第136話:魔導書架の番人、理(システム)の完全解体
第八層『沈黙の大書庫』。
見上げるほど巨大な本棚が立ち並ぶ通路を、四人の探索者は警戒を解くことなく進んでいた。
空間に満ちる青白い魔力の重圧は、奥へ進むごとにさらにその密度を増している。
瀬戸玲奈が展開する『白銀杖・六花』の冷却防壁がなければ、魔力にあてられて意識を失っていてもおかしくない極限環境。
この中層の入り口ですら、常人には耐え難い地獄なのだ。
(お父さんとお母さんは、今日も鉄山さんが用意してくれた絶対安全な病室で、眠り続ける姉ちゃんの手を握っているはずだ)
拓也は、薄暗い書庫の奥を見据えながら、静かに自らの心を律していた。
鉄山が創設した『護民の盾』の警護により、探索者協会などの外敵から家族の物理的な安全は完璧に守られている。
だが、あの平穏だった家から『本当の笑顔』は消えてしまった。
お母さんは、いつ姉ちゃんが目を覚ましてもいいようにと、毎日祈るように温かい手料理を作り続けている。お父さんも、無理に気丈に振る舞いながら、眠り続ける娘の姿に心を痛めているのだ。
姉・三月がたった一人で第三十五層という途方もない深淵へ辿り着き、規格外のバケモノの魂を喰らった代償。
家族の日常を守るために戦い抜いた彼女は、自らの魂を失い、『空っぽの抜け殻』となってしまった。
(俺が必ず、姉ちゃんの魂を見つけ出す。三十五層のバケモノから奪い返し、もう一度、四人で笑ってご飯を食べるんだ)
決意を胸に短剣の柄を握り直したその時。
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
突如として、大書庫全体を揺るがすような重低音が鳴り響いた。
彼らが足を踏み入れたのは、書庫の最奥に位置する巨大な円形の広間。
その中央に鎮座していた、ひときわ巨大な石の台座から、すさまじい質量の魔力が噴出したのだ。
「来ますよ! 陣形を展開!」
拓也の鋭い声と同時に、神宮寺蒼太が大盾『絶氷大盾・銀嶺』を構えて最前線に立つ。
広間を取り囲む無数の本棚から、数千、数万という『古びた魔導書』が一斉に宙へ舞い上がった。
それらは意志を持っているかのように空中で渦を巻き、やがて巨大な人型のシルエットを形成していく。
全長八メートルに及ぶ、魔導書の集合体。
その中心には、赤黒く脈打つ巨大なクリスタルが『心臓』のように埋め込まれている。
「……こいつが、第八層のボスか。本が寄り集まったバケモノとは、気味が悪いぜ」
風間蓮が『銀牙槍』を肩に担ぎ、獰猛な笑みを浮かべた。
『ギギ……侵入者……排除……』
魔導書の巨人――『魔導書架の番人』が、機械的な思念波を放つ。
次の瞬間、巨人の体を構成している数百冊の魔導書が一斉に開き、圧倒的な数の魔法陣が空中に展開された。
「広域殲滅魔法、来ます! 属性は炎、氷、雷の混合! 瀬戸さん、防壁の出力を最大に!」
「はいッ!」
瀬戸の『六花』から雪の結晶のような強固な光が放たれ、神宮寺の大盾を起点にしてパーティ全体を覆い隠す。
ドドドドドォォォォンッ!!!
視界を真っ白に染め上げるほどの、理不尽な魔法の絨毯爆撃。
だが、フェンリル・ロードの魔石から生み出された『銀嶺』の絶対防壁と、『六花』の冷却魔法は、その熱量と衝撃を完全に相殺し、四人を無傷で守り抜いた。
「ハハッ! 派手な花火だが、蚊の鳴くような威力だぜ! ――もらったァッ!」
防壁が魔法の嵐を凌いだ直後、風間が神速の踏み込みで巨人の懐へと飛び込んだ。
極低温を圧縮した『銀牙槍』の渾身の突きが、巨人を構成する魔導書の壁へと突き刺さる。
しかし。
ガキィィィンッ!!
「……あァ?」
風間が訝しげに声を上げた。
必殺の威力を持つはずの銀牙槍の冷気と衝撃が、突き刺した一冊の魔導書から、周囲の数千冊の魔導書へと『波紋のように分散』し、完全に無効化されてしまったのだ。
「ダメージ分散のネットワークシステムです!」
後方から戦況を俯瞰していた拓也の『深層言語・限定解析』が、巨人の構造を瞬時に読み解いた。
「奴の体を構成する本は、すべて見えない魔力回線でリンクしています! 一箇所に攻撃を当てても、その威力を数千冊で等分して負担するため、物理的な破壊は不可能です!」
「チッ、面倒くせえ理屈を並べやがって! なら、どうやって崩す!?」
風間が後方へ跳躍して距離を取りながら叫ぶ。
「理屈には、理屈をぶつけます。ネットワークで分散しているなら、その『同期』をフリーズさせればいい」
拓也は、青いコードの世界で巨人のシステムを完全に掌握していた。
天才である姉ならば、この数千冊の分散上限すらも超える超火力で、ネットワークごと丸焼きにしていたかもしれない。
だが、凡人である拓也の戦い方は『バグの誘発』と『システムの強制終了』だ。
「風間さん! 巨人の両腕に相当する部分、魔導書の密集度が低くなっている箇所があります! そこへ向けて、銀牙槍の冷気を『打撃』ではなく『流し込む』イメージで放ってください!」
「なるほどな……回線を凍結させて、同期をバグらせるってわけだ!」
風間が再び跳躍し、巨人の左腕にあたる部位へ向けて、銀牙槍の穂先を深く突き入れた。
「凍てつけェッ!!」
破壊の衝撃ではなく、フェンリル・ロードの極低温の魔力そのものをネットワークに直接流し込む。
その瞬間。
巨人の腕を構成していた魔導書たちの間に走っていた見えないリンクが、急激な冷気によってバグを起こし、ピキピキと音を立てて『情報伝達の遅延』を引き起こした。
「ギギッ……!? エラー……通信、阻害……」
魔導書の巨人の動きが、明らかな不協和音を立てて硬直する。
「分散システムが停止しました! 神宮寺さん、敵の体勢を崩して!」
「承知ッ!!」
神宮寺が、巨人の硬直した足元へ向けて、大盾『銀嶺』による渾身のシールドバッシュを叩き込む。
ダメージ分散ができなくなった巨人は、その圧倒的な質量の一撃をまともに受け、轟音と共に大きく体勢を崩して仰け反った。
「見えました!」
巨人が仰け反ったことで、その中心に守られていた赤黒いクリスタル――ネットワークのメインサーバーである『中核』が、完全に無防備な状態で露出する。
拓也は、神宮寺の巨大な背中を蹴って、一気に空中へと跳躍した。
周囲には、未だにバグを引き起こしてガタガタと震える魔導書の群れ。
その隙間を縫うようにして、少年は敵の最も深い急所へと肉薄する。
右手に握るのは、魔力回路の切断に特化した鉄山の傑作。
フェンリル・ロードの魔石が埋め込まれた、白銀の短剣。
「どんなに堅牢なネットワークだろうと、中枢を断てば……ただの紙屑だッ!!」
拓也は、赤黒いクリスタルの中央、最も魔力波形が集中している結節点へ向けて、**『絶理の銀刃』**を深々と突き立てた。
パキィィィィィンッ!!!
クリスタル内部のコアコードが、銀刃の術式によって完全に切断される。
『ギ、ガァァァァァァッ……!?』
メインサーバーを破壊されたことで、巨人を構成していた数千冊の魔導書は完全に統率を失った。
空中でパラパラと無惨に崩れ落ち、次々と魔力に還元されて黒い塵へと変わっていく。
最後に残った巨大なクリスタルも、ひび割れて砕け散り、美しく輝く一等星のような魔石だけが石板の床に転がった。
「……チェックメイトです」
拓也は空中で身を翻し、ふわりと床に着地して短剣を鞘に収めた。
「いやはや、お見事。数千の防壁を力ではなく理屈で無力化するとは。まさに『絶理』の名に相応しい一撃だったな」
神宮寺が、完全に静まり返った大広間を見渡しながら称賛の言葉を送る。
「ハッ、あれだけデカい図体してても、指揮官殿にかかれば一瞬で解体されちまうんだから、バケモノも可哀想なもんだぜ」
風間も笑いながら、床に落ちた巨大な魔石を拾い上げて拓也に手渡した。
「皆さんのおかげです。俺の予測を、一ミリの狂いもなく実行してくれる武力があるからこそ成立する戦術ですから」
拓也は魔石を受け取り、瀬戸の温かい治癒魔法を浴びながら小さく息を吐いた。
ふと、広間の最奥を見る。
魔導書架の番人を倒したことで、隠されていた巨大な石扉が静かに開き、第九層へと続く深く暗い階段が姿を現した。
第八層、クリア。
しかし、ここはまだ中層の入り口に過ぎない。
姉・三月の魂を奪い去った第三十五層の深淵は、まだまだ遥か彼方だ。
(待ってて、姉ちゃん。必ず行くから)
凡人の少年は、悲しみに暮れる家族へ本当の笑顔を取り戻すため、最強のプロたちを率いて。
一切の迷いなく、さらなる深淵の闇へとその足を踏み入れていくのだった。
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