第137話:焦熱の機械遺跡、灼熱を喰らう絶対零度
第八層の最奥に開かれた、重厚な石の階段。
一歩下るごとに、肌を刺すような青白い魔力の靄が薄れていく代わりに、下層から生暖かい風が吹き上げてくるのを感じた。
いや、生暖かいなどという生易しいものではない。
肺に吸い込むだけで喉が焼け焦げそうになるほどの、暴力的な『熱波』だ。
「……空気が、ひどく乾燥してやがる。息をするだけで喉がカラカラだぜ」
風間蓮が、苛立たしげに首筋の汗を拭いながら『銀牙槍』を肩に担ぎ直した。
「瀬戸さん、冷却防壁の出力は足りていますか?」
「はい、拓也殿。ですが、先ほどの第八層での魔力重圧とは全く別ベクトルの負荷です。……物理的な熱量が、尋常ではありません」
瀬戸玲奈が、額に滲む汗を拭いながら『白銀杖・六花』を両手で強く握りしめる。
杖の先端から放たれる清浄な冷気が、四人の周囲にドーム状の冷却空間を作り出しているものの、その外側では空気が陽炎のように揺らめいているのがはっきりと見えた。
やがて階段を下りきった彼らの視界に飛び込んできたのは、赤黒く染まった異様な地下空間だった。
『焦熱の機械遺跡』。
見渡す限り続く巨大な岩窟の中には、溶岩が川のようにドロドロと流れ、無数の巨大な歯車や鉄のパイプが壁面を這い回っている。
ゴウン、ゴウンという地鳴りのような機械音が空間全体に響き渡り、所々にある排気口からは、超高熱の蒸気が凄まじい勢いで噴き出していた。
「魔法陣の次は、地下の巨大工場か。迷宮ってのは、どこまで俺たちを驚かせれば気が済むんだか」
神宮寺蒼太が、大盾『絶氷大盾・銀嶺』を構えながら周囲を油断なく見渡す。
フェンリル・ロードの魔石が組み込まれた『銀嶺』からは強烈な冷気が放たれており、瀬戸の防壁魔法と合わさって、かろうじてこの灼熱地獄での活動を可能にしていた。
(……この熱。普通なら数分で脱水症状を起こして倒れるレベルだ)
拓也は、短剣『絶理の銀刃』の柄に手を添えながら、揺らめく溶岩の川を見つめた。
鉄山厳が創設した警護組織『護民の盾』のおかげで、探索者協会など外部からの物理的な脅威は完全に遮断されている。
しかし、両親は今も鉄山の極秘医療施設で、ピクリとも動かない姉の傍らに寄り添い、悲痛な面持ちでその手を握り続けているはずだ。
かつては食卓を囲んで笑い合えていた日常は、姉が植物状態になったあの日から完全に失われてしまった。
(姉ちゃんは、こんな灼熱の地獄よりも、もっともっと深い場所まで一人で潜っていったんだ)
迷宮第三十五層。
この第九層の熱波など比較にもならないほどの、絶対的な絶望と恐怖が支配する領域。
そこで規格外のバケモノの魂を喰らい、その代償として、自らの魂を空っぽにしてしまった姉。
悲しみに暮れる家族へ笑顔を取り戻すために、すべてを蹂躙して抜け殻となった姉の魂を取り戻す。
そのためなら、この程度の熱など、拓也の歩みを止める理由には一ミリもなりはしない。
「熱源反応、接近してきます! 正面、および左右の通路から!」
拓也の瞳に宿る『深層言語・限定解析』の青い光が、周囲の岩陰や蒸気の向こう側に潜む敵の姿を正確に捉えた。
青いコードの世界で視るそれらは、魔獣というよりは『歩く溶鉱炉』だった。
ズン……ズン……!
地響きと共に姿を現したのは、全身を赤熱した分厚い鋼の装甲で覆い、身の丈三メートルを超える機械の巨人――『イグニス・オートマタ(業火の機巧兵)』たちだった。
その数は計六体。
頭部には目はなく、代わりに赤々と燃え盛る炉心の光がスリットから漏れ出している。手には、それ自体が超高熱を帯びた巨大な鉄槌が握られていた。
「物理特化のバケモノか。……だが、こちとら氷属性のオンパレードだ。相性は悪くねえ!」
風間が獰猛に笑い、神速の踏み込みで先陣を切る。
「消し飛べッ!」
風間が放った『銀牙槍』の鋭い突きが、先頭のイグニス・オートマタの胸部装甲へ向けて一直線に伸びる。
極低温を圧縮した一撃。
だが。
シュゥゥゥゥッ!!!
「なっ……!?」
風間の槍が敵の装甲に触れる直前。オートマタの全身から凄まじい超高熱の蒸気が噴出し、銀牙槍の冷気を一瞬にして相殺・蒸発させてしまったのだ。
冷気を失ったただの物理的な刺突は、分厚い鋼の装甲にガキンッ!と弾き返される。
『ギ……ガガ……』
機械兵が、反撃とばかりに巨大な鉄槌を振り下ろす。
「風間、下がれ!」
神宮寺が前に躍り出、大盾『銀嶺』でその鉄槌を真っ向から受け止めた。
ドゴォォォォンッ!!
すさまじい衝撃と同時に、鉄槌の熱と銀嶺の冷気が激突し、水蒸気爆発のような凄まじい爆風が周囲に巻き起こる。
日本トッププロの神宮寺ですら、その圧倒的な質量と熱量に靴底を滑らせ、数メートル後退した。
「硬い上に、あのふざけた熱量だ。こちらの冷気攻撃を、触れる前に蒸発させて威力を殺しにきているぞ!」
神宮寺が、盾越しに敵を睨みつけながら叫ぶ。
「チッ、近づくこともできねえなんて、ふざけたストーブ野郎だぜ!」
風間が舌打ちをする。
敵は六体。彼らは統率された動きで包囲網を狭め、圧倒的な暴力と熱量で拓也たちをすり潰そうと距離を詰めてくる。
瀬戸の冷却防壁も、これほどの熱量を間近で受け続ければ、いずれ魔力切れを起こすのは火を見るより明らかだった。
だが、後方から盤面を俯瞰している少年指揮官の瞳は、焦りとは無縁の冷徹な青色に輝いていた。
「風間さん、神宮寺さん。焦る必要はありません。相手の装甲が厚く、外に熱を逃がして防御しているなら……『逃げ道』を塞いで、自滅させればいいんです」
拓也の『解析』は、すでにイグニス・オートマタの内部構造を完全に丸裸にしていた。
あの分厚い装甲の内部では、炉心の超高熱が自身の回路を焼き切らないよう、冷却水に似た魔力液体が絶えず循環している。
そして、その熱を外へ逃がすための『排熱口』が、背中の装甲の隙間に存在していた。
「敵の背中、肩甲骨のあたりに三つのスリット(排気口)があります! 敵の防壁(蒸気)は正面に集中している。風間さん、背後に回り込んで、そのスリットへ銀牙槍の冷気を直接叩き込んでください! 破壊じゃなく、『凍結』させて塞ぐんです!」
「なるほど……熱を閉じ込めて、中からこんがり焼いてやるってことだな! 最高に性格の悪い戦術だぜ、指揮官殿!」
拓也の意図を即座に理解した風間が、蒸気の晴れ間を縫うようにして、地を這うような低い姿勢で敵の側面へと駆け抜ける。
「神宮寺さん! 敵の意識を正面に釘付けにして!」
「任せろ! 貴様らの相手はこの俺だァッ!」
神宮寺が大盾を打ち鳴らし、敵のヘイトを一身に集める。
三体のオートマタが、一斉に神宮寺へ向けて高熱の鉄槌を振り上げた。
その瞬間。
「お留守だぜ、鉄クズどもッ!」
完全に背後を取った風間が、銀牙槍の穂先から極低温の冷気を放ちながら、敵の背中にある三つのスリットを的確に突き刺した。
対象を破壊するのではなく、穴を塞ぐための局所的な凍結。
プシュゥゥゥッ……と鈍い音を立てて、オートマタの排熱口が分厚い氷で完全に封鎖される。
『ガ……? ピィィィィィィッ!!!』
直後、機械兵たちの内部から、けたたましい警告音が鳴り響いた。
排熱を封じられたことで、内部の炉心が限界温度を突破したのだ。
赤熱していた鋼の装甲が、一瞬にして白く発光し始める。
「今です! 全員、伏せて!!」
拓也の叫びと共に、四人が床に伏せる。
ドガァァァァァァンッ!!!!
内部の超高熱に耐えきれなくなった三体のイグニス・オートマタが、自らの装甲を内部から溶かし、凄まじい爆発を起こして四散した。
飛び散る破片は瀬戸の防壁に弾かれ、後には真っ赤に焼け焦げた鉄屑だけが残る。
「残り三体! 同じ手順で解体します!」
「応ッ!!」
システムの致命的な欠陥を突かれた機械兵たちに、もはや勝機はなかった。
風間の神速の回り込みと、神宮寺の完璧な囮。
拓也の指揮によって完全に盤面を支配されたオートマタたちは、次々と排熱口を凍結させられ、自らの熱に焼かれて自爆していく。
数分後。
地下空間を震わせていた機械の巨人の足音は完全に消え去り、後には六つの美しい真紅の魔石だけが転がっていた。
「ふぅ……。外側が硬いなら、内側から壊す。完璧なデバッグでした」
拓也は、短剣を鞘に収めながら、床に落ちた真紅の魔石を拾い上げた。
恐ろしいほどの熱量を秘めたこの魔石なら、鉄山に渡せばまた新しい装備の素材として役に立つだろう。
「力押しのバケモノ相手でも、頭脳戦で圧倒する。拓也殿の眼にかかれば、どんな強固な装甲も紙切れと同義だな」
神宮寺が、額の汗を拭いながら満足そうに笑う。
「しかし、嫌な階層ですね。こんな極限環境が、ずっと続くのでしょうか」
瀬戸が、溶岩の流れる奥の通路を見つめながら不安げに呟く。
「ええ。ここは中層ですらなく、その入り口に過ぎません。これから先は、もっと理不尽で、もっと絶望的な環境が待っているはずです」
拓也は、握りしめた真紅の魔石を見つめながら、静かに言った。
「だけど、絶対に止まりません。姉ちゃんが一人で背負った絶望に比べれば……こんなもの、ただのサウナみたいなものですから」
家族の平穏のためにすべてを投げ打った姉。
その空っぽの身体に、必ず魂を連れ帰る。
凡人の少年は、天才の姉を救い出すため。
最強のプロたちを率いて、灼熱の機械遺跡のさらに奥深くへと、一切の迷いなく進んでいくのだった。
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