第213話:鏡幻の円舞曲(ワルツ)、極星の複製と戦術の死角
不知火凛率いる『八咫烏』の神速の刃が、最後の氷影の刺客の首を音もなく刎ね飛ばした。
カラン……と、乾いた氷の砕ける音が水晶の迷宮に響き渡り、やがて完全な静寂が訪れる。
「……周囲の魔力反応、完全に消失しました。迷宮エリアの突破、完了です」
陣形の中央で、如月拓也が青く発光する右眼の光をわずかに弱めながら告げた。
「ふぅ……。いくらスーツの中が暖かくても、見えない壁と暗殺者に神経をすり減らされるのは勘弁だぜ」
風間蓮が、張り詰めていた肩の力を抜きながら『銀牙槍・改』を軽く回す。
拓也の完璧なナビゲートと、壁を傷つけない八咫烏の精密な暗殺術。
その二つが見事に噛み合ったことで、合同遠征軍は自滅の罠が張り巡らされた鏡面の迷宮を、誰一人欠けることなく無傷で突破することに成功していた。
「若大将の眼には本当に恐れ入る。だが、ここから先はグラキエスの本丸だ。気を引き締めていくぞ」
神宮寺蒼太が大盾を構え直し、迷宮の終端に現れた巨大な氷の扉を睨みつける。
その扉は、これまでの透き通った水晶の氷とは異なり、漆黒の魔力を帯びた重厚な『黒氷』で構成されていた。
「玉座への入り口……いや、その前の『関所』といったところですね」
拓也が静かに扉の前に立ち、ゆっくりと手を触れる。
ギギギギギ……と、重々しい地鳴りのような音を立てて、黒氷の扉が自動で開け放たれた。
扉の先に広がっていたのは、これまでの狭い迷宮とは打って変わって、ドーム球場がすっぽりと収まるほどに広大な『円形のホール』だった。
床も、壁も、高い天井も、すべてが一寸の曇りもなく磨き上げられた巨大な鏡面で覆われている。
足を踏み入れた途端、背後の黒氷の扉が凄まじい勢いで閉ざされ、完全に密室となった。
「……いらっしゃい。よくぞここまで辿り着いたね、愚かで愛らしい人間たち」
突如として、広大な鏡面ホールの四方八方から、底冷えのするような中性的な声が響き渡った。
「グラキエス……!!」
レオン・カーターが大剣を構え、周囲の鏡を鋭く睨みつける。
「姿を見せやがれ、氷のバケモノ! 隠れんぼは迷宮でもうお腹いっぱいだぜ!」
南米の総司令カルロス・リベラが、巨大な戦斧を床に叩きつけて咆哮する。
『フフフ……野蛮な獣たちだ。だが、君たちのその無駄に有り余る暴力こそが、君たち自身を滅ぼす最高の毒になる』
グラキエスの冷酷な笑い声と共に、ホール全体を覆う巨大な鏡面が、水面のように波打ち始めた。
「拓也くん、鏡の中から莫大な魔力が膨れ上がってきます!」
瀬戸玲奈が、結界の杖を強く握りしめながら叫ぶ。
「皆さん、各々の鏡から離れて中央へ集まってください!」
拓也の指示で、日米南米のトップランカーたちが即座にホールの中心に円陣を組む。
直後。
波打つ鏡面の中から、ズルリ、ズルリと『何者か』が這い出してきた。
「……なっ!?」
風間が、驚愕に目を見開いて息を呑む。
「オイオイ、こいつは趣味の悪い冗談だぜ」
レオンもまた、信じられないものを見るように顔を引きつらせた。
鏡の中から現れたのは、全身が青白い氷で構成された『人間』たち。
しかし、その顔つき、体格、そして身に纏っている装備の形状は――。
「俺たちの『コピー』……鏡の複製か!」
九条炎樹が、忌々しげに牙を剥く。
レオンの姿をした氷の巨漢が、氷の大剣を肩に担いでいる。
カルロスの姿をした複製が、氷の戦斧を弄んでいる。
神宮寺、風間、九条、不知火、そして瀬戸まで。
鏡の中から現れた『氷の極星たち』は、オリジナルと寸分違わぬ武器を構え、無表情のままこちらを取り囲んでいた。
『君たちの強さは、その圧倒的な個の暴力だ。……ならば、自分自身と殺し合い、その身をもって己の暴力を味わうがいい』
グラキエスの声がホールに響き渡る。
「カッカッカ! 上等だ! 偽物の氷細工が、オリジナルの俺たちに勝てるわけがねえだろうが!!」
カルロスが豪快に笑い、自らのコピーへ向けて戦斧を振り下ろす。
「オラァァァァッ!!」
「……」
ガギィィィィィィンッ!!!
カルロスの全力の戦斧を、氷のカルロスが全く同じフォーム、全く同じ速度で振りかぶった氷の戦斧で受け止めた。
凄まじい衝撃波がホールに吹き荒れるが、両者の武器は互いに一歩も引かず、完全に拮抗している。
「なっ……マジかよ!? 俺の筋力と完全に互角だと!?」
カルロスが驚きに声を上げる。
「カルロス司令、下がって!」
九条が、カルロスの援護に極大の炎を放つ。
しかし、氷の九条もまた、全く同じタイミングで『青白い極寒の炎』を放ち、オリジナルの炎と空中で激突して完全に相殺してみせた。
「チッ、魔力出力まで完全に同じかよ!」
九条が舌打ちをする。
「レオン、右から来るぞ!」
「分かってる! オラァッ!」
レオンの大剣と氷のレオンの大剣が激突し、風間の槍と氷の風間の槍が火花を散らす。
鏡面ホールの中で、極星の大人たちと、その完璧なコピーによる「鏡合わせの死闘」が始まった。
だが、戦況はすぐにオリジナルの大人たちにとって不利なものへとなっていった。
「ハァッ……ハァッ……! クソッ、コイツら、俺の思考を先読みしてるみたいに動きを合わせてきやがる!」
風間が、自身の得意技であるフェイントを何度も見破られ、苛立ちの声を上げる。
「ただのコピーではありません。……鏡の迷宮のシステムを使って、皆さんの『ステータス(身体能力)』と『魔力出力のパターン』のデータを完全に読み取り、再現しているんです」
拓也は、右眼の『深層言語・限定解析』で、氷のコピーたちの内部で処理されている情報流動を視据えながら告げた。
「筋力、敏捷性、魔力量。すべてがオリジナルと完全に『同値』です。……このまま同じ相手と戦い続ければ、肉体的な疲労も精神の摩耗も知らない氷のコピーたちに、スタミナ勝負で押し切られます!」
「だが、どうする!? 自分のコピーを相手にしているだけで手一杯で、他の奴を援護する隙なんてねえぞ!」
神宮寺が、氷の神宮寺の強烈なシールドバッシュを耐え凌ぎながら叫ぶ。
大人たちが自身のコピーとの一騎打ちに釘付けにされている中、ホールの隅で、もう一つの異変が起きていた。
ズルリ……。
拓也の目の前の鏡から、彼自身のコピー――眼帯をした、小柄な氷の少年が現れたのだ。
「……俺のコピーも、いるんですね」
拓也は、静かに短剣『絶理の銀刃』を構えた。
氷の拓也は、無表情のまま氷の短剣を構え、拓也へ向かって飛びかかってきた。
しかし。
カキンッ。
拓也が軽く短剣を振っただけで、氷の拓也はあっさりと弾き飛ばされ、床を転がった。
「……えっ?」
拓也自身が、そのあまりの弱さに拍子抜けして固まる。
『な、なんだと……!? なぜ、その少年のコピーだけが異常に弱い!?』
グラキエスの声が、初めて戸惑いの色を見せた。
「……なるほど。そういうことですか」
拓也は、立ち上がろうとする氷の自分のコピーを見下ろし、小さく笑った。
「この水晶宮のコピーシステムは、対象の『魔力』や『身体ステータス』といった表面的な出力数値を読み取って再現する仕組みだ。……でも、俺は魔力を持たないただの凡人(Eランク)です」
世界最高峰の極星たちの中で、拓也の基礎ステータスは一般の非戦闘員と大差ない。
さらに、拓也の真の強みである『深層言語・限定解析』の眼は、魔法のように魔力を外へ放つスキルではない。膨大な視覚情報を、拓也自身の『脳』が経験と戦術的知識を駆使して処理することで初めて成り立つ能力だ。
システムがどれだけ外側の数値を読み取ろうとも、拓也の頭脳にある「戦術思考」や「判断力」といった目に見えない処理能力までは、鏡に映すことができなかったのだ。
「グラキエス。お前の作ったこのコピーシステムには、決定的な『バグ(死角)』がある」
拓也は、弱い自分のコピーを放置し、激闘を繰り広げる大人たちの中心へと進み出た。
「一つ目は、魔力を持たない俺の頭脳(システム外の力)をコピーできなかったこと」
拓也の右眼が、かつてないほど強烈な青白い閃光を放つ。
「そして二つ目は……彼らの『個の暴力』しかコピーできず、『パーティとしての連携』までは再現できなかったことです!」
拓也の声が、通信機を通じて全員の耳に届く。
「皆さん! 自分のコピーと戦うのはやめてください! 今から俺が指示するターゲットへ向けて、一斉に攻撃対象を『交換』します!」
「なるほど! 相手が自分自身のコピーだから拮抗するんだ。……別の奴のコピーを殴れば、戦術の相性で勝てるってことだな!」
レオンが、自身のコピーの攻撃を大剣で受け流しながら獰猛に笑う。
「行きます……! レオンさん、カルロス司令! お二人は互いの位置を入れ替え、レオンさんは氷のカルロスを、カルロス司令は氷のレオンを狙ってください!」
「「オラァァァァッ!!」」
拓也の号令と同時。
レオンとカルロスが、あえて自身の背中をコピーに晒すようにして交差した。
氷のレオンは、オリジナルのレオンを追撃しようと大剣を振り下ろすが、そこに割り込んできたのはカルロスの巨大な戦斧による「下からの突き上げ」だった。
ガァァァァンッ!!
レオンの攻撃パターンしかインプットされていない氷のレオンは、全く違う軌道と性質を持つカルロスの戦斧に対応できず、右腕を大きく砕かれる。
「風間さん、氷の九条さんの懐へ潜り込んで『物理攻撃』を! 九条さんは、風間さんのコピーを『炎の爆風』で吹き飛ばして!」
「ハッ! 魔術師の分身なんざ、俺の槍の間合いに入れりゃただの的だぜ!」
風間が、氷の九条が炎を放つよりも速く、神速の踏み込みでその胸部に槍の石突きを叩き込む。
「氷使いのコピーには、俺の炎で相性最悪の地獄を見せてやるよ!」
九条が、氷の風間の足元から極大の炎を噴出させ、空高く打ち上げる。
「神宮寺さん、打ち上がった氷の風間へシールドバッシュ! 瀬戸さんは、皆の背中を守るように結界を!」
「我が盾の前に、砕け散れェッ!!」
神宮寺が、空中の氷の風間へ向けて跳躍し、大盾の質量を叩きつけて粉々に粉砕する。
圧倒的なまでの蹂躙劇。
ステータスがどれほど完璧なコピーであろうと、彼らはただ個別の戦術を模倣しているだけの「人形」に過ぎない。
少年指揮官の完璧なナビゲートによって、即座にターゲットを切り替え、互いの死角をカバーし合う「最高峰のパーティ」としての連携を見せられた瞬間、氷のコピーたちの処理能力は完全に破綻した。
「……これで、終わりです」
拓也が指を鳴らす。
不知火率いる八咫烏の暗殺者たちが、体勢を崩した残りの氷のコピーたちの背後へ回り込み、魔力核を正確に切り裂いていった。
パキィィィン……!!
すべての氷のコピーが粉々に砕け散り、光の粒子となって消滅していく。
『ば、馬鹿な……。完全なる力の複製が、なぜこうもあっさりと……!?』
グラキエスの声が、信じられないというように震える。
「馬鹿はお前だ、氷の悪魔。……個人の強さだけで勝てるなら、俺は最初からこのパーティの指揮官なんてやってないんだよ」
拓也は、静かに短剣を鞘に収め、天井に向かって冷たく言い放った。
「俺たちは、互いの弱さを補い合い、最強の矛と盾になるために集まった『パーティ』だ。……お前みたいな孤独なバケモノに、俺たちの絆はコピーできない」
拓也の言葉に、レオンやカルロス、風間たちが誇らしげな笑みを浮かべ、神宮寺が深く頷く。
ゴゴゴゴゴ……!
ホールの中央に、上層へと続く巨大なクリスタルの螺旋階段が姿を現した。
「さあ、行こうぜ若大将。引きこもりの氷の王様を、玉座から引きずり下ろす時間だ」
レオンが大剣を肩に担ぎ、階段を見上げる。
己の力を複製されるという最大の試練すらも、揺るぎない信頼と連携で突破した合同遠征軍。
少年指揮官に導かれた極星たちは、いよいよ第六魔卿グラキエスが待つ水晶宮の最上階へと、その歩みを進めるのだった。
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