第219話:極星の証明、指揮官の休息と受け継がれる戦術
第一魔卿バエルの居城、『天空の冥城』。
成層圏に浮かぶ漆黒の逆さ城の内部は、地球に向けて突き立てられた尖塔の先――すなわち城の「最下層」にあたる玉座へ向けて、果てしない螺旋の回廊が続いていた。
「……ハァッ……、ハァッ……」
薄暗い石造りの回廊を進む合同遠征軍の陣形の中央で、如月拓也は荒い息を吐きながら、時折ふらつく足取りを必死に堪えていた。
「拓也くん! 駄目です、少し休んでください! 鼻血が止まっていません!」
隣を歩く瀬戸玲奈が、悲痛な声を上げて拓也の肩を支える。
彼女の白銀の杖から放たれる温かい治癒の魔力が拓也の頭部を包み込んでいるが、それでも拓也の顔色は青白く、額には脂汗が滲んでいた。
「……大丈夫です、瀬戸さん。この城の構造は、あまりにも複雑すぎる。少しでも眼の処理を緩めたら、空間の歪みや崩壊のトラップを見落としてしまう……」
拓也は、右眼を覆う眼帯を押さえながら、前を見据えて歩みを止めようとしない。
彼の『深層言語・限定解析』は、魔法の力ではない。
眼から入る膨大な視覚情報――空間の魔力濃度、物質の結合状態、崩壊の波動の周波数――それらすべてを、拓也自身の『脳細胞』がスーパーコンピューターのように並列処理し、最適解を弾き出しているのだ。
バエルの城は、ただそこに存在するだけで万物を崩壊させる異常空間。
その構造を常に解析し続けることは、凡人である拓也の脳に、文字通り「焼き切れる」ほどの凄まじい負荷を掛け続けていた。
「……ストップだ、若大将。これ以上は歩かせねえぞ」
不意に、先頭を歩いていたアメリカ最強のSランク、レオン・カーターが足を止め、振り返った。
「レオンさん……? 立ち止まっている暇は……」
「いいから、座れ。瀬戸の嬢ちゃん、指揮官殿を休ませてやってくれ」
レオンの有無を言わさぬ迫力に押され、拓也は瀬戸に抱えられるようにして、冷たい石の床にへたり込んだ。
「……すまない、拓也くん。我々がもっと早く気づくべきだった。君のその眼は、魔法の無限機関じゃない。生身の脳髄を削って回している『命の前借り』だ」
神宮寺蒼太が、大盾を静かに下ろし、拓也の前に屈み込んで重々しく口を開いた。
「神宮寺さん……でも、俺がナビゲートしなきゃ、この先の罠は……」
「フン。テメェは俺たちを、言われた通りにしか動けねえラジコンだと思ってんのか?」
日本のトップ魔術師・九条炎樹が、腕を組みながら鼻を鳴らした。
彼らが立ち止まった場所。
それは、螺旋の回廊が終わり、バエルの玉座へと続く最後の関門である『巨大な大広間』の入り口だった。
拓也が顔を上げると、大広間の奥には、漆黒の魔力が渦巻く巨大な扉が見える。
そして、その扉を護るように、広間の中を埋め尽くすほどの敵が待ち構えていた。
全身から赤黒い崩壊の波動を放つ『崩壊の騎士』が数百体。
さらに、触れた魔力を分解する黒い牙を持った『腐食の魔犬』の群れ。
それらが、侵入者の気配を察知し、一斉に武器を構えてこちらへ向き直ったのだ。
「……敵の数、およそ五百。……皆さん、陣形を!」
拓也が、痛む頭を無理やり起こし、眼帯の下の右眼を見開こうとした。
しかし。
バシッ。
「……えっ?」
拓也の右眼を、巨大で温かい「手」が、上からすっぽりと覆い隠した。
南米の総司令、カルロス・リベラだった。
「カッカッカ! 休んでろって言っただろ、ウチの若大将。……これだけの数の雑魚を処理するのに、いちいちテメェの脳みそをすり減らしてたら、親玉の前に着く頃にはテメェが過労死しちまうぞ」
「カルロス司令……でも、あいつらは正面から攻撃したら武器が崩壊します! 俺がタイミングを……」
「心配すんな。俺たちは、テメェの言葉をただ聞いてただけじゃねえんだよ」
風間蓮が、愛槍『銀牙槍・改』を肩に担ぎ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて拓也を見下ろした。
「正面からぶつからず、受け流す。関節や起点を凍らせて動きを封じる。直接燃やさず、気流を操って間接的にぶった斬る。……そして、死角から防御の薄い部分だけを物理で砕く」
風間は、先ほどの戦闘で拓也が指示した「崩壊の騎士への対抗策」を、一言一句間違えずにそらんじてみせた。
「……俺たちは、世界最高峰の探索者だぜ? 天才指揮官殿が一度見せてくれた『完璧な正解』を、いつまでも覚えられないほど素人じゃねえ」
「風間さん……」
「その通りだ。……拓也くん、君の脳は、扉の奥にいる第一魔卿バエルを攻略するためだけに温存しておけ」
神宮寺が、大盾を構え直し、静かに闘志の炎を燃やし始めた。
「この大広間の五百の敵は……我々『極星のパーティ』だけで蹂躙する」
「……八咫烏、遊撃展開」
いつの間にか暗闇に溶け込んでいた不知火凛の声が、静かに広間に響く。
「オラァッ!! 行くぞ野郎ども!! 若大将に、俺たちの学習成果を見せつけてやれ!!」
レオンの咆哮と共に、極星の大人たちが一斉に大広間へと突撃した。
ズガァァァァァァァァァァンッ!!!!
広間に、凄まじい衝撃波と破壊音が響き渡る。
拓也は、瀬戸の治癒を受けながら、自身の右眼を使わずに、ただ左眼だけでその光景を見つめていた。
そこに展開されていたのは、息を呑むほどに美しく、そして完璧な「蹂躙劇」だった。
先頭に立つ神宮寺が、殺到する崩壊の騎士たちの大剣を、決して正面から受け止めず、盾の角度を絶妙に傾けてすべて「受け流す(パリィ)」。
火花が散るだけで、神宮寺の盾は一切風化しない。
「遅えよ、木偶の坊!」
神宮寺が弾いた騎士たちの足元へ、風間が神速のステップで潜り込み、槍から放つ冷気で「膝の関節」だけをピンポイントで凍結させる。
「消し飛びなァッ!!」
九条が、直接炎を当てるのではなく、大広間の空気を急激に熱して強烈な「上昇気流と真空刃」を発生させる。
目に見えない物理的な空気の刃が、魔力を分解しようと飛びかかってきた腐食の魔犬たちを、触れることなく次々と切り刻んでいく。
「オラァァァァァッ!!」
「粉砕だァァッ!!」
そして、凍結して体勢を崩した崩壊の騎士たちの「死角」へと、レオンの大剣とカルロスの戦斧が、コンマ一秒の狂いもなく叩き込まれる。
崩壊の波動を放つ暇も与えられず、騎士たちの巨体が内側から木っ端微塵に砕け散る。
「……すごい」
拓也は、その流れるような連携を前に、ただ呆然と呟くことしかできなかった。
指示は一切出していない。
それなのに、彼らはまるで一つの巨大な生き物のように、互いの死角をカバーし合い、敵の特性を完全に無力化する戦術を『自動』で実行しているのだ。
魔力を持たない少年が、血を吐くような努力で構築してきた「完璧な戦術」。
それが今、世界最高峰のSランク探索者たちという「最強の肉体」に完全にインストールされ、拓也の言葉なしでも自律駆動し始めた瞬間だった。
「……拓也くんが、皆さんに教えてくれたんです」
隣で結界を維持する瀬戸が、誇らしげに微笑みながら言った。
「個人の力だけで戦うのではなく、仲間の力を信じて繋ぐこと。……その強さを知った極星たちは、もう誰にも止められませんよ」
「……はい。本当に、最高のパーティです」
拓也は、痛みの引いていく頭を押さえながら、嬉しそうに目を細めた。
戦闘開始から、わずか十分足らず。
大広間を埋め尽くしていた五百体の崩壊の騎士と魔犬たちは、ただの一度も大人たちの武器を風化させることなく、すべて鉄屑と化して床に散らばっていた。
「ハッハッハ! どうだ若大将! 俺たちの連携、百点満点だっただろ!」
レオンが、大剣の砂埃を払いながら、自慢げに振り返って笑う。
「まったく、筋肉ダルマのペースに合わせるのは骨が折れるぜ」
九条が悪態をつきながらも、その顔には確かな達成感が滲んでいた。
「……皆さん。本当に、お見事です」
拓也は、瀬戸の手を借りてゆっくりと立ち上がり、大人たちへ向けて深々と頭を下げた。
脳の疲労は完全に抜けきってはいないが、彼らが稼いでくれた休息の時間のおかげで、再び右眼の『深層言語・限定解析』をフル稼働させるだけの余力は十分に取り戻せていた。
「さあ、案内してくれ、指揮官殿。……この扉の奥に、俺たちの最後の獲物がいるんだな?」
神宮寺が、大広間の最奥にそびえ立つ、漆黒の魔力が渦巻く巨大な扉を睨みつける。
「はい。……この奥が、第一魔卿バエルの玉座です」
拓也は、ゆっくりと扉の前へと歩み寄り、右眼の眼帯に手をかけた。
「俺の眼は、もう大丈夫です。……バエルの崩壊の力、そのすべてを俺が丸裸にしてみせます」
「頼もしいぜ。行くぞ、野郎ども!! 世界を崩壊させる引きこもりの王様を、玉座から引きずり下ろす時間だ!!」
カルロスの咆哮と共に、拓也が黒き扉に手を触れる。
ギギギギギギ……と、重々しい地鳴りを立てて、最終決戦への扉が開かれた。
地球を縛る最後の特異点。
最愛の姉の魂を解放するための、本当のラストバトル。
人類の希望を背負った少年指揮官と最強の大人たちは、一歩の躊躇いもなく、純粋なる破壊が支配する最後の玉座へと足を踏み入れた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
拓也の脳の限界を察知し、彼を休ませるために自ら戦術を体現した極星の大人たち。
彼らはもはや指示待ちの駒ではなく、拓也の戦術を完全に自分のものとして使いこなす「真の最強パーティ」へと成長していました。
そして、いよいよ次回。
第一魔卿バエルが待つ玉座へと足を踏み入れます!
最終決戦の幕開け、どうか最後までお見逃しなく!
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