第133話:静寂の石回廊、深淵の暗殺部隊
第六層『灼熱の火山洞』の主であったラーヴァ・ゴーレムの赤い魔石を回収し、拓也たちはさらに地下へと続く階段を下りていた。
第五層の猛吹雪、第六層の灼熱。
極端な環境変化を連続で突きつけてきた迷宮である。当然、神宮寺蒼太も風間蓮も、次はどんな理不尽な大自然の脅威が待ち受けているのかと、新たな白銀の武具を固く握り締めて警戒していた。
しかし。
第七層を隔てる、苔むした古びた石扉を押し開けた瞬間。
四人を迎えたのは、拍子抜けするほどの『静寂』だった。
「……なんだここは。ただの、古い遺跡か?」
風間が訝しげに周囲を見渡す。
視界に広がっていたのは、見渡す限りの無機質な石造りの回廊だった。
燃え盛るマグマも、吹き荒れる吹雪もない。壁には仄かに青く光る発光苔がまばらに群生しており、冷たく湿った空気が静かに淀んでいるだけ。
第一層や第二層で見たような、RPGの初期ダンジョンによくある、ごくありふれた地下迷宮の風景そのものだった。
「気象の異常はありません。……ですが、これは」
拓也は、一歩その石板の床に足を踏み入れた瞬間、全身の毛穴が粟立つのを感じた。
隣を歩く瀬戸玲奈も、顔を青ざめさせて自身の胸元を強く押さえている。
「息が……詰まります。空気が薄いわけではないのに、まるで水深数百メートルの海の底に沈められたような……」
「魔力の密度が、第六層までとは桁違いに跳ね上がっているんだ」
神宮寺が、大盾『銀嶺』を構えたまま重々しい声で告げた。
「派手な環境変化を起こすまでもない。ただこの空間に満ちている『濃密すぎる魔力』そのものが、並の探索者なら立っているだけで内臓を潰されるほどの重圧になっている。……拓也殿、敵の反応は?」
拓也は『深層言語・限定解析』を起動し、薄暗い回廊の奥へと意識を研ぎ澄ませた。
(おかしい。これほどの高密度な魔力環境なら、魔獣の波形も巨大に膨れ上がっているはずだ。なのに、俺の眼には……『何も視えない』)
拓也の解析は、魔力の流れや筋肉の動きを読み取ることに特化している。
だが、その肝心の波形が、石回廊の奥からは一切感知できないのだ。
「……前方に敵影なし。ですが、警戒を最大に引き上げてください。魔力波形が『不自然なほど綺麗に消されている』形跡があります」
拓也が短剣『絶理の銀刃』を抜き放ち、声を潜めて指示を出す。
四人が互いの死角をカバーする強固な陣形を組み、静かな石回廊を数十メートル進んだ、その時だった。
カツンッ。
風間の足先が、床に落ちていた小さな石ころを蹴った。
その微かな音が回廊に響いた、まさに次の瞬間。
ヒュンッ!!
暗闇の中から、一切の殺気も魔力も伴わない『黒い短矢』が、音もなく拓也の喉笛を正確に射抜こうと飛来した。
「ッ!」
神宮寺の大盾が間一髪で拓也の前に割り込み、黒い矢を弾き落とす。
矢の先端には、微かに紫色の毒液が塗られていた。
「罠か!? いや、違う! 誰かが撃ち込んできやがった!」
風間が矢の飛んできた暗がりへ向けて、神速の踏み込みで突進する。
その暗闇の奥で、黒い影が二つ、風間を嘲笑うかのように奥へと逃げ込んでいくのが見えた。
「逃がすかよッ!」
「待ってください、風間さん! 追っちゃダメだ!!」
拓也の鋭い制止の声。
しかし、風間の槍が暗がりの影を捉えようと突き出された瞬間、その二つの影はポンッと音を立てて『ただの泥人形』へと変わった。
(デコイ(囮)!? 魔獣が、身代わりの魔法を使ったのか!?)
風間の足が止まり、前衛と後衛の間に『数メートルの分断』が生じた。
――敵の狙いは、最初からそれだった。
「上だッ!!」
拓也が頭上を見上げて叫ぶ。
天井の石組みに、保護色のように同化して張り付いていた『本命』。
体長二メートルほどの、漆黒の装甲殻に覆われた二足歩行の蜥蜴――『アビス・ストーカー(深淵の潜伏者)』が三体。
彼らは、大盾を持つ神宮寺でも、圧倒的な武力を持つ風間でもなく。
最も脆く、パーティの要である『後衛の瀬戸と拓也』の頭上へ向けて、一切の音を立てずに落下してきた。
(魔力波形を完全に隠蔽し、囮を使って前衛を引き剥がし、一番厄介な後衛から確実に暗殺しに来た……!)
第五層までの、巨大な質量や極端な環境で暴れ回っていた魔獣たちとは違う。
第七層の魔獣は、明確な『戦術』と『知能』を持ち、拓也の陣形を意図的に崩しにきているのだ。
「させませんッ! 『ホーリー・ウォール』!」
瀬戸が頭上へ向けて光の障壁を展開する。
しかし、落下してきたアビス・ストーカーの一体が、その手に握っていた特殊な魔石を障壁に叩きつけた。
パリンッ! という音と共に、瀬戸の光の魔法が『魔力相殺』によって一瞬で打ち消される。
魔法の無効化手段まで用意された、完璧な暗殺戦術。
漆黒の凶刃が、瀬戸の華奢な首筋へと迫る。
だが、それを見上げながら、拓也の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
(知能が高く、戦術を使ってくる? ――上等だ。頭脳戦なら、俺の最も得意とする土俵だ!)
「神宮寺さん! 後方上空、四十五度の角度へシールドバッシュ!」
拓也は、敵が天井から落ちてくる『コンマ数秒前』、囮に気づいた瞬間にすでにこの指示を出していた。
分断されたと見せかけ、実は拓也の予測の範疇で動いていた神宮寺の大盾『銀嶺』が、一切の躊躇いなく瀬戸の頭上へと振り抜かれる。
ガァァァンッ!!
完璧なタイミングでの迎撃。
落下の勢いを利用して瀬戸を殺そうとしていたアビス・ストーカーは、空中で大盾の直撃を受け、凄まじい冷気爆発と共に天井へと弾き返された。
「クソがッ、小賢しい真似しやがって!!」
前衛で囮を突かされていた風間が、激怒と共に凄まじい速度で反転し、戻ってくる。
「風間さん! 残る二体のうち、右の個体は空中で姿勢制御のための筋肉が強張っています。回避行動を取るので、あえて左の個体を狙うフェイントから右へ切り返して!」
「応ッ!!」
『解析』によって敵の筋肉の収縮を完全に読み切った拓也のコール。
風間が左の個体を狙う素振りをすると、知能の高いアビス・ストーカーは即座にそれを察知し、仲間を見捨てて右へ回避しようとした。
だが、それは拓也の盤面の上。
風間の『銀牙槍』が滑らかに軌道を変え、回避行動の硬直に入った右の個体の胸部を、冷気と共に正確に貫き通した。
「ギャ……ッ!?」
残る一体が着地し、不利を悟って即座に暗闇へと逃走を図ろうとする。
「逃がすかよ。瀬戸さん!」
「はいッ! 『バインド・ライト』!」
瀬戸の放った光の縄が、敵の足を正確に絡め取る。
動きの止まった最後の一体の背中へ、拓也が音もなく忍び寄り、その首の装甲の隙間――延髄の魔力結節点へ向けて『絶理の銀刃』を深々と突き立てた。
魔力回路を完全にショートさせられ、アビス・ストーカーは声を発することもなく絶命し、黒い魔石へと変わった。
静寂が、再び石回廊に降りてくる。
「……ハァ、ハァ。危ないところでした。敵がこちらの戦術を読み、メタを張ってくるようになりましたね」
拓也は短剣を納め、拾い上げた黒い魔石をじっと見つめた。
「恐ろしい連中だ。あのまま前衛と後衛を完全に分断されていれば、私たちでも致命傷を負いかねなかった。……だが、拓也殿。君は敵の囮戦術に、気づいていたな?」
神宮寺が、大盾を下ろして拓也に問う。
「ええ。魔力が消されているのに、あの泥人形だけ妙に魔力の残滓が濃かったんです。だから、敵が必ず後衛を狙ってくると読んで、神宮寺さんにあえて下がる余裕を残してもらいました」
それを聞いた風間が、呆れたように頭を掻いた。
「バケモノ相手の知恵比べで、相手の裏の裏まで読み切って罠にハメたってわけか。……マジで、性格が悪くて頼もしい指揮官殿だぜ」
瀬戸もホッと胸を撫で下ろし、拓也に感謝の微笑みを向けた。
第七層以降の迷宮。
それはもはや、派手な気象現象で探索者を威圧するような浅い領域ではない。
高密度の魔力が満ちる静寂の中、高度な知能と殺意を持った魔獣たちが、息を潜めて侵入者の喉首を狙う『真の死地』。
「……行きましょう。向こうが戦術で来るなら、俺の『解析』で盤面ごと全部ひっくり返してやります」
ただの巨大な暴力よりも、よほど厄介で底知れない悪意。
だが、それを前にしても少年指揮官の瞳に宿る理知の炎は揺らぐことなく、最強のプロたちと共に、薄暗い石回廊の奥へと静かに歩を進めるのだった。
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