第214話:絶対零度の玉座、第六魔卿グラキエスとの決戦
水晶の螺旋階段を上るたびに、周囲の空気が一段、また一段と鋭利に冷え込んでいくのが分かった。
第六魔卿グラキエスの居城、『水晶宮』の最上階へと続く道。
壁も天井も存在しない、南極の空へ向けて真っ直ぐに伸びたその階段の周囲では、狂ったような猛吹雪が渦を巻き、マイナス160度を優に超える「絶魔の冷気」が吹き荒れている。
だが、日米南米の極星たちと如月拓也の歩みは、決して止まらなかった。
鉄山厳が鍛え上げた極限耐熱・魔力炉心鎧『天照』。
拓也の背中に搭載されたバッテリーからは、九条炎樹と瀬戸玲奈の魔力が力強い熱となって循環し、どれほど外気が凍てつこうとも、彼の身体を春の陽気のような暖かさで守り抜いている。
「……見えました。この階段の終点です」
先頭を進む拓也が、静かに声を上げた。
螺旋階段を上り切った先に広がっていたのは、広大な円形の氷の舞台だった。
その最奥には、背後の空を突くような巨大な「黒氷の玉座」が鎮座している。
そして、その玉座に腰を下ろしている『存在』に、合同遠征軍の全員が思わず息を呑んだ。
「……あれが、第六魔卿」
風間蓮が、槍を握る手に力を込めながら低く唸る。
氷魔卿グラキエス。
その姿は、アマゾンで戦ったアスタロトのような巨大でグロテスクな化け物ではなかった。
透き通るような青白い肌に、星屑を散りばめたような銀色の長髪。
中性的で、息を呑むほどに美しい人間の姿をしている。
しかし、その瞳には一切の感情が宿っておらず、まるで底なしのクレバスを覗き込んでいるかのような、絶対的な「虚無」と「冷酷」だけが張り付いていた。
身に纏うのは、吹雪そのものを織り込んだような純白の衣。
グラキエスが玉座から静かに立ち上がると、それだけで空間そのものがキシキシと悲鳴を上げ、周囲の吹雪が完全に動きを止めた。
『……よくぞここまで上り詰めた、小さき命の灯火たちよ』
グラキエスの声は、どこまでも澄み切っていて、そして恐ろしいほどに冷たかった。
『自身の鏡像すらも乗り越えるとは。……君たちの結びつき(パーティ)とやらが、いかに強固なものであるか、この眼で確かに見せてもらった』
グラキエスは、何の感情も籠もらない瞳で、拓也たちを見下ろす。
『だが、それはひどく無駄な足掻きだ。……熱を持ち、寄り添い、絆を深める。それは、やがて失われる悲しみを増幅させるだけの、愚かな行為に過ぎない』
グラキエスが一歩、前へと歩み出る。
『絶対零度。……あらゆる分子の運動が停止し、時間すらも凍りつく世界。そこには、奪う者も奪われる者もなく、争いも悲しみも存在しない。完全なる「静寂」と「永遠」だけがある』
「……永遠の静寂だと?」
アメリカ最強のSランク、レオン・カーターが大剣を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべた。
「ふざけんな。テメェが言ってんのは、ただの『死』だ。……俺たちは生きて、笑って、飯を食って、明日を迎えるために戦ってんだよ!」
「その通りだぜ、氷のバケモノ! 命の熱さも知らねえ引きこもりに、世界を凍らせてたまるか!!」
南米の総司令カルロス・リベラが咆哮し、巨大な戦斧を構える。
『……理解できない。なぜ、自ら苦しみの輪廻を望むのか』
グラキエスが、微かに首を傾げた。
『ならば、その身をもって知るがいい。君たちの熱が、いかに儚く、無意味なものであるかを』
グラキエスが、白く細い指先をスッと前方へ向けた。
その瞬間。
拓也の右眼の『深層言語・限定解析』が、これまでにないほどの強烈な警告を脳内に叩き込んだ。
「皆さん、回避して!! 前方から、空間そのものが凍結します!!」
拓也の悲痛な叫びが響き渡る。
「オラァァァッ!!」
レオンとカルロスが、前方へ向けて同時に大剣と戦斧を振り下ろした。
物理的な破壊力で、迫り来る冷気を強引に打ち払おうとしたのだ。
だが。
ピキィィィィィィィィィンッ!!!
レオンとカルロスの放った凄まじい物理の衝撃波が、グラキエスの指先から放たれた見えない冷気に触れた瞬間。
衝撃波そのものが空中で「真っ白な氷の壁」へと変換され、完全に停止した。
「なっ……!? 衝撃波が凍っただと!?」
レオンが驚愕に目を見開く。
それは、ただの冷気ではない。
物理的な力、運動エネルギー、そして空間そのものを強制的に「停止(マイナス273度)」させる、本物の『絶対零度の概念』だった。
「下がれ、二人とも! コイツの氷は、俺たちで相殺する!」
風間と神宮寺蒼太が、即座に前に飛び出した。
彼ら二人は、南極に到着して以来、常に限界突破の魔力同調を行い、絶魔の環境を支配し続けてきた日本最高の氷使いコンビである。
「『絶氷領域』・完全同調!!」
風間の槍と神宮寺の大盾から、グラキエスに拮抗するほどの純度を持った絶対零度の冷気が爆発的に放たれ、迫り来る凍結空間に激突する。
ギギギギギギギギッ!!
二つの極限の冷気がぶつかり合い、空間が悲鳴を上げて歪む。
だが、拮抗したのはほんの数秒のことだった。
『……無駄だ。君たちの氷は、ただの「冷たい水」に過ぎない』
グラキエスが、さらに指先に魔力を込める。
パキィィィィンッ!!
「ぐあぁぁっ!?」
「くそッ……!!」
風間と神宮寺の放った絶氷の魔力が、グラキエスの圧倒的な概念の氷に飲み込まれ、完全に粉砕された。
二人は強烈な冷気のバックラッシュを受け、吹き飛ばされて氷の床を転がる。
「風間さん! 神宮寺さん!」
瀬戸が悲鳴を上げ、即座に治癒と保温の魔力を二人に送る。
「チッ、氷が駄目なら俺の炎で焼き尽くすまでだ!!」
九条炎樹が、両手に全魔力を集束させ、極大の炎を放つ。
「『極大殲滅魔法』ッ!!」
九条の放った超高温の業火が、グラキエスを飲み込もうと迫る。
しかし、グラキエスは一切動じることなく、ただ冷たい瞳でその炎を見つめただけだった。
シュゥゥゥン……。
九条の最強の炎が、グラキエスの周囲数メートルに到達した瞬間、まるでマッチの火が吹き消されるように、音もなく『消滅』した。
「なっ……!? 凍らせるどころか、俺の熱を完全に奪い去りやがった……!」
九条が、信じられないものを見るように両手を見つめる。
物理攻撃は凍結し、同属性の氷は押し負け、相反する炎は消滅する。
これが、第六魔卿グラキエスの真の力。
いかなる熱も、いかなる力も、いかなる魔術も通用しない、「絶対的な停止」を司る死の王。
『……これで理解できただろう。君たちの熱など、大いなる静寂の前では、瞬きほどの価値もない』
グラキエスが、ゆっくりと両手を広げる。
その背後に、巨大な水晶宮の全魔力を集束させた、超極大の『氷の槍』が何百本も生成されていく。
「マズいぞ……! あれを一斉に撃ち込まれたら、俺たちのスーツの魔力炉心ごと完全に凍結させられる!」
カルロスが、絶望的な光景を前に顔を歪める。
「八咫烏、死角からの奇襲は可能か!?」
レオンが背後の不知火凛に叫ぶが、不知火は悔しそうに首を振った。
「……駄目だ。奴の周囲には、極低温による『不可視の絶対防壁』が展開されている。近づいた瞬間に、我々の肉体が砕け散る」
あらゆる攻撃が通じず、防御すらも無意味な絶対零度の暴力。
極星の大人たちに、初めて「手詰まり」という言葉がよぎった。
だが。
その絶望的な静寂の中で、一人だけ、全く諦めていない人間がいた。
「……見つけた」
陣形の中央。
如月拓也は、右眼から一筋の血の涙を流しながらも、青く発光する瞳でグラキエスの『深層』を完璧に捉え続けていた。
グラキエスの圧倒的な魔力、空間そのものを停止させる絶対零度の構造。
その途方もない情報量を脳に直接ダウンロードし、処理し続けることで、拓也の脳神経は焼き切れんばかりの負荷を強いられていた。
しかし、三月の魂との共鳴が、彼の精神を強靭に保ち、決して視線を逸らすことを許さない。
「皆さん、聞いてください」
拓也の静かな、しかし確かな熱を帯びた声が、通信機を通じて全員の耳に届く。
「グラキエスは『絶対零度』を操っています。……あらゆる分子の運動が停止し、時間すら止まる究極の氷」
拓也は、真っ直ぐに氷の魔王を指差した。
「ですが、それは『外部』に放っている現象に過ぎない。……グラキエス自身が絶対零度なら、奴は魔法を放つことも、考えることも、動くこともできないはずです!」
その言葉に、ハッと全員が顔を上げる。
「俺の眼には見えています。……グラキエスが外部の空間を『停止』させるために、奴の体内の魔力回路は、逆に凄まじい速度で『運動』している。……つまり、奴の内部には、莫大な『熱(魔力)』が存在しているんです!」
「なるほど……! 外を凍らせるために、内側のエンジンはフル回転してるってわけか!」
レオンが大剣を握り直す。
「はい。そして、そのエンジンが最も熱を持ち、絶対零度の防壁に『極小の綻び(スキ)』ができる瞬間がある。……奴が、あれだけの巨大な魔法を『放つ瞬間』です!」
拓也の言葉と同時に、グラキエスが背後に展開した数百本の氷の槍を、一斉に合同遠征軍へ向けて放とうと腕を振り下ろした。
「今です!! 奴の胸の中心、魔力が集中している『心臓部』へ向けて、全火力を叩き込んでください!!」
拓也の絶叫。
それは、絶対に崩れないと思われた氷の魔王の、唯一の弱点を暴く号令だった。
「上等だァァァッ!! 若大将の眼が『隙がある』って言ってんだ! 信じてブチ込むぞ!!」
レオンとカルロスが、すべての筋力を解放して前へ飛び出す。
「風間! 奴の放つ槍の軌道を、俺たちの氷でほんの数秒だけ逸らすぞ!」
「応ッ!! 死ぬ気で同調しろ、オッサン!!」
神宮寺と風間が、限界を超えた魔力を振り絞り、放たれた氷の槍の群れに極寒の結界をぶつけて軌道を逸らす。
「俺の炎は、その装甲をぶち抜くためにある!!」
九条が、拓也の指示した「防壁の綻び」へ向けて、すべての魔力を込めた極細の炎のレーザーを放つ。
少年指揮官の眼が暴いた、コンマ一秒の絶対零度の隙間。
そこに向けられた極星たちの渾身の全火力。
氷魔卿グラキエスとの、真の死闘が今、極寒の玉座で火蓋を切った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
いかなる熱も物理も通用しない「絶対零度の概念」を操るグラキエス。
手詰まりかと思われた絶望の中で、拓也の眼が「外を凍らせるために、内側は激しく動いている」という矛盾(弱点)を完璧に見抜きました!
次回、極星たちの全火力がグラキエスの心臓部へ迫ります!
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