満ちる希望
その日の午後、私は孤児院の院長室に呼び出された。
新しい体制になってから赴任してきた院長は、厳しい顔つきの聖職者などではなく、とても穏やかで品のある老女だった。彼女はいつも私たち子供を平等に扱い、優しい眼差しで見守ってくれていた。
「失礼します、院長先生。エララです。お呼びでしょうか」
「ええ、入ってちょうだい。エララ」
木製の重厚なドアを開けると、院長は本棚の整理を急いで終えて、大きなマホガニーのデスクに腰かけ、私に向かって優しく微笑みかけた。
「そこに座りなさい」
不安がないと言えば嘘になる。けれど、もう絶望には慣れていた。
「あなたには、単刀直入に言うわね。エララ、あなたはとても賢く、そして強い子よ」
院長はそう言うと、デスクの引き出しから一通の封筒を取り出し、私の前に差し出した。上質な羊皮紙で作られ、深紅の蝋で封がされた、いかにも高級そうな手紙だった。
「これは……?」
「あなたへの、養子縁組の希望通知よ」
「……え?」
私は息を呑んだ。養子。それは、この孤児院にいるすべての子供たちが夢見る、未来への切符だ。
「開けてみてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。宛先はあなたなのだから」
私は震える手で封を切り、中に入っていた便箋を取り出した。流れるような美しい文字で書かれたその手紙を、目で追っていく。
『――孤児院の優秀な少女、エララへ。私はゼリュキア帝国のアドララという湾岸都市で、書籍商を営んでいるエスクリトーラと申します……』
私はその一文を読んだ瞬間、心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。
ゼリュキア帝国。そして、アドララという大都市。何よりも、「書籍商」という言葉が私の目を釘付けにした。
手紙には、こう記されていた。
エスクリトーラという女性は生涯独身であり、自分の跡継ぎとなる賢い子供を探していること。孤児院を支援しているロバート・チェネス氏を通じて私の類稀なる知識欲と読解力を知り、ぜひ私を養女として迎え入れ、ありとあらゆる書物と高度な教育を与えたい、ということ。
「ゼリュキア帝国の、書籍商……」
私は呆然と呟いた。
「彼女は明日、あなたに直接会うためにこのルークスの街までやって来るそうよ」
院長は、まるで自分のことのように目を細めて喜んでくれた。
「良かったわね、エララ。あなたのように本を愛し、学ぶ意欲のある子にとって、これ以上ないほど素晴らしい環境よ。あなたなら、きっと向こうでも立派にやっていけるわ」
「……は、はい」
私は短く返事をしたものの、その声はひどく掠れていた。
書籍商の養女。あらゆる本が読めて、高度な教育が受けられる。それは、私が家畜小屋の二階で夢見ていた「知識を武器にして生き抜く」という未来そのものだった。最高のチャンスだ。絶対に逃してはならない好条件だ。
それなのに、私の胸の中は、歓喜ではなく、どす黒い泥のような複雑な感情で埋め尽くされていた。
「ありがとうございます、院長先生。手紙は、部屋でゆっくりと読ませていただきます」
私は手紙を胸に抱き、深々と頭を下げて院長室を後にした。
廊下を歩く私の足取りは、鉛のように重かった。
ゼリュキア帝国に行くということは、この国を離れるということだ。
それはつまり、ルカと永遠に離れ離れになるということを意味していた。
庭に戻ると、ルカはまだ樫の木の下で、古い地図と睨めっこをしていた。私が戻ってきたのに気付くと、彼はパッと顔を輝かせて立ち上がった。
「エララ! 院長先生、なんの用だったの? 本を返し忘れてたとか?」
彼の人懐っこい笑顔を見た瞬間、私の胸が締め付けられるように痛んだ。
今日、彼からもらった青い花が、まだ私の胸元で微かに甘い香りを放っている。私が世界で初めてもらった、純粋な好意の証。
「……ううん、怒られたわけじゃないわ」
私は視線を落とし、手紙を背中に隠した。
「でも、今は……今は、ちょっと話したくないの。ごめんなさい」
私が沈んだ声でそう言うと、ルカは心配そうに眉を下げたが、それ以上深く追求することはなかった。
「……わかった。でもエララが話したくなったら、いつでも聞くからね」
彼はそう言って優しく微笑み、再び樫の木の根元に座って、「さっきの地図の続きなんだけどね」と、穏やかな声で話し始めた。私の心が落ち着くように、あえて普段通りに振る舞ってくれているのが痛いほど伝わってきた。
彼の優しい声を聞きながら、私は唇を強く噛み締めた。
行きたい。知識の宝庫である書籍商の女性の元へ行き、誰にも虐げられない力を手に入れたい。
でも、離れたくない。ようやく手に入れた、私を人間らしくしてくれるこの温かい存在を場所を手放したくない。
両親の死を乗り越え、完全に凍りついていたはずの私の心は、再び激しい葛藤の炎に焼かれ始めていた。明日、そのエスクリトーラという女性がやって来る。
私は、どちらの未来を選ぶべきなのか。
答えの出ない問いが、空の下で、私の心を二つに引き裂こうとしていた。




