第六十七話
虎太郎の命と信一の記憶
「おい、しっかりしろ虎太郎!」
信一が地に伏した弟の身体を揺さぶる。 血に染まった甲冑が、夕陽に鈍く光る。 返事はない。
虎太郎の瞳は虚ろで、呼吸は浅く、命の灯が今にも消えそうだった。
その瞬間―― 信一の脳裏に、過去の記憶がよみがえる。
まだ幼かった頃。 虎太郎は、兄の背中を追いかけていた。 「兄者みたいな武将になる!」と、無邪気に笑っていたあの日。
戦場で初めて槍を握った日。 震える手を、信一が握りしめて言った。
「怖くても、前を見ろ。お前は俺の弟だ」
その言葉を胸に、虎太郎は幾度も戦場を駆け抜けた。 そして今――その弟が、信一の腕の中で命を落とそうとしている。
「虎太郎……お前は、俺の誇りだ」
信一の声は震えていた。 だがその瞳には、涙ではなく、炎が宿っていた。
この戦は終わった。 だが、虎太郎の命が教えてくれたものは、まだ終わらない。
信一は静かに立ち上がり、弟の亡骸を抱えて空を見上げた。 川中島の空は、赤く染まりながら、次なる戦の予兆を孕んでいた。
金崎・天羽連合軍、三千。不動軍、四千五百。両軍合わせて七千五百の命が失われた。兵力の四分の一以上が失われるという、戦国の世でも稀に見る激戦。
川中島に留まった不動軍は、追撃を選ばなかった。
代わりに、空へと響き渡る勝ち鬨を上げた。
「おおおおお――‼」
その声は、勝利の咆哮か、あるいは生き残った者たちの慟哭か。
両雄の決戦――ここに終焉す。
戦の後、経丸は金崎国子の圧倒的な強さに言葉を失った。あの背中、あの一閃――自分がまだ未熟だと言う事を思い知らされた。
士郎は、己の未熟さを痛感した。守ると誓ったその瞬間、身体は動かず、敵の槍に打ち砕かれた。だがその痛みは、次なる成長への火種となった。
片倉と士郎は、不動軍の圧倒的な力に打ちのめされた。歯が立たず、生き残れたのは奇跡に等しいだろう。
それぞれが、それぞれの敗北を胸に刻み、戦場を後にした。
だが――この戦は終わりではない。
それぞれの心に灯った火は、次なる戦を呼び寄せる。
そして、川中島の風は、まだ血の匂いを運んでいた。
「おい、しっかりしろ虎太郎!」
信一が地に伏した弟の身体を揺さぶる。血に染まった甲冑が、夕陽に鈍く光る。
返事はない。
虎太郎の瞳は虚ろで、呼吸は浅く、命の灯が今にも消えそうだった。
――その瞬間、真一の脳裏に過去がよみがえる。
虎太郎、十五歳。 武術に秀で、仲間からも一目置かれる存在だった。 だが、不動家の家督を継いだのは、文に優れた兄・信一だった。
(俺の方が強いのに……なぜ兄貴が当主なんだ)
虎太郎の胸に、黒い炎が灯る。 力で国を奪い、兄よりも格上の大名になる―― それが、自分の存在を証明する唯一の道だと信じていた。
ある日、稽古場。 汗を流す虎太郎のもとに、信一が顔を出す。
「虎太郎、飯できたってよ」
「……何だ、クソ兄貴!来てんじゃねぇよ!!」
「今日、ご馳走だぜ」
その軽い口調に、虎太郎の怒りが爆発する。 胸倉を掴み、怒鳴りつける。
「兄貴でもふざけてる奴は殺すぞ!!」
だが、信一は笑顔を崩さない。
「そんな怖い顔するなよ~」
その笑顔に、虎太郎の拳が飛ぶ。
「俺の方が武術に優れてるのに、なんで兄貴が当主なんだよ!!」
信一は静かに答える。
「それがお前が俺を嫌う理由か?」
「そうだよ!」
「……十分な理由だな。でも、譲ることはできない」
「譲ってもらうつもりなど元からない!実力で証明してやる!」
虎太郎は仲間たちに目を向ける。
「お前らは絶対に手を出すな!!」
そして、兄に向かって叫ぶ。
「タイマン張ろうぜ。勝った方が当主だ!」
信一は頷いた。
「それでお前の気が済むなら、それでいいよ」
虎太郎の拳が、怒りと悲しみを込めて兄に降り注ぐ。 だが、信一は一切反撃せず、ただ黙って受け止める。
(なぜだ……なぜ殴り返さない!?)
「兄貴、殴れよ!殺すぞ!!」
信一の顔は血に染まりながらも、目は静かだった。
「俺は味方には、どんなことがあっても手を出さない主義なんだ」
その言葉に、虎太郎の拳が止まる。 膝から崩れ落ち、涙が頬を伝う。
「こんなに殴ってる俺を……味方って言ってくれるのか……」
信一はそっと肩に手を置く。
「気が済んだか、虎太郎」
「兄貴ぃ……!」
虎太郎は泣きながら兄に抱きついた。
「兄貴、この仲間たちも不動家で雇ってくれ!根はいい奴らなんだ!」
信一は男たちを見渡し、静かに言う。
「俺はこの日ノ本で最強の軍を作る。そのために力を貸してくれ」
「えぇ……俺らみたいな素性のわからない集団を……?」
「不動家で活躍し、自らを誇れる人間になれ」
男たちは深々と頭を下げた。
虎太郎は心の中で思う。
(兄貴は器が違う……実力で選ばれた当主だ)
「兄貴、俺……一生ついて行く」
「頼りにしてるぞ」
虎太郎は、涙を拭いながら、嬉しそうに笑った。
回想:兄弟の誓い
虎太郎、十五歳。
武術に秀で、仲間からも慕われていた。だが家督は、勉学に優れた兄・信一に継がれた。
(俺の方が強いのに…なぜ兄貴が当主なんだ)
虎太郎は決意する。
隣国の南平亮輔の元に仕え、力で国を奪い、兄よりも格上の大名になる――それが俺の証明だ。
稽古場に兄が現れた。
「虎太郎、飯できたってよ」
「何だ、クソ兄貴!来てんじゃねぇよ!!」
「今日、ご馳走だぜ」
虎太郎は胸倉を掴み、怒鳴る。
「兄貴でもふざけてる奴は殺すぞ!!」
信一は笑顔で応える。
「そんな怖い顔するなよ~」
その笑顔に、虎太郎の拳が飛ぶ。
「俺の方が武術に優れてるのに、なんで兄貴が当主なんだよ!!」
武虎は静かに言う。
「それがお前が俺を嫌う理由か?」
「そうだよ!」
「十分な理由だな。でも、譲ることはできない」
「譲ってもらうつもりなど元からない!実力で証明してやる!」
虎太郎は仲間に言う。
「お前らは絶対に手を出すな!!」
そして兄に挑む。
「タイマン張ろうぜ。勝った方が当主だ!」
信一は頷く。
「それでお前の気が済むなら、それでいいよ」
虎太郎の拳が兄に降り注ぐ。だが信一は一切反撃せず、ただ受け止める。
(なぜだ…なぜ殴り返さない!?)
「兄貴、殴れよ!殺すぞ!!」
信一は顔中から血を噴き出しているがまったく動揺することなく静かに呟く。
「俺は味方には、どんなことがあっても手を出さない主義なんだ」
虎太郎は崩れ落ち、涙を流す。
「こんなに殴ってる俺を…味方って言ってくれるのか…」
信一は肩をポンと叩く。
「気が済んだか、虎太郎」
「兄貴~!!」
虎太郎は泣きながら抱きつく。
「兄貴、この仲間たちも不動家で雇ってくれ!根はいい奴らなんだ!」
信一は男たちを見て言う。
俺はこの日ノ本で最強の軍を作る。そのために力を貸してくれ」
「えぇ…俺らみたいな素性のわからない集団を…?」
「不動家で活躍し、自らを誇れる人間になれ」
男たちは深々と頭を下げる。
虎太郎は思う。
(兄貴は器が違う…実力で選ばれた当主だ)
「兄貴、俺…一生ついて行く」
「頼りにしてるぞ」
虎太郎は嬉しそうに笑った。
回想が終わる。 戦場の喧騒の中、地に伏した虎太郎が、かすれた声で呟いた。
「兄貴……俺は、約束……守ったぞ……」
その言葉は、風に溶けるように小さく、しかし確かに信一の胸を貫いた。
「虎太郎‼ 死ぬな‼」
信一が叫ぶ。 血に染まった弟の身体を抱きしめ、揺さぶる。
「虎太郎――‼」
その瞬間、虎太郎の瞳が静かに閉じた。 呼吸が止まり、身体の力が抜けていく。
信一の叫びが、川中島の空に響き渡った。 その声は、戦場の喧騒をも突き抜け、風に乗って遠くまで届いた。
「虎太郎――‼‼」
兵たちが振り返る。 敵も味方も、その叫びに一瞬、動きを止めた。
夕陽が、血に濡れた甲冑を鈍く照らす。 信一の腕の中で、虎太郎は静かに眠った。
兄弟の絆―― その深さと痛みが、川中島の地に、静かに刻まれた。
そして、戦は終わった。 だが、この叫びは、いつまでも風に乗って、日ノ本の空を彷徨い続けるだろう。




