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【完結】底辺育ちの才女は、へこたれない【◈♧】  作者: 逆立ちハムスター


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世界の探索

家畜小屋の一階には、かつて荷引き用に使われていた年老いた馬のバラムが一頭、静かに干し草を食んでいる。私はその馬の首を優しく撫で、馬の温もりと獣特有の匂いに少しだけ安堵を覚えた。そして、壁に立てかけられた古く軋む梯子を登り、二階の干し草置き場へと這い上がる。


私は、バラムがロバだということは知っている。あの飲んだくれにとっては馬らしいけれど。


私にとっての小さな城の二階は狭く、埃っぽいが、誰にも邪魔されない私だけの聖域だった。


積み上げられた古本達。私にとっては、かけがえのない宝だ。

尤も、貴族のご令嬢たちにとっては、ただのゴミでしかない。


私は古布の下に隠しておいた小さな魔力ランプを取り出し、微かな光を灯す。黄色い光が、干し草の積まれた狭い空間を柔らかく照らし出した。


冷え切った体を、タンジーとミントを入れた干し草に埋め、私は今日貴族の令嬢からもらったチップの銀貨で買ってきた食料を取り出した。黒く硬いライ麦パンと、少し傷みかけて安売りされていた林檎だ。


カチカチに硬いパンを少しずつ千切り、口に含む。唾液で柔らかくなるまでじっくりと噛み締めると、僅かな麦の甘みが口の中に広がる。傷んだ林檎の茶色い部分をナイフで削り落とし、シャリッと音を立てて齧る。瑞々しい果汁が、乾ききった喉を潤していく。


豪華な食事ではない。だが、自分で稼いだ金で、誰にも奪われずに食べるこのささやかな食事が、私にとっては生きていることを実感できる唯一の瞬間だった。


空腹を満たすと、私は手を丁寧に布で拭き、先ほど令嬢からもらった新たな三冊の本をランプの光の下に並べた。


本は私にとって、この薄汚れた世界での唯一の光だった。


バラムのことも、干し草の防虫対策も全て、本から得た知識で、世界の認識を深めていった一部だった。


新たな一冊目は分厚い魔法学書だった。表紙には『人体の構造と魔力の相関性について』と難しい題字が刻まれている。


次の二冊目は錬金術書。『錬金術の応用、サバナ式』と書かれている。


三冊目は、黒い革張りの聖書だった。


読んだことのない3冊が手に入ったのはとても嬉しい。

私はまず、魔法学書のページをそっと開いた。


著者は、高名と名高い、エルストナ卿だ。尤もこれは写しだが。

彼女は初めて、エルフの国に正式に招待されたと言われる人格者であり、類まれな魔法の才も持つ人物。

そのむかし、種族、身分、性別。という偏見や差別が渦巻く時代に、魔法の才は個の力に依存するという基本的なことを提唱し、人間の世界に、広く当たり前のことを認知させたのも彼女だった。


羊皮紙の擦れる音が、静寂に包まれた夜の家畜小屋に心地よく響く。ページをめくると、そこには人間の骨格や筋肉、内臓の緻密な解剖図が描かれており、さらにはこの世界の人間に備わっているとされる「魔力コア」の流れが、青いインクで細かく図解されていた。


私は文字を一文字一文字、食い入るように目で追っていく。


体内魔力の流動制御と、過負荷に伴う「逆流バックフロー」の機序


第14条:高密度マナの流体誘導における摩擦係数

術者が自己の精神基盤及びコアからマナを汲み上げ、空間へ投射する際、マナは固有の誘導経路において流体としての挙動を示す。この際の誘導速度とマナの粘性係数は反比例し、術式の発動速度を決定する主要因となる。

術者の許容量を超える高位術式を強制展開する場合、術者の許容断面積に対して過剰なマナが充填され、流体内摩擦による「位相熱」が発生する。これにより、マナは層流(安定した流れ)から完全な乱流へと移行する。

乱流化が臨界点に達した際、マナは進行方向を反転させ、精神基盤へと逆流する。この現象を「魔力原質の逆流性融解」と呼称する。逆流した高密度マナは、術者の精神殻を構成する情報配列を非選択的に侵食・分解し、結果として思考機能の永続的停止(いわゆる『抜け殻化』)を引き起こす。このプロセスは純粋に流体力学的な崩壊であり、精神魔法防壁による遮断は不可能である(図12・精神殻の崩壊モデルを参照)


多重展開における空間座標の位相歪曲と「術式壊死」


第32条:並列展開時における干渉縞と空間の幾何学的限界

同一の空間座標(あるいは極めて近接した座標)において、独立した二つ以上の術式を同時展開する場合、それぞれの術式が有する幾何学的指向性が干渉し合い、空間の位相に「剪断応力(歪み)」が発生する。

通常、術式は三次元空間に射影されることで安定するが、干渉縞が一定の閾値を超えた場合、空間そのものが耐えきれず、高次元側へと陥没を始める。この領域に展開された術式は実効性を喪失し、不規則な魔素の放射を伴って自己崩壊する。これを「術式の幾何学的壊死ネクローシス」と定義する。

この崩壊領域内においては、因果律の連続性が一時的に断絶するため、術式のみならず、当該座標に存在するあらゆる物質の物質波が不確定となる。臨床的には、領域内の物体は「消滅」するのではなく、「最初からそこには存在しなかった」状態へと確率論的に再演算される。この位相歪曲から離脱するための有効な術式展開は現時点で立証されておらず、事象の自然減衰を待つほかない。


素晴らしいのは、古代種族のドワーフ技師達が、エルフ種族を凌駕する魔法学を、機械工学と融合させて実現させたことだ。

彼らは疑似生命体であるオートマトンすら生み出し、比較的新しい著書『深淵の目撃者』著者ギート・アラノフでは、ドワーフこそ、神であると説く者や、それに感化された人々も実在する。

尤も、ドワーフは神になろうとして、神に滅ぼされた話は有名だ。

知識や力を持ったとしても、既に持っている者から潰されるということだ。

これは、平民と貴族おいて、私には避けられない教訓にもなっている。


私は、ひび割れ、酷使された自分の両手を見つめた。私の体の中にも、このような複雑で神秘的な魔法学の一部が通っているのだろうか。もし、この魔力の流れを完全に理解し、制御することができたなら。私は強くなれるのだろうか。父親の暴力にも怯えない、誰にも搾取されない圧倒的な力を手に入れることができるのだろうか。


魔法書を読み進めるうちに、私は現実の痛みや絶望を完全に忘却していた。


本の世界は、どこまでも公平だ。貧しい者にも、富める者にも、知識は等しく与えられる。文字の羅列は、私に新しい世界を必ず見せてくれる。馬車の泥や、安酒の匂いや、暴力の恐怖が一切存在しない、純粋な知識と想像力だけの世界。


次に、錬金術書を開く。


錬金術の奥深いところは、レシピはほぼ無限に近いということだ。


このまともな応用書にあるように、鍋に水1リットルとアンジェリカルートを入れ、強火にかける。沸騰したら弱火にし、全体の量が半分程度になるまで30分ほどじっくり煮詰めて成分を抽出する。

火を止め、熱い状態の煮汁にセイヨウオトギリソウの乾燥葉を加える。鍋に蓋をして、10分〜15分ほど蒸らす。液が濃い茶〜赤褐色に変化し、ハーブの成分が溶け出すのを待つ。

茶漉しや清潔な布を使って液体を濾し、ハーブの残りかすを取り除く。温かいうちにランジュ蜂蜜を加え、よくかき混ぜて完全に溶かす。


材料を酒、マンチニール、ヒナゲシ、ドクゼリに変えるだけで毒薬にできる。


ある歴史書では。

毒薬ガスのレシピが治療薬として載っており、流布した国を陥れる為に使用された例もあったとか。


必ずしも載っている事が正しいとは限らない。

として、一時期書物が燃やされる時代も。


私も無知な頃、あの飲んだくれを殺そうと考えたけど、もし実行していたら、作る過程でポックリ逝っていた。

それから私は、大好きな本であっても、鵜呑みにするのはやめ、情報の一つとして受け取るようにした。


錬金学は、まるで何百年も前に栄え、そして滅んでいった巨大な帝国の物語のようでもある。それらを見るように、紡がれた知識が書かれている。

尤も、技術が洗練された今では、精巧なラボや研究所でなければ、実用性のあるポーションなどは生み出せない。

私の生きる現代は、洗練されすぎていると言っても過言ではない。


この暗い家畜小屋の二階で、ランプの微かな光を頼りに、ひたすらに本を読む。知識を貪る。


いつか、この絶望的な場所から這い上がるための武器を、この頭の中に蓄え続けるために。


夜風が木の壁の隙間から吹き込み、ランプの炎が揺れる。下階から聞こえるバラムの穏やかな寝息と、遠くで聞こえる虫の声。


そのすべてを切り離し、私は大好きな本の世界へと、深く、深く沈んでいった。


これが、何も持たない貧しい少女である私、エララの静かで孤独な、しかし決して絶望には染まりきらない、長い夜の過ごし方だった。明日もまた、冷たい水で馬車を洗い、泥に塗れる一日が待っている。それでも、この夜のひとときがある限り、私の心は誰にも縛られることはない。


私はページをめくる手を止めず、ただ黙々と、文字の海を泳ぎ続けた。

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