第101話:誤算の火種と、か弱い少女の蹂躙
迷宮第5層、最終防衛線の広場。
そこは地獄の釜の底と化していた。
先ほどまで三月を侮っていたトップクラン「銀の剣」のリーダーたちが、今や顔面蒼白で後退りしている。
防衛線の最前線で対峙していたのは、中層から溢れ出した狂暴種の魔獣たち。その数は数万。地響きが止むことはなく、空気を震わせる咆哮は探索者たちの鼓膜を容赦なく叩き潰す。
「どうしてだ……! 結界を張っていたはずの障壁が、なぜこれほど呆気なく砕ける……!」
「銀の剣」のリーダーが叫ぶが、返答はない。彼らが誇る重厚な魔導障壁は、魔獣たちの突進一撃でヒビ割れ、次々と沈黙していく。
後方に控えていた索敵班の探索者たちは、恐怖のあまり武器を落とし、ただ立ち尽くすことしかできない。
「だ、誰か! 前線の部隊を引かせろ! このままでは全滅だ!」
悲鳴が飛び交う中、三月は一人、平然と魔獣の奔流の中に立っていた。
周囲の探索者たちが彼女を「逃げ遅れた足手まとい」だと錯覚し、憐れみの視線を向ける。
(……うるさいわね。本当に、人間ってのはどいつもこいつも騒がしいだけ)
三月は誰の視線も届かない死角へとスッと移動した。
先ほど、不可視の魔力刃で一匹を両断したが、それではあまりにも遅い。
三月の目的は「防衛線の死守」と「家族の夕食に間に合わせること」。そして「自分の異常性を誰にも気づかせないこと」。
矛盾する命題を、彼女は冷徹な演算で解き明かす。
(魔力刃では隠密性が高いけれど、一度に消せる数が少なすぎる。かといって、熱衝撃波を使えば、範囲と衝撃波で周囲の探索者まで巻き込んでしまう)
三月は漆黒のコートの中で、小さく魔力を練り上げた。
彼女が選んだのは、もっとも「地味」で、しかし「壊滅的」な殲滅方法。
彼女は周囲の狂暴種たちの足元に、ごく僅かな「重力操作(微)」を仕掛ける。
ただの重力ではない。数千倍に圧縮した、一点への局所重力だ。
ズズッ……!
突撃してくる数千の魔獣たちの足元が、突然、巨大な磁石に吸い寄せられるかのように、一点へと強制的に引きずり込まれる。
重心を崩した魔獣たちが互いに衝突し、巨大な肉の山となって積み重なっていく。
「な、なんだ!? 魔獣たちが勝手に自滅している……!?」
探索者たちが驚愕に目を見開く中、三月はコートの袖からごく小さな魔力の針を放った。
重力で一点に固められ、折り重なった数千の魔獣の中心部。
そこに圧縮された魔力を一点突破で叩き込む。
ドッ……! という、まるで心臓が止まるような小さな音。
それだけで、積み重なっていた数千の魔獣の心臓が、内側から一斉に停止した。
血飛沫を上げることもなく、ただ一瞬で数千の命が消える。
三月はそれを、まるでゴミを整理するように、淡々と、正確に繰り返していく。
「あ、ありえない……あんなにいた群れが、一瞬で動かなくなった……?」
だが、三月の冷徹な計算に、一つだけ予想外の「火種」が混入した。
防衛線をすり抜けた一体の巨大な魔獣が、三月の背後から、彼女が「か弱い少女」として立っていた地点を狙って跳躍したのだ。
その跳躍の先には、恐怖で動けなくなっていた「銀の剣」の若手探索者がいた。
(……チッ。計算外ね)
三月は一瞬だけ、眉をひそめた。
このまま見捨てれば、若手は死ぬ。だが、今ここで自分を動かせば、周囲の探索者に「自分が魔獣を殺している」と確信される。
「危ないッ!!」
若手探索者が絶望の悲鳴を上げた、その刹那。
三月は誰にも気づかれない速度で、足元の灰を蹴り上げた。
魔力を込めた灰の礫が、弾丸のごとき速度で魔獣の喉元を貫通する。
魔獣は跳躍の頂点で絶命し、若手探索者の数メートル手前で、無様な死体となって転がった。
「え……?」
若手探索者が、呆然と倒れた魔獣と、その背後に立っていた三月を見比べる。
三月は、これ以上ないほど怯えた表情を作り、その場にへたり込んだ。
「ひっ……うう、こわい……助けて……っ」
大粒の涙を浮かべ、か弱く震える三月。
その演技の完璧さに、若手探索者は逆に「この子が魔獣を倒した」などという発想に至るはずもなかった。
「……君、無事でよかった。……すごいな、偶然とはいえ、君は運が強いよ」
探索者は、逆に三月を憐れみ、彼女の肩を抱き寄せた。
三月の内側で、殺意が一度だけ沸き上がり、そしてすぐに霧散する。
(……汚れたわね。後でまたお風呂に入り直さないと)
蹂躙劇は続く。
彼女の日常を脅かすゴミ掃除は、まだ始まったばかりだ。
第100話をお読みいただきありがとうございます!
ついに防衛線での激闘が幕を開けました。
周囲のトップ探索者たちから「足手まとい」と侮られている三月ですが、彼女はあえてその誤解を放置し、誰にもバレない超速度と不可視の魔力刃で、次々と大物を仕留めていきます。
「か弱いFランクの少女」という隠れ蓑を着ながら、裏で数万の魔獣を掃除するという、三月にとって最高に面倒で最高に爽快な(?)縛りプレイが始まりました!
次回は、いよいよ中核を担う魔獣たちの処理と、三月の冷徹なカウントダウンが加速していきます!
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