第210話:死の猛吹雪と水晶獣、不可視の雪中行軍
マイナス162度。
あらゆる生命活動を停止させ、魔力すらも物理的な「氷」へと上書きしてしまう、第六魔卿グラキエスが支配する絶対零度の南極大陸。
視界を数メートルにまで奪う猛烈な魔力嵐が吹き荒れる中、日米南米の合同遠征軍は、透明な『絶対零度の防壁』に守られながら、雪原をジリジリと進んでいた。
「……ッ、ハァ……ハァ……!」
陣形の先頭で、風間蓮と神宮寺蒼太が、額に汗を滲ませながら魔力を放出し続けている。
彼らは、瀬戸玲奈が展開した結界の表面に、自らの『絶氷領域』を完全に同調させていた。
外気温よりもさらに純度の高い、絶対的で完璧な「氷の魔力」で結界をコーティングすることにより、グラキエスの『絶魔の氷』による侵食をギリギリで防ぎ切っているのだ。
「すまねえな、指揮官殿。……この結界の維持に全力を注いでる間は、俺とオッサンの二人は、攻撃に回る余裕がねえ」
風間が、歯を食いしばりながら苦笑いを浮かべる。
「十分すぎるほどの働きだ、風間。……我々がこの空間を維持している間に、周りの雑魚は他の連中に一掃してもらおう」
神宮寺もまた、重厚な大盾を構え、結界の構造を安定させることに全神経を集中させていた。
「ええ、問題ありません。……二人が作ってくれたこの『動く安全地帯』があれば、俺たちはいくらでも戦えます」
陣形の中央で、如月拓也は青く発光する右眼の『深層言語・限定解析』を猛吹雪の向こう側へと向けていた。
鉄山厳が打ち上げた極限耐熱・魔力炉心鎧『天照』。
拓也の背中に搭載されたバッテリーから、九条と瀬戸の極上の魔力が熱となって循環し、絶対零度の環境から彼を完全に守り抜いている。
寒さによる震えも、思考の低下も一切ない。
「……前方、距離二十メートル! 猛吹雪に紛れて、無数の魔力反応が急接近してきます!」
拓也の鋭い声が、通信機を通じて全員の耳に届く。
「形状は狼に似た四足歩行、数は三十! 敵は環境と同化した『水晶の氷獣』……光学迷彩のように吹雪に溶け込んでいます!」
「ハッ! 見えなかろうが関係ねえ! テメェの眼が捉えてるなら、そこに向かってぶった斬るだけだ!」
アメリカ最強のSランク、レオン・カーターが、ドーム状の結界のギリギリ縁に立ち、巨大な魔剣を大上段に構える。
「南米のジャングルじゃあ、俺たちの物理攻撃を適応して防ぎやがったが……こいつらも同じように硬えのか、若大将!?」
カルロス・リベラが、巨大な戦斧を振り回しながら尋ねる。
「いえ、敵はただの純粋な『氷の塊』です! アスタロトのような超適応はありません! 純粋な物理的破壊で粉砕できます!」
「なら話はえれえ簡単だぜ!! オラァァァァッ!!」
レオンとカルロスが同時に得物を振り抜き、結界の外側へと凄まじい衝撃波を叩き込んだ。
ガシャァァァァァァンッ!!
猛吹雪の中、見えないはずの空間で、巨大なガラスが砕け散るような派手な音が響き渡った。
拓也の指定した座標をコンマ一秒の狂いもなく攻撃したことで、襲い掛かってきていた『水晶の氷獣』たちが、結界に触れる前に文字通り粉々に粉砕されたのだ。
「カッカッカ! 手応えが軽すぎるぜ! これなら何百匹来ようが散歩みてえなもんだ!」
カルロスが豪快に笑う。
だが、拓也の右眼は、砕け散った氷獣たちの『魔力の残滓』が消えていないことを正確に捉えていた。
「……カルロス司令、油断しないでください! 砕け散った氷の破片が、吹雪を接着剤にして再結合しようとしています!」
「なんだと!?」
拓也の言葉通り、雪原に散らばった無数の氷の破片が、まるで意志を持っているかのように集まり、再び狼の形へと組み上がっていく。
「チィッ! アマゾンの植物どもと同じで、無限再生のギミック持ちかよ!」
レオンが忌々しげに舌打ちをする。
「どうする指揮官殿!? また中枢のコアを俺の炎で焼くか!? ……いや、結界の外に出た瞬間に、俺の炎は凍らされちまう!」
日本のトップ魔術師・九条炎樹が、焦燥に駆られたように声を上げる。
自身の最大の武器である『炎』を封じられている九条にとって、この南極大陸は最も相性の悪い最悪の戦場であった。
「九条さん、敵には『個別のコア』が存在していません。奴らはこの吹雪そのものから生み出される、ただの環境の傀儡です。……大元を断つには、この吹雪を発生させている『魔力の中継塔』を破壊するしかない」
拓也は、視界のレンジをさらに広げ、猛吹雪の奥深くを解析した。
「……ここから真っ直ぐ前方、距離三百メートル! そこに、この一帯のブリザードを制御している『巨大な水晶のオベリスク』があります! あれを壊せば、再生は止まる!」
「三百メートルか! この再生し続ける氷の狼どもを掻き分けながら、そこまで進軍しなきゃならねえってことだな!」
カルロスが戦斧を構え直す。
「ですが、倒しても数秒で再生する敵を相手に、三百メートルも歩みを進めるのはジリ貧になります。……物理攻撃で粉砕した直後、破片が再結合する前に、遠くへ『吹き飛ばす』必要があります」
拓也は、そこでクルリと九条の方を振り返った。
その眼帯の下の青い瞳は、世界最高の魔術師のプライドを完璧に信頼していた。
「九条さん。炎の『熱』が凍らされるなら、熱を伴わない『純粋な爆風(衝撃波)』だけを放つことはできますか? 結界の内側で空気を極限まで圧縮し、敵が粉砕された瞬間に、物理的な空気の弾丸として撃ち出すんです」
「……炎の熱を捨てて、爆発の『衝撃』だけを飛ばせだと?」
九条は一瞬目を丸くしたが、すぐに不敵な、そして悪魔のような笑みを浮かべた。
「ハッ! 誰に口を利いてるんだ、若大将。炎の燃焼に伴う気体の急激な膨張……そのコントロールなんて、俺に言わせりゃ初歩の初歩だぜ。熱が使えねえなら、大砲の代わりになってやるよ!」
「不知火さん! 『八咫烏』は、九条さんの爆風で吹き飛んだ氷の破片を、魔力を通さない特殊な楔で地面に縫い止めてください! 再結合までの時間を限界まで稼ぐ!」
「……承知した。八咫烏、封殺陣形」
不知火凛の静かな号令と共に、暗殺者たちが手裏剣やクナイといった物理的な暗器を手に、即座に散開する。
「風間さんと神宮寺さんは、絶対に結界を解かないでください。……行きます、全軍前進!!」
拓也の号令を皮切りに、合同遠征軍の「不可視の雪中行軍」が再開された。
「前方、十時と二時の方向! 敵数、四十!」
「オラァァァッ! 砕けろォォッ!!」
レオンとカルロスが、結界の縁から大剣と戦斧を振り回し、迫り来る見えない水晶獣たちを次々と粉砕していく。
「九条さん、今です!」
「吹き飛びなァッ!! 『不可視の空砲』ッ!!」
九条が両手を突き出し、炎の熱を完全に排除した純粋な「爆発の衝撃波」だけを放つ。
マイナス162度の外気でも凍ることのない物理的な空気の弾丸が、レオンたちによって粉砕された氷獣の破片を、数百メートル先へと豪快に吹き飛ばした。
シュパパパパパンッ!!
吹き飛んだ破片が雪原に落ちるか落ちないかの瞬間に、不知火率いる『八咫烏』が放った無数の暗器が、破片を地面の分厚い氷へと深々と縫い付ける。
物理破壊、衝撃波による撹乱、そして物理的な封殺。
魔法が凍らされる絶対零度の環境において、それぞれが自身の「専門外」の戦い方を強いられながらも、拓也の指揮のもとに完璧な歯車として噛み合っていた。
「……すげえ。本当に、ただの化け物の集まりだな、アンタら」
結界の維持に集中している風間が、その流れるような連携を見ながら、呆れたような、それでいて誇らしいような笑みをこぼす。
一歩、また一歩。
無限に襲い掛かる水晶獣の群れを弾き飛ばし、封殺しながら、極星の大人たちは猛吹雪の中を確実な足取りで進んでいく。
そして、過酷な行軍の末。
「……見えました! 前方、距離二十メートル! あの巨大な氷の柱が、ブリザードの発生源です!」
拓也が指し示した先。
猛吹雪のベールの向こう側に、高さ数十メートルにも及ぶ、禍々しくも美しい『巨大な水晶のオベリスク』がそびえ立っていた。
オベリスクの表面には、複雑な魔力回路が青白く脈打っており、周囲の空間から熱を奪い、猛烈な冷気の嵐へと変換して吐き出し続けている。
「……やっと見つけたぜ。あのデカブツを叩き割れば、この目障りな吹雪も止まるんだな!」
レオンが、大剣を肩に担ぎ直して獰猛に笑う。
「待ってください、レオンさん! あのオベリスクの装甲は、水晶獣とは比べ物にならない密度です。半端な物理攻撃では、弾き返された瞬間に武器の金属が冷気で脆化して砕かれます!」
拓也が鋭く制止する。
「なら、どうやって壊すんだ!? オッサンたちの氷の魔術は、結界の維持で手一杯だぞ!」
カルロスが焦ったように叫ぶ。
「……俺が行きます」
拓也は、腰のホルスターから、一本の短い銀の刃――『絶理の銀刃』を静かに引き抜いた。
「皆さんがここまで繋いでくれた道です。……最後は、俺の眼と、この刃で終わらせる」
少年指揮官の青く澄んだ右眼が、猛吹雪の中でひと際強く、冷徹な光を放つ。
絶対零度のオベリスクを穿つため、魔力を持たないただの凡人が、極星たちの中心から真っ直ぐに跳躍した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
炎が使えない九条が、純粋な「爆風の衝撃波」で支援に回るという、極限環境ならではの熱い連携が描かれました!
そして、吹雪の元凶であるオベリスクの前に辿り着いた一行。
次回、拓也の『絶理の銀刃』が絶対零度の柱を穿ちます!
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