第104話:地脈の落とし子と、偽装された自滅
迷宮第5層の最終防衛線。
広場を埋め尽くしていた数万の魔獣の群れは、今やただの巨大な肉の山へと変わっていた。
「はぁっ、はぁっ……! やった、やったぞ! 俺たちだけで、第二波まで完全に凌ぎ切った!」
トップクラン「銀の剣」のリーダーが、返り血で真っ赤に染まった大剣を天に掲げて咆哮する。
周囲の探索者たちも、疲労困憊でありながら、その顔には確かな達成感と、自らの「覚醒した力」に対する絶対的な自信が満ち溢れていた。
彼らは知らない。自分たちの剣が届いたのは、魔獣たちが「見えない重力の泥沼」に沈み込み、回避も防御もできない案山子に成り下がっていたからだということを。
「すごい……! みんな、本当にかっこいいです!」
後方の安全圏から、三月が完璧な作り声で黄色い声援を送る。
両手を胸の前で組み、目をキラキラと輝かせるその姿は、どこからどう見ても「トップクランの戦いぶりに感動する、か弱いFランクの少女」そのものだ。
(……ふぅ。これで大半のゴミは片付いたわね。後は残党を適当に処理してもらえば、お母さんの生姜焼きに間に合うわ)
三月が内心で夕食の献立に思いを馳せ、小さく安堵の息を吐いた、その時だった。
ズゴゴゴゴゴゴォォォォォ……ッ!!!
突如として、迷宮の床と壁が、これまでにない規模で激しく激震した。
防衛線に張られた魔導障壁が、物理的な接触すらしていないにもかかわらず、バキバキと悲鳴を上げて亀裂を走らせる。
「な、なんだ!? まだ来るのか!?」
歓喜に沸いていた探索者たちの顔が、一瞬にして凍りついた。
暗闇の奥、迷宮の深部へと続く大通路から姿を現したのは、先ほどの狂暴種など比較にならないほど巨大な、異形の怪物だった。
体長は二十メートルを優に超え、全身の岩のような外殻の隙間から、マグマのように赤黒く濁った魔力の光を漏らしている。
それは「獅子の牙」が第18層の封鎖エリアで地脈を崩落させた際、その暴走したエネルギーを最も色濃く浴びて変異した、スタンピードの主犯格。
――変異種「地脈の暴食獣」。
「ひるむな! 俺たちの力は覚醒している! あんなデカブツ、今の俺たちなら一撃で沈められるはずだ!」
「銀の剣」のリーダーが、自らの力を過信したまま、大剣を構えて突撃を仕掛けた。
彼に続くように、数人のベテラン探索者たちが一斉に魔法と矢を放つ。
だが、三月は結界装置の陰で、冷めた瞳でその光景を見つめていた。
(……馬鹿ね。私がかけていた「通常の三倍の重力」は、あくまでさっきの雑魚どもを鈍らせるための低出力よ。あんな、異常な質量と装甲を持った変異種を止めるには、出力が全然足りないわ)
三月の予想通り、暴食獣は足元の重力場など一切気にも留めず、迫り来る魔法や矢を分厚い外殻で易々と弾き返した。
「なっ……!?」
リーダーが驚愕に目を見開いた瞬間、暴食獣の巨大な前腕が、虫を払うかのように無造作に振り抜かれた。
ドゴォォォォンッ!!
「がはっ……!?」
重戦車のような一撃をまともに受けたリーダーの巨体が、ボロ布のように宙を舞い、後方の魔導障壁に激突して崩れ落ちた。
即死は免れたようだが、全身の骨が砕け、完全に戦闘不能となっている。
「リーダー!!」
「嘘だろ……俺たちの攻撃が、全く通じない……っ!?」
さっきまでの「無敵の万能感」は、見事なまでに粉々に打ち砕かれた。
彼らはようやく理解したのだ。自分たちが急に強くなったわけでもなんでもなく、ただの勘違いであったという残酷な事実に。
絶望に染まる防衛線のど真ん中で、暴食獣がその巨大な顎を大きく開いた。
周囲の空間から、赤黒い地脈のエネルギーが凄まじい勢いでその口内へと収束していく。
広範囲を跡形もなく吹き飛ばす、極大の魔力ブレスのチャージだ。
「逃げろッ! 防壁の出力を最大に……!」
「無理だ、あんなの防ぎきれるわけがないッ!!」
前線の探索者たちがパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
だが、三月だけは、その場から一歩も動かなかった。
(……あれを撃たせたら、この階層の天井が吹き飛んで、地上まで被害が出るわね。私の家とお母さんのキッチンが物理的に壊される)
それは、如月三月にとって「絶対に許されない事態」であった。
しかし、ここで彼女が表立って暴食獣を殴り飛ばせば、これまでの隠蔽工作がすべて水の泡となる。かといって、この変異種を丸ごと押し潰せるほどの極大重力を広範囲に展開すれば、周囲に逃げ惑う探索者たちまでまとめて地面の染みにしてしまう。
(なら、エネルギーそのものをどうにかするんじゃなくて、撃つ「砲身」を壊せばいいだけのこと)
三月は、怯えてうずくまる少女の姿勢を崩さないまま、右手の指先をほんの数ミリだけ、暴食獣の巨大な顎へと向けた。
発動するのは「重力操作(微)」。
ただし今回は、広範囲の空間にかけるものではない。
狙うのは、暴食獣の「上顎」と「下顎」という物理的な質量のみ。その上下の顎が、互いを強烈に引き合うような極大の重力場をピンポイントで発生させたのだ。
暴食獣が極大の魔力ブレスを放とうと、喉の奥から赤黒い光の奔流を押し出した、まさにその瞬間。
ゴァンッ!!!
見えない巨大な万力で挟み込まれたかのように、暴食獣の巨大な顎が、自らの意思に反して凄まじい勢いで完全に閉じられた。
分厚い牙と牙が激突し、顎の骨が砕ける不気味な音が響き渡る。
「……ギュ、ル……ッ!?」
暴食獣の目が、驚愕と苦痛に大きく見開かれる。
極大の重力によって口を完全に封鎖されたことで、吐き出そうとしたエネルギーの奔流が行き場を失ったのだ。
限界を超えて圧縮されていた魔力ブレスは、外へ出ることができず、暴食獣の強靭な体内の密閉空間で暴発の臨界点へと達した。
ドミュゥゥゥゥン……ッ!!!
外に被害を出すことのない、くぐもったような、不気味な爆音。
暴食獣の巨大な頭部から首にかけての上半身が、内側からの超高密度のエネルギーの暴発によって、風船のようにパンッと弾け飛んだ。
血と肉片が周囲に降り注ぐ中、頭部を完全に失った巨大な胴体だけが、ドスゥンッと地響きを立ててその場に崩れ落ちた。
「え……?」
逃げ惑っていた探索者たちが、信じられない光景に足を止め、呆然と振り返る。
彼らの目に映ったのは、放つはずだった自分のエネルギーを飲み込み、勝手に自爆して果てた変異種の無様な残骸だった。
「じ、自滅……した……?」
「地脈のエネルギーを吸い込みすぎて、限界を超えて暴発しやがったんだ……!」
トップクランの探索者たちは、自分たちに都合の良い解釈を叫び、再び奇跡的な生還に歓喜の声を上げ始めた。
誰も、この異常な自爆現象が、後方で震えているFランクの少女が仕掛けた物理的な重力のせいだとは夢にも思っていない。
ただ一人、最後尾で壁に張り付いていたDランクの青年を除いては。
(……違う。自滅なんかじゃない。あの子が……顎を無理やり閉じさせて、体内で暴発させたんだ……っ!)
青年の顔には、歓喜の欠片もない。ただ、底知れぬ理不尽への絶対的な恐怖だけが、彼を深い絶望の淵へと沈めていた。
重力という見えない力で、あれほど巨大な怪物の顎を強引に封殺する規格外の出力。
周囲で「運が良かった!」と喜び合うトップクランの探索者たちが、無知ゆえの幸福に浸っていることが、ひどく滑稽に見えた。
彼らは気づいていない。この世で最も恐ろしい怪物が、すぐ背後で「人間」のフリをして笑っていることに。
「ああ、怖かったぁ……! 皆さん、本当に無事でよかったです!」
三月は立ち上がり、涙を拭いながらトップクランの面々に駆け寄っていく。
その見事なまでの「か弱い少女」の完璧な演技を見つめながら、青年は自分の知ってしまった秘密の重さに耐えきれず、その場にへたり込んだ。
(……完璧だわ。不自然な死体も残さず、誰にも疑われずに大ボスを処理できた)
歓喜の輪の端で、三月は冷徹な捕食者の笑みを内側に隠しながら、コートの裾の汚れを軽く払った。
「さて。これでやっと帰れるわね。お母さんの生姜焼き、タマネギたっぷりでお願いしたから、楽しみだわ」
人類を滅ぼしかけたスタンピードの脅威は、ただ「夕食に遅れたくない」という、一人の少女の冷徹な物理的理不尽によって、誰にも知られることなく完全に鎮圧されたのであった。
トップクランの面々は「敵がキャパオーバーで勝手に自爆した!」と大喜びしていますが、真実を知るDランクの青年だけは、顎が砕ける音を聞いて三月の怪物性に一人絶望を深めています。
これにてスタンピード編の防衛戦は無事に終了です。三月は急いでお母さんの待つ食卓へと帰還します。
次回もどうぞお楽しみに! 面白い、続きが読みたい!と思っていただけましたら、ぜひブックマーク登録や下部の評価ボタンでの応援をよろしくお願いいたします!




