第212話:水晶宮への潜入、鏡合わせの迷宮と氷の刺客
猛烈なブリザードが吹き荒れていた南極大陸の空は、巨大な水晶のオベリスクが破壊されたことで、どんよりとした鉛色ながらも不気味なほどの静寂を取り戻していた。
マイナス162度という常軌を逸した「絶魔の冷気」は霧散したものの、ここは依然として生命を拒絶する極寒の死地であることに変わりはない。
しかし、鉄山厳が鍛え上げた極限耐熱・魔力炉心鎧『天照』に身を包んだ日米南米の合同遠征軍は、その寒さを微塵も感じることなく、真っ白な雪原を確かな足取りで踏み締めていた。
「……近くで見ると、さらに吐き気がするほどデカいな」
アメリカ最強のSランク探索者、レオン・カーターが大剣を肩に担ぎながら、眼前にそびえ立つ巨大な建造物を見上げて息を吐いた。
第六魔卿グラキエスの居城、『水晶宮』。
氷山を丸ごと一つ削り出して作られたかのようなその城は、壁も、柱も、巨大な扉も、すべてが青白く透き通る超高純度の「氷の水晶」で構成されている。
太陽の光など届かないはずの南極の空の下で、その城自体が冷たい光を放ち、見る者の心を芯から凍りつかせるような威圧感を放っていた。
「外壁に魔力の継ぎ目が一切ねえ。……文字通り、巨大な氷の塊を一つの城として『削り出した』ってことか。とんでもねえデタラメな魔力だぜ」
日本のトップ魔術師・九条炎樹が、忌々しげに舌打ちをする。
「ですが、入らないわけにはいきません。……あの城の最深部に、グラキエスの玉座があります」
如月拓也は、青く発光する右眼で水晶宮を真っ直ぐに見据えながら、静かに告げた。
彼の背中のバッテリーからは、九条と瀬戸玲奈の極上の魔力が熱となって供給され続け、少年指揮官の身体を絶対零度から完璧に守り抜いている。
「行くぞ。……どんな罠が待ち構えていようと、我らが矛と盾で道を切り拓くまでだ」
神宮寺蒼太が、重厚な大盾を構えて先頭に立つ。
彼らが城の巨大なエントランスに近づくと、分厚い水晶の扉が、まるで侵入者を歓迎するかのように、音もなく自動で左右に開いた。
「……ご丁寧なお出迎えだぜ。だが、中に入った途端にミンチにされるなんて三流の罠は勘弁してくれよ」
風間蓮が『銀牙槍・改』を油断なく構え、神宮寺の背後に続く。
合同遠征軍の面々が、警戒しながら水晶宮の内部へと足を踏み入れた。
その瞬間。
彼らの視界を、圧倒的なまでの「狂気」が襲った。
「なっ……なんだ、ここは!?」
南米の総司令カルロス・リベラが、思わず戦斧を構えたまま立ち止まる。
水晶宮の内部。そこは、広大なホール……のように見えた。
しかし、床も、壁も、天井も、すべてが鏡のように磨き上げられた純度の高い氷で構成されており、互いが互いを無限に反射し合っていた。
前を見ても、横を見ても、上を見ても。
どこまでも続く無限の回廊と、無数に反射して増殖した自分たち自身の姿が映し出されている。
上下左右の感覚が完全に喪失し、自分がどこに立っているのかすら分からなくなる、完全なる『鏡合わせの迷宮』であった。
「……チッ、目がチカチカしやがる。ただの鏡の迷路かよ!」
レオンが苛立ち任せに、目の前に広がっている「通路」に向かって一歩踏み出した。
ガァァァァンッ!!
「ぐおっ!?」
レオンの顔面が、何もないはずの空間に激突し、鈍い音を立てて弾き返された。
「おいおい、何もない空中で壁にぶつかりやがったぞ!?」
風間が驚きの声を上げる。
「物理的な透明の壁があるわけじゃありません。……空間そのものが歪められているんです」
陣形の中央から、拓也が冷静な声で警告を発した。
「この水晶宮の氷は、光の反射だけでなく、『魔力』や『空間座標』すらも反射して歪めています。……俺たちが目で見て『通路』だと思っている場所は、実は壁。逆に、『壁』に見えている場所が通路かもしれない。人間の視覚と方向感覚を完全に狂わせる、巨大な万華鏡の中です」
「空間座標まで反射してるだと? ふざけやがって、なら手当たり次第にこの壁を叩き割って真っ直ぐ進むだけだ!」
カルロスが怒りの咆哮を上げ、戦斧を力任せに横の壁へと叩きつけた。
ドガァァァァァァァンッ!!
凄まじい衝撃音が響き渡り、水晶の壁に亀裂が走る。
だが、次の瞬間。
「危ない、カルロス司令!!」
拓也が叫ぶ。
戦斧を叩きつけたのとは「全く逆の方向」にある壁の鏡面から、突如としてカルロスが放ったのと同じ威力の『戦斧の衝撃波』が飛び出し、カルロス自身の背後を強襲したのだ。
「なっ……!?」
カルロスが咄嗟に身を捻るが、衝撃波の余波を受けて大きく吹き飛ばされ、床を転がった。
「カルロスさん!」
瀬戸が慌てて治癒の魔力を送る。
「……いってぇな! なんだ今のは!? 俺の攻撃が、後ろから飛んできやがったぞ!」
カルロスが身を起こしながら、信じられないという顔で背後の壁を睨みつける。
「言ったでしょう、空間座標と魔力を反射していると」
拓也は、右眼の『深層言語・限定解析』をフル稼働させ、青いワイヤーフレームでこの狂気の迷宮の構造を解析し始めた。
「この迷宮内で放たれた物理的な衝撃や魔力は、壁の鏡面ネットワークを通じて吸収され、全く別の座標から『反射攻撃』として撃ち出されます。……力任せに壁を壊そうとすれば、自分の放った最大火力が、死角から自分自身に襲い掛かってくるシステムです」
「つまり、下手に暴れれば自滅するってことか。タチの悪いびっくり箱だぜ」
九条が、両手に集束させかけていた炎を忌々しげに消し飛ばした。
「……だが、こんな迷宮をどうやって進めばいい? 手探りで壁を触りながら歩くしかないのか?」
神宮寺が、大盾を構えたまま慎重に周囲を見渡す。
「いいえ。俺の眼には、空間の歪みの奥にある『本物の通路』が見えています」
拓也の青く発光する右眼。
どれほど光が反射し、空間が歪められていようとも、拓也の『深層言語・限定解析』は、氷の壁の中を流れる「魔力の配線」を正確に視抜いていた。
魔力が通っている場所が壁であり、魔力が通っていない空白の座標が、本物の通路である。
「俺が、幻影に惑わされない正しいルートを指示します。……皆さん、俺の歩いた足跡だけを正確にトレースしてついてきてください」
「ハッ、相変わらず頼りになるぜ若大将! テメェの眼がカーナビなら、どんな迷路も一本道だ!」
レオンが笑い、拓也の背後にぴたりとつく。
拓也を先頭に、合同遠征軍は一列になって、鏡合わせの迷宮をジリジリと進み始めた。
目の前に壁があるように見えても、拓也が躊躇なくそこへ足を踏み入れると、壁は幻影のようにすり抜け、本物の通路が現れる。
逆に、何もない広大な空間に見える場所でも、拓也が急に立ち止まって迂回すれば、そこには透明な超硬度の水晶壁が存在していた。
「……すげえな。視覚情報と実際の空間が完全にチグハグだ。テメェの眼がなけりゃ、一生ここで迷子になって餓死してたぜ」
カルロスが、周囲の無限の反射に酔いそうになりながらも、拓也の背中だけを頼りに進む。
しかし、グラキエスの居城が、ただの迷路で終わるはずがなかった。
「……皆さん、止まって!」
迷宮を数百メートルほど進んだところで、拓也が不意に足を止め、短剣『絶理の銀刃』を引き抜いた。
「どうした、指揮官殿? 行き止まりか?」
風間が背後から声をかける。
「違います。……『来ます』。周囲の鏡面から、敵の魔力反応が急接近しています!」
拓也が警告を発した瞬間。
彼らを取り囲む無限の鏡の中から、一切の音もなく、青白い氷の刃を持った『半透明の暗殺者』たちが何十体も飛び出してきた。
水晶宮の防衛機構、『氷影の刺客』。
彼らは迷宮の鏡面を自由に潜り抜け、光の屈折を利用して完全に姿を消すことができる、極北の暗殺部隊だった。
「チッ、鏡の中から奇襲かよ! だが、姿が見えたならこっちのモンだ!」
レオンが大剣を振り被る。
「駄目です、レオンさん! 壁を壊さないで! 攻撃するなら、壁に当てずに『敵の本体』だけを精密に狙う必要があります!」
拓也が叫ぶ。
壁に攻撃が当たれば、その威力が反射して自軍に跳ね返ってくる。
つまり、この狭い鏡の迷宮内では、レオンやカルロス、九条が得意とする「広範囲の破壊攻撃」は事実上封印されているに等しかった。
「……フッ。なるほど、力任せの破壊が封じられた暗殺空間。ならば、我々の出番だな」
レオンとカルロスの前に、スッと影のように進み出たのは、日本の暗殺部隊『八咫烏』を率いる不知火凛だった。
「八咫烏、抜刀」
不知火の静かな号令と共に、十数名の黒装束の暗殺者たちが、魔力を一切帯びない純粋な刃を引き抜く。
「……我々が、壁に傷一つつけず、敵の急所のみを穿つ。……指揮官殿、敵の『本体』の座標を」
不知火が、前傾姿勢をとりながら拓也へと視線を送る。
氷影の刺客たちは、無数に反射して何百体にも見えているが、その大半はただの鏡の幻影だ。
「……了解です! 左十時の方向、上から三番目の影! 右二時の方向、床に映った影!」
拓也の右眼が、幻影の中から魔力を持った『本物』だけを瞬時に見抜き、座標を特定していく。
「……刈り取れ」
シュババババッ!!
不知火と八咫烏の面々が、神速で迷宮を駆け抜ける。
彼らの刃は、水晶の壁を傷つけることなく、拓也が指示した「本物の刺客」の首や魔力核だけを、コンマ一秒の狂いもなくピンポイントで切断していった。
音もなく崩れ落ちる氷の刺客たち。
壁への反射ダメージを一切発生させない、極限まで洗練された暗殺術の極致。
「お見事です、不知火さん!」
瀬戸が、その鮮やかな手際に感嘆の声を上げる。
「……我々は、こういう日陰の仕事しかできんからな」
不知火は、刀の氷の欠片を振り払い、静かに鞘へ収めた。
「ハッハッハ! 謙遜すんなよ凛のネエチャン! 力押しが駄目なら精密作業、広範囲が駄目ならピンポイント。……俺たち合同遠征軍に、死角なんてねえってことだ!」
風間が、嬉しそうに槍を回す。
「ええ。皆さんの力があれば、この狂った迷宮も確実に攻略できます。……アスタロトの玉座は、この迷宮の最上階です」
拓也は、再び青く発光する右眼で迷宮の奥を見据え、歩みを進める。
視覚を欺き、攻撃を反射する水晶宮の罠。
しかし、少年指揮官の絶対的な『眼』と、それに完璧に応える大人たちの多彩な戦力が組み合わさった時、どんな理不尽な迷宮も、彼らを止める壁にはなり得なかった。
極寒の城の最深部を目指し、極星たちの快進撃はさらに続いていく。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
視覚と空間を狂わせ、攻撃を反射する「水晶宮」のギミック。
力押しの破壊が封じられた中で、不知火凛率いる『八咫烏』の精密な暗殺術が光りました!
合同遠征軍の多彩な戦力が、迷宮の罠を次々と打ち破っていきます。
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