第134話:盤面の支配者、激突する戦術
音のない石造りの回廊を、四人の探索者が慎重な足取りで進んでいく。
第七層。
極端な熱波や猛吹雪といった派手な気象現象こそないものの、空間を満たす魔力の密度は、階層を下るごとに異常なまでの重圧を増していた。
「……気持ちの悪い場所だ。まるで、泥水の中を歩かされてるみたいに身体が重てえ」
風間蓮が、肩を回しながら忌々しげに呟く。
彼の持つ『銀牙槍』から放たれる冷気すらも、この高密度の魔力空間では周囲数センチに留まり、遠くまで届かない。
「魔力そのものが物理的な圧力を伴っている。ただ呼吸をするだけでも体力を削られる環境だ。瀬戸、防壁の維持は問題ないか?」
「はい、神宮寺さん。『白銀杖・六花』の魔力効率のおかげで、なんとか負担を相殺できています」
瀬戸玲奈が、杖を胸元で握り締めながら答える。
先ほど、天井からの奇襲と囮を使った暗殺部隊『アビス・ストーカー』を退けたばかりだ。
野性の獣ではなく、明確な殺意と知能を持った魔獣たち。この第七層が、いかに異質で恐ろしい領域であるかを、四人は肌で感じ取っていた。
やがて、狭い回廊を抜けた先。
彼らの視界が開け、巨大な地下神殿のような広大な空間へと出た。
仄青い発光苔に照らされたその広間の奥に――『それら』は、微動だにせず整列していた。
「……冗談だろ。迷宮の中に、軍隊でもいるっていうのか」
風間が、思わず足を止めて呻いた。
広間の奥に陣取っていたのは、漆黒の重装甲に身を包んだ二足歩行の魔獣の群れだった。
最前列には、身の丈ほどの巨大な黒鋼の盾を構えた重装兵『アビス・センチネル』が六体、隙間なく盾を並べて鉄壁の陣形を組んでいる。
その後方には、長い槍を構えた長柄兵が四体。
さらに奥には、紫色の禍々しい魔力を杖に集束させている魔術兵が二体。
そして、その部隊の最後尾の中央。
一段高い石の台座の上から、群れ全体を統括するように見下ろしている、一際大きな黒曜石の鎧を纏った魔獣――『アビス・コマンダー(深淵の指揮官)』の姿があった。
「待ち伏せ、か。それも、完全に統率された陣形だ。私たちの接近を察知して、最も迎撃に有利な陣を敷いて待ち構えていたというわけか」
神宮寺が、自らの大盾『銀嶺』を構え、深く息を吐き出した。
「来ますよ。……魔獣の軍隊だろうが何だろうが、相手が『戦術』で来るなら、俺たちの土俵です」
拓也は短剣『絶理の銀刃』を逆手に構え、瞳に『深層言語・限定解析』の青い光を宿した。
システムをハッキングする必要などない。目の前で展開される筋肉の連動、魔力の波形、そして指揮官が部隊に下す『命令の伝達』を読み切れれば、盤面は完全に支配できる。
(視える……。奥にいるアビス・コマンダーの角から、微弱な魔力のパルスが前衛の盾兵たちに飛んでいる。あれが命令の合図だ!)
拓也の眼が、敵の指揮官が発した魔力パルスを完璧に捉えた。
盾兵たちの筋肉が一斉に収縮する。
「敵前衛、動きます! 盾を構えたままの突進! 神宮寺さん、正面から受け止めてください!」
「応ッ!」
ズドドドドドッ!!
地鳴りを立てて、六体のアビス・センチネルが一斉に突撃してきた。隙間なく並べられた黒鋼の盾の壁が、神宮寺を轢き潰そうと迫る。
「我が城壁は凍てつく絶対領域!」
神宮寺が『銀嶺』を大地に突き立て、全身の筋肉を膨張させて衝撃に備える。
ガァァァァァァンッ!!!
六体分の凄まじい突撃の質量が、神宮寺の大盾に激突した。
火花が散り、神宮寺の足元の石板が粉々に砕け散るが、日本のトッププロの鉄壁は一歩たりとも押し込まれない。激突と同時に大盾から放たれた冷気が、敵の黒鋼の盾の表面を白く凍りつかせる。
(第一波を止めた。次は――)
拓也の眼が、再び敵指揮官の魔力パルスを読み取る。
「神宮寺さん、盾の裏から槍兵の刺突が来ます! 防御姿勢のまま右へ半歩ズレて! 風間さん、敵の盾の隙間から突き出される槍の『柄』を叩き折って!」
「待ってましたァッ!」
神宮寺が巨体を僅かに右へズラした直後、センチネルたちの盾と盾の僅かな隙間から、後列の槍兵による四本の黒い槍が、神宮寺の急所を狙って同時に突き出された。
しかし、拓也の事前コールによって軌道を完全に読まれていたその刺突は、空を切る。
すかさず、風間が神速の踏み込みで前線へ躍り出た。
突き出されて無防備になった敵の槍の柄へ向けて、『銀牙槍』を横薙ぎに一閃する。
極低温を帯びた刃が、硬い黒鋼の柄を脆い氷柱のように叩き折った。
「ギャガッ!?」
武器を失い、陣形が僅かに乱れる敵部隊。
「後列の魔術兵、魔法撃ちます! 瀬戸さん、広域の魔力相殺を!」
「はいッ! 『アンチ・マジック・フィールド』!」
瀬戸の杖から放たれた光の波紋が、敵の魔術兵が放とうとしていた紫色の火球を、発動の直前で霧散させる。
完璧な防御と迎撃。
敵の指揮官であるアビス・コマンダーが下す指示よりも『速く』、拓也の予測コールが味方を動かしているのだ。どれほど強固な陣形を組もうと、未来を読まれている以上、その戦術はことごとく無力化される。
「ハハッ! どんなに賢いバケモノだろうが、うちの指揮官殿の頭脳には遠く及ばねえな!」
風間が笑い飛ばし、折れた槍の隙間から敵の盾兵の装甲の隙間へと反撃の刺突を叩き込む。
だが、その時。
後方から戦況を俯瞰していたアビス・コマンダーの瞳が、不気味な赤い光を放った。
(……魔力パルスの波長が変わった!? 陣形の再構築じゃない、これは――!)
拓也の背筋に、氷のような悪寒が走った。
敵の指揮官は理解したのだ。
どんなに強力な陣形を組んでも、あの人間の『後衛の少年』がすべての動きを先読みしている限り、部隊はすり潰されるだけだと。
ならば、取るべき戦術はただ一つ。
『盤面を支配している敵の指揮官を、部隊を犠牲にしてでも直接打ち取る』。
「神宮寺さん! 風間さん! 敵の動きが変わります!」
拓也が叫んだ瞬間。
「グォォォォォォッ!!」
最前列にいた六体の盾兵が、神宮寺の防壁を突破することを放棄し、左右に大きく散開した。
そして、その後方から。
全身に重厚な黒曜石の鎧を纏った敵将・アビス・コマンダー自身が、大剣を振り被りながら、常軌を逸した速度で拓也へ向かって真っ直ぐに突進してきたのだ。
「指揮官自ら突っ込んで来やがった!? オッサン、止めるぞ!」
「くっ……!」
風間と神宮寺が迎撃しようとするが、左右に散開した盾兵と槍兵たちが、自らの命を捨てる覚悟で二人にしがみつき、その足止めを図る。
「させるかッ!」
神宮寺が盾を振り回して敵を吹き飛ばすが、その一瞬の足止めの間に、アビス・コマンダーは完全に前衛をすり抜け、拓也の眼前へと肉薄していた。
巨大な黒曜石の大剣が、少年の華奢な身体を両断しようと振り下ろされる。
「拓也殿!!」
瀬戸が悲痛な叫びを上げる。
だが。
死の刃を真っ向から見据える拓也の瞳には、恐怖など微塵も存在しなかった。
ただ、どこまでも冷徹で、静かな『解析』の青い光が燃えているだけだ。
(敵の指揮官が、俺を狙って自ら陣形の奥から飛び出してくる。……それも、全部読み切っていた!)
「――遅いですよ」
拓也は、振り下ろされる大剣の軌道を見切り、最小限の動きで半歩だけ右へ身を躱した。
轟音と共に大剣が石板を叩き割り、拓也の頬を鋭い風圧が撫でる。
敵将の剛腕による一撃。それを回避した瞬間に生じる、巨大な鎧の『重心の崩れ』と『魔力装甲の弛緩』。
拓也の眼は、そのコンマ一秒の致命的な隙を、誰よりも正確に捉えていた。
「風間さん!!」
拓也の叫びに応え、前衛の足止めを強引に引き剥がした風間が、地を這うような神速の跳躍で迫っていた。
「チェックメイトだ、バケモノの親玉ァッ!!」
拓也が回避したことで完全に無防備となったアビス・コマンダーの脇腹――黒曜石の鎧の継ぎ目へ向けて。
風間の『銀牙槍』が、青白い冷気の尾を引いて深々と突き刺さった。
「ガァァァァァッ!?」
絶対零度の魔力が敵将の体内に爆発的に流れ込み、その強靭な内臓と魔力回路を一瞬にして凍結・破壊する。
声にならない断末魔を上げ、アビス・コマンダーの巨体がゆっくりと石板の上に崩れ落ちた。
指揮官を失った残存兵たちは、もはや統率の取れた軍隊ではなく、ただの烏合の衆でしかない。
神宮寺の大盾と風間の槍が、混乱する残りの魔獣たちを容赦なく蹂躙し、ものの数分で広間のすべての敵が魔石へと変わった。
「……ふぅ。お互いの首を狙い合う、ヒヤヒヤする盤面でしたね」
拓也は『絶理の銀刃』を鞘に収め、敵将が遺した一際大きな黒い魔石を拾い上げた。
「ヒヤヒヤしたのはこっちの心臓だ。……お前、自分が狙われることを最初から分かってて、あえて回避だけに専念して隙を作ったな?」
風間が、呆れたようにため息をつく。
「はい。前衛の分厚い陣形を一枚ずつ剥がすより、親玉を引っ張り出してカウンターを合わせた方が早いと思いましたから。……俺の予測と、皆さんの力を信じていました」
拓也がこともなげに言うと、神宮寺は苦笑しながらその肩を叩いた。
「君の神算鬼謀には、もう誰も敵わないな。魔獣の指揮官も、相手が悪すぎたとあの世で嘆いているだろう」
瀬戸も安心したように微笑み、拓也に疲労回復の魔法をかける。
第七層の正規軍を、完全なる盤面支配で打倒した新生パーティ。
魔獣たちがどれほど高度な戦術を練ろうとも、天才の姉を追う少年の頭脳は、そのすべてを上回り、圧倒し続ける。
静寂と重圧に満ちた石回廊の奥深くへ、彼らはさらなる深淵を目指して、揺るぎない歩みを進めていくのだった。
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