第223話:目覚め、そして――家族との再会
温かく、柔らかな光が瞼の裏を撫でていた。
如月拓也は、ゆっくりと重い目蓋を開けた。
視界に真っ先に飛び込んできたのは、見慣れた白い天井だった。鼻をかすめるのは、微かな消毒液の匂い。
「……ここは」
乾いた喉から、かすれた声が漏れる。
身体を起こそうとすると、全身の筋肉がギシギシと悲鳴を上げたが、あの天空の冥城で感じていた「脳が焼き切れるような極限の頭痛」は、すっかり嘘のように消え去っていた。
「あっ……! 拓也くん!?」
ベッドの傍らで、うとうとと船を漕いでいた瀬戸玲奈が、バッと顔を上げた。
彼女の目の下には薄っすらと隈ができており、拓也が眠っている間、ずっと付きっきりで看病と治癒の魔力を施してくれていたことが一目で分かった。
「瀬戸さん……。俺、どれくらい眠って……」
「三日です! 丸三日間、ずっと目を覚まさなくて……っ、本当によかったぁ……!」
瀬戸は、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、拓也の手を両手でぎゅっと握りしめた。
その泣き声を聞きつけたのか、バンッ! と乱暴に病室のドアが開け放たれた。
「オイオイ、若大将が目を覚ましたってマジか!?」
「カッカッカ! やっと起きやがったな、この寝坊助!!」
病室に雪崩れ込んできたのは、レオン・カーターとカルロス・リベラの巨漢コンビだった。
二人とも、いつもの戦闘用の厳つい装備ではなく、ラフな私服姿だ。
「レオンさん、カルロス司令……。それに、皆さんも」
二人の後ろからは、風間蓮、神宮寺蒼太、九条炎樹、そして不知火凛といった『極星』の大人たちが、次々と顔を見せた。
「まったく、肝を冷やさせやがって。テメェの脳波が一時的にフラットになった時は、どうなることかと思ったぜ」
風間が、ベッドのパイプに寄りかかりながら、安堵の混じったため息を吐く。
「無茶な指揮官殿だ。……だが、君のその命を削るような情報処理がなければ、我々は確実にバエルの玉座で塵になっていただろう。改めて、礼を言わせてくれ」
神宮寺が、私服姿のまま、騎士のように深く頭を下げた。
「世界は、どうなりましたか……?」
拓也が尋ねると、レオンがニカッと白い歯を見せて笑った。
「バッチリだ。七つの特異点が全部消滅したことで、地球の魔力流動は完全に正常化した。世界中に溢れ返ってた異常なバケモノどもも、今はただの野良魔獣だ。各国の探索者協会が、鼻歌交じりで残党狩りをしてる最中さ」
「フン。俺たち合同遠征軍は、世界を救った最強の英雄として、今や世界中のメディアから引っ張りだこだ。……まあ、面倒くせえから全員でこの日本に居留守を決め込んでるんだがな」
九条が、相変わらず素直ではない態度で鼻を鳴らす。
平和が、戻ったのだ。
極星の大人たちのリラックスした表情を見て、拓也は心から安堵の息を吐き出した。
だが、彼にとって「世界が救われたか」どうかは、あくまで二次的な問題に過ぎなかった。
彼がこれほどまでに命を削り、絶望的な戦いに身を投じてきた『本当の理由』。
「……姉さんは」
拓也は、ベッドのシーツをギュッと握りしめ、震える声で尋ねた。
「三月姉さんは……どうなりましたか?」
その問いに、病室がふっと静まり返る。
レオンたちが顔を見合わせ、小さく微笑んだ。
「……目が覚めたか、ガキ」
開け放たれたドアから、灼熱の葉巻を咥えた隻眼の男――日本一の鍛冶師にして、この『黒鉄堂・別館医療室』の主である鉄山厳が姿を現した。
「鉄山さん……! 姉さんは……!」
「慌てるな。テメェの足には、もうちゃんと力が入るはずだ」
鉄山は、顎で病室の外をしゃくった。
「テメェの両親も、ずっと下で付きっきりだったぜ。……テメェの足で、地下へ行きな。待ってるぜ」
その言葉を聞いた瞬間、拓也はベッドから弾かれたように飛び起きた。
瀬戸が「あっ、まだ無理しないで!」と声をかけるが、拓也の耳にはもう入っていなかった。
病室を飛び出し、廊下を駆け抜ける。
裸足のまま、冷たいリノリウムの床を蹴り、地下の特別医療室へと続く階段を転がるように下りていく。
(特異点は、全部壊した。バエルも倒した。世界を縛っていた鎖は、全部なくなったんだ……!)
胸の鼓動が、早鐘のように鳴り響いている。
分厚い防魔合金の扉の前に辿り着くと、拓也は震える両手で、その冷たいハンドルを握りしめた。
ギィィィィィィン……。
重い扉を押し開ける。
地下室の空気は、いつもと同じように少しだけひんやりとしていた。
しかし、いつも部屋を満たしていた、生命維持ポッドの「ブゥゥン」という低い駆動音は、完全に停止していた。
部屋の中央。
青白い培養液で満たされていたはずの巨大なガラスのポッドは、すでに水が抜かれ、扉が大きく開け放たれていた。
そして、そのポッドの前に置かれた簡易ベッドに、真っ白な病院の寝巻きを着た女性が腰掛けていた。
長く、艶やかな黒髪。透き通るように白い肌。
そして、かつて世界最強と謳われたSランク探索者としての、凛とした静かな気配。
その両脇には、彼女の手をしっかりと握りしめ、ボロボロと涙を流している拓也の父と母の姿があった。
「…………姉、さん。……父さん、母さん」
拓也の口から、掠れた、泣きそうな声がこぼれ落ちた。
その声に反応し、三人が一斉に振り返る。
「拓也……っ!!」
母親が弾かれたように立ち上がり、駆け寄ってきて拓也を力強く抱きしめた。
父親もまた、目元を真っ赤に腫らしながら、拓也の肩を大きな手で震えながら撫でた。
「無事で……本当に、生きて帰ってきてくれてよかった……っ!」
「お前が目を覚まさないから、母さんも父さんも、生きた心地がしなかったぞ……。本当によく頑張ったな、拓也」
両親の体温と、その不器用で温かい言葉に、拓也の視界が急速に滲んでいく。
世界を救う英雄としてではなく、ただの息子を心配する親の真っ直ぐな愛情が、そこにはあった。
そして、両親の背後から。
ずっと、ずっと閉じられていたその瞳が。
拓也が世界で一番大好きで、誰よりも温かい、深緑色の瞳が、真っ直ぐに拓也を見つめ返した。
「……遅いよ、拓也」
如月三月は、両親越しに弟を見つめ、ふわりと花が咲くような、極上の笑みを浮かべた。
「お寝坊さん。……私よりいっぱい寝るなんて、生意気だぞ」
その声を聞いた瞬間。
拓也の中で張り詰めていた、すべての「糸」がプツンと切れた。
冥淵の悪魔たちを前にしても決して揺るがず、極星の大人たちを束ね、一切の感情を排して完璧な戦術を弾き出し続けてきた『少年指揮官』としての鋼の仮面。
それが音を立てて崩れ去り、ただの「十四歳の弟」の顔に戻る。
「姉さん……っ!! 姉さん!!」
拓也は、両親の腕をすり抜けるようにして、三月のもとへと駆け寄った。
そして、彼女の胸の中に、勢いよく飛び込んだ。
「うわぁぁぁぁぁんっ!! 姉さん……っ、姉さぁぁぁん……!!」
「よしよし。……うん、よしよし。拓也……」
三月は、自身の胸で号泣する拓也の小さな背中を、両腕でしっかりと抱きしめ、優しく、何度も何度も撫でた。
両親もまた、抱き合う姉と弟を包み込むように、背後から優しく腕を回した。
「よく頑張ったね。……全部、分かってるよ。私が眠っている間、拓也がどれだけボロボロになって、どれだけ無理をして、私を助けようとしてくれたか」
「怖かった……! 俺、魔力もないし……っ、頭痛いし……! ずっと、ずっと怖かったよぉ……っ!」
拓也は、三月の胸に顔を埋め、しゃくり上げながら本音を吐き出した。
どんな絶望的な状況でも弱音を吐かなかった少年が、唯一、すべての重圧を降ろして甘えることができる絶対的な場所。
「うん。偉かったね。魔力を持たない私の弟が、世界中の誰よりも強くて、かっこいい英雄たちを指揮して……世界を救ってくれたんだね」
三月の目からも、一筋の美しい涙がこぼれ落ち、拓也の髪を濡らした。
「ありがとう、拓也。……私の、世界で一番自慢の弟」
「本当に……家族がまた四人で揃う日が来るなんて……っ」
母親が、三月の背中を撫でながら再び泣き崩れる。
父親も、拓也と三月の頭を交互に撫でながら、言葉にならない声で頷いていた。
地下室の扉の隙間から、その光景をそっと覗き見ていた大人たちは、誰一人として声をかけることはなかった。
「……フッ。ったく、あんな子供みたいな泣き顔見せられたら、これまでの冷徹な若大将の威厳も形無しだぜ」
レオンが、目元を乱暴に拭いながら笑う。
「いいじゃねえか。……十四歳のガキが、これまで背負ってきたモンが重すぎたんだ。今日くらい、思いっきり家族で泣かせてやれ」
カルロスもまた、腕を組みながら優しく目を細めている。
「ええ。我らの指揮官殿には、ゆっくりと羽を伸ばしてもらうとしよう」
神宮寺が、静かに扉を閉めた。
冥淵の悪魔たちによる、世界の崩壊。
その途方もない絶望に立ち向かったのは、魔法の力を持たない、たった一人の凡人の少年だった。
血の滲むような思考と、極限の戦術処理。そして何より、最愛の姉を救うという『魂の誓い』が、彼を最強の極星たちと繋ぎ、奇跡を起こしたのだ。
長く苦しかった彼らの戦いは、この温かい家族の涙と共に、本当の終わりを迎えたのであった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
ついに、ついに最愛の姉・如月三月が目覚めました!
ご両親も揃い、家族四人での温かい再会シーンを描かせていただきました。
これまでどんな強敵を前にしても冷徹な指揮官であり続けた拓也が、家族の前でだけはただの「十四歳の弟」に戻って号泣するシーン、いかがでしたでしょうか。
これにて「第三章:世界の崩壊と魂の誓い編」は完結となります!
次回からは、平和を取り戻した世界での後日談や、目覚めた三月姉さんを交えた極星たちとの日常エピソード(第四章)がスタート予定です!
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