第138話:帰還の決断、絶対の盾が護るべき背中
(神宮寺蒼太・視点)
第九層『焦熱の機械遺跡』。
あの強固な機械兵の部隊を全滅させた後も、地下空間を満たす暴力的な熱波は一向に収まる気配を見せなかった。
瀬戸が展開する『白銀杖・六花』の冷却防壁の中にいても、じっとりと汗が噴き出してくる。
日本最高峰のプロ探索者として数え切れないほどの死地を潜り抜けてきた俺だが、この階層の異常性は群を抜いていた。
魔獣の強さ以上に、環境そのものが探索者の体力と精神を削り殺しに来ているのだ。
「……ふぅ。これで周囲の熱源反応は完全に消えました」
パーティの先頭に立つ少年、如月拓也が短剣『絶理の銀刃』を鞘に収め、小さく息を吐いた。
機能性を重視した強靭な探索用のインナーと軽装の防具。まだ学生の彼にとって、この重圧と熱波は俺たち大人以上に堪えているはずだ。現にその呼吸は浅く、装備の隙間からは大粒の汗が流れ落ちている。
だが、振り向いた少年の瞳――『解析』の青い光を宿したその眼差しには、一切の濁りも疲労によるブレもなかった。
「風間さん、神宮寺さん、瀬戸さん。今回の探索はここまでです。地上へ帰還しましょう」
拓也の静かな宣言に、外見の割に血の気の多い風間が、銀牙槍を肩に担いで不満げに鼻を鳴らした。
「あん? もう帰るのか? オレはまだピンピンしてるぜ。この奥まで、一気にブチ抜いてやろうじゃねえか」
確かに、風間の言う通り俺たちの身体にはまだ戦えるだけの余力があった。だが、拓也は静かに首を横に振った。
「ダメです。戦術の基本は『余力を残しての撤退』です」
拓也は状況を冷徹に分析し始める。
「まず、瀬戸さんの魔力残量が全体の三割を切っています。この熱波の中で防壁を維持し続ければ、次の階層へ降りる前に魔力枯渇を起こす。それに、神宮寺さんの大盾も、先ほどの高熱の鉄槌を受けたことで表面の魔力コーティングが著しく消耗しています。俺自身の集中力も、これ以上の深層言語の連続使用はエラーを引き起こすリスクが高い」
淡々と事実を並べるその横顔を見て、俺は思わず口元を綻ばせた。
迷宮の深層に潜る探索者が最も陥りやすい罠。それは「深層酔い」と呼ばれる判断力の低下だ。
強敵を倒した高揚感と、先へ進みたいという焦りが、致命的なリソース不足を見落とさせる。
だが、この少年にはそれが一切ない。
どんなに狂気的な目的を胸に秘めていようと、盤面を支配する指揮官としての頭脳は常に氷のように冷え切っているのだ。
「なるほど、おっしゃる通りだ。この過酷な環境下で、不十分な装備のまま野営を張るのも自殺行為に等しいからな」
俺が同意すると、拓也は深く頷いた。
「はい。ここはまだ中層の入り口に立ったばかりです。無理をして命を散らすより、一度地上に戻って最高級の宿で身体の芯から休め、手に入れた素材で装備を最適化する。それが最も確実で、最も早い攻略法です」
「……チッ。しゃあねえな。指揮官殿がそこまで言うなら、従うのがアタッカーの役目だ」
風間も肩をすくめ、槍を背中に収めた。
「ありがとうございます。それでは――鉄山さんのポータルを起動します」
拓也がインベントリから取り出したのは、俺たちのバックアップである鉄山厳が特製したポータルキーだった。
それを床の石板に設置し、拓也が魔力を流し込むと、空間がぐにゃりと歪み、俺たちの身体を包み込む青白い光のゲートが出現する。
ゲートへと足を踏み入れた瞬間、第九層の灼熱が嘘のように消え去り、俺たちの身体は一瞬にして地上の冷たい空気へと引き戻された。
◆ ◆ ◆
迷宮の外へと帰還した俺たちは、その足で裏路地にひっそりと佇む鍛冶工房『黒鉄堂』へと向かった。
如月家を守る警護組織『護民の盾』の創設者であり、俺たちの武具を打った張本人でもある鉄山の拠点だ。
カラン、と重い扉を開けて中に入ると、奥の炉の前で腕組みをしていた巨漢の男が振り返った。
「おう、戻ったか。……随分とヒリついた匂いをまとってやがるな。どこまで潜ってきた?」
「第九層です。鉄山さん、新しい素材を持ち帰りました」
拓也がリュックを下ろし、机の上にゴトリと、内側から激しい赤黒い光を放つ奇妙な魔石を六つ並べた。
それを見た瞬間、鉄山の鋭い眼光が見開き、口にくわえていた葉巻がポロリと落ちた。
「……おいおいおい。何だこりゃあ。ただの魔石じゃねえな……まるで溶岩の塊がそのまま結晶化したみたいに、凄まじい熱量を内包してやがる。こんな質感の素材、俺も初めて見るぞ」
鉄山が手袋をはめた手で慎重に魔石を拾い上げ、鍛冶師としてのぎらついた目で解析し始める。
「第九層にいた、全身が鋼の装甲で覆われた機械の巨人から手に入れました。内部の炉心が熱源になっていたようです」
「なるほど、外殻の鋼にこの熱量を閉じ込めて動いてやがった訳か……。お前ら、よくこんなバケモノを仕留めて無事に帰ってきたな」
「外側の装甲が硬かったので、排熱口を凍らせて内側から自爆させました。神宮寺さんの盾と風間さんの槍、それに瀬戸さんの防壁があったからこその戦果です」
こともなげに言う少年に、鉄山は呆れたように頭を掻きむしった。
「相変わらずの無茶苦茶な盤面支配だな。……だが、これだけ極上の熱源素材があれば、お前らの武具に『環境適応』の機能を組み込める。これからの深層探索には必須のチューンナップになるぜ」
「お願いします。……それと、俺の短剣も少し刃こぼれが。次の階層では、もっと硬い魔力回路を切断することになるはずですから」
「任せトけ。明日の夜には、お前らの装備をもう一段階上のバケモノに仕上げてやる」
鉄山と拓也のやり取りを眺めながら、俺はふと、少年の横顔を見つめた。
強大な敵を倒し、未知の素材を持ち帰っても、彼に浮かれた様子はない。
彼の視線は常に、まだ見ぬ深層――魂を失い眠り続ける姉を救い出す、その地獄の底だけを見据えている。
「さて、拓也殿。我々はイージスが手配してくれた特等室の宿へ向かおう。君の言う通り、フカフカのベッドと温かい食事で、疲労を完全に抜くのが今の最優先任務だからな」
「はい。神宮寺さんたちも、ゆっくり休んでください」
宿へ向かう道すがら、夜空を見上げる拓也の背中は、やはりどこまでも小さく、そして痛々しいほどに真っ直ぐだった。
凡人の彼が背負うには、あまりにも重すぎる使命。
(だからこそ、俺が護るのだ。この少年の歩みが、深淵の底へ辿り着くまで)
俺は、絶対の盾としての誓いを新たに胸に刻み、少年の背中の後ろを静かに歩き続けた。
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