の大人たちへの理不尽な実力テストが完結です!
魔王すらも圧倒したSランクたちを、ただのパンチの風圧と足払いで全滅させるかつての「世界最強」。
拓也の頭脳戦とはまた違う、圧倒的なフィジカルと魔力の無双劇はいかがでしたでしょうか?
平和を取り戻した彼らの、賑やかで少し胃が痛くなる日常はこれからも続いていきます!
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