第六十一話
北国の山間を覆う霧は、まるで白布を広げたように一面を包み込んでいた。千曲川の流れさえ見分けがつかず、岩肌と松の影が霧の隙間にぼんやりと浮かぶ。空気は薄氷のように冷たく、鎧の鉄がわずかに震え、兵たちの吐息が白く立ち上る。
金崎国子は岩の切れ目に立ち、霧の向こうに広がる戦場を見据えながら、右手を高く掲げた。拳を握りしめ、天を突くように振り上げる。
「いいですか、皆さん!この戦は、日ノ本の歴史を塗り替える戦いです。我々はその渦中にいるのです!」
その声は霧を切り裂くように澄み渡り、兵たちの背筋が一斉に伸びる。鎧の紐を締め直す音が静かに響き、足元の露が草を滑らせる感触さえ、戦の覚悟を呼び覚ます。
金崎は拳をさらに高く掲げ、紅潮した顔で叫ぶ。
「自分達に誇りを持てぇー‼」
「オー‼」
兵たちの咆哮が霧を突き抜け、妻女山の稜線を揺るがす。その瞬間、連合軍の士気は一気に高まり、胸の奥に火が灯った。
金崎は経丸に視線を向け、柔らかな声で言う。
「経丸さんも、一言お願いします」
経丸は一歩前に出て、右手を天へ突き上げる。
「気持ちー‼ 気持ちー‼」
兵たちが呼応するように拳を掲げ、声を重ねる。
「気持ちー‼ 気持ちー‼」
霧の中、無数の拳が天を指し、連合軍は一つになった。
金崎は経丸と河野に向き直り、鋭い眼差しで言い放つ。
「経丸さん、河野さん。この戦、私のそばにいてください。戦というものを、教えます」
「はい!」
ひのが遠慮がちに声を上げる。
「金崎さん、私たちは?」
金崎は穏やかに、しかし確固たる口調で答える。
「凛ちゃんとひのちゃんは、軍の中心にいて戦いを見届けてください」
「でも、私も戦いたいです!」
凛がひのの手を握り、静かに言う。
「ひのちゃん、私を守って。私は治療に専念する。あなたがそばにいてくれたら心強い」
ひのは涙をこらえながら頷き、凛を強く抱きしめた。
「わかった。私が全力で守る!」
二人は金崎に向き直り、深く頭を下げる。
「経丸さんと河野さんのこと、よろしくお願いします」
金崎は優しく微笑み、静かに頷いた。
「任せてください」
そして、金崎は経丸と河野を引き連れ、前線へと歩みを進める。馬の蹄が霧を切り裂き、山道に静かに響いた。
川中島・不動軍本陣 同時刻
霧は厚く、視界は白く霞んでいた。草葉に露が降り、兵たちの足元さえぼんやりとしか見えない。
不動信一は広帳の下に腰を下ろし、軍配を握る手をじっと見つめていた。指先にわずかな震えが走る。
「そろそろ来るか?」
その声は低く、霧の中に溶けるように消えた。
弟・虎太郎が空を仰ぎ、吐息を漏らす。
「あと二時間は来ないかと」
信一は軍配を見つめながら呟く。
「俺、緊張してるのかな──」
虎太郎は朗らかに、しかし鋭い眼差しで応える。
「武者震いですよ、お屋形様。これは、勝利の前の熱です」
信一は深く息を吐き、わずかに笑みを浮かべる。
「そっか、武者震いか」
虎太郎が言葉を重ねる。
「この戦で勝って、日本海を手に入れましょう」
その言葉に、信一の目に炎が宿る。
「そうだな。日本海を絶対に手に入れるぞ!」
信一は軍配で左太ももを叩いた。乾いた音が霧の中に響き、兵たちが一斉に背筋を伸ばす。
その瞬間、霧がゆっくりと晴れ始めた。草が光を奪い返し、視界が少しずつ戻ってくる。
それぞれが胸に誓いを抱き、川中島――日ノ本最大の戦が、いま始まろうとしていた。
朝六時。北国の山間を覆う霧は厚く、千曲川の流れさえ見分けがつかない。妻女山の頂から川中島一帯は白い布のように包まれ、霧の隙間に松や岩肌の影がぼんやり浮かぶ。薄氷のような冷気が鎧の鉄を震わせ、兵たちの息が白く立つ。
金崎国子は岩の切れ目に立ち、右手で拳を握りしめて天を突き上げた。軍配を取る声が、静まった山の麓に響く。
「いいですか、皆さん!この戦いは日ノ本の歴史上、最大の戦いとなるでしょう。私たちは、その歴史の渦中にいるのです。」
彼の声は霧の中へ切り込むように澄んでいた。兵たちは背筋を伸ばし、鎧を固く締め直す。足元の露で草が滑るが、その感触さえ戦の前の覚悟を呼び覚ます。
金崎は拳をさらに高く掲げ、顔を紅潮させて叫ぶ。
「自分達に誇りを持てぇー‼」
兵たちは一挙に声を張り上げる。
「オー‼」
その声は霧を突き抜け、妻女山の稜線を揺さぶるようだった。
金崎は冷静な眼差しをぐっと前線に据えながら、自軍の騎馬隊の名を思う。武勇の誉れ高い不動軍、軍神と呼ばれる己が金崎軍。両雄が総力を挙げて戦う日――まさに「日ノ本一、最強決定戦」である。
金崎は経丸に言う。声には優しさが混ざっていた。
「経丸さんも、一言気合の入る言葉をお願いします!」
経丸は金崎の視線を受けとめ、右手を天へと突き上げる。
「気持ちー!!気持ちー!!」
その叫びに、周囲の兵たちも続いた。霧の中で無数の手が天を指し、声が重なる。
「気持ちー!!気持ちー!!」
一致団結――金崎・天羽連合軍の士気はみるみるうちに高まり、胸の内に火が点いた。
金崎は経丸と河野を見据えて言葉を荒げる。
「経丸さんと河野さん、この戦、ずっと私のそばにいてください」
二人は驚き、声をそろえてかすかに言う。
「えっ‼」
金崎の目には鋭い光が宿る。
「戦というものを、お教えしますよ」
二人は声を揃えて答えた。
「はい!」
ひのが遠慮がちに金崎に問う。
「金崎さん、私達は?」
金崎は穏やかながら確固たる調子で言い返す。
「凛ちゃんとひのちゃんは我が軍の中心にいて、今日の戦いをしっかり見ていてください」
ひのがすぐに口を開く。
「私も戦いに出たいです!」
凛はひのの言葉に驚きながら言う。
「ひのちゃん、悪いけど、私を守って」
ひのは凛を見つめ、声を震わせる。
「えっ、凛ちゃんも経丸さん達と共に前線で戦いたくないの‼」
「私の実力じゃ足手まといになるだけだから。今回は皆の怪我の治療とかに専念する」
「そんな事ない‼凛ちゃんは強いよ‼」
凛は力いっぱいひのを抱き締め
「もしも戦いに巻き込まれることになったら、ひのちゃんが私の側にいてくれたら心強いから。だから私の側にいて」
ひのは胸が熱くなり、強く凛を抱き締め返して
「わかった、私が全力でお守りします」
凛も応える。
「ありがとう、ひのちゃん。頼りにしてるから」
朝霧が頬に冷たく触れる中、凛とひのの決意がその握手に込められた。
凛とひのは並び、声を揃えて金崎に向き直す。
「経丸さんと河野さんの事をよろしくお願いいたします」
頭を深く下げる二人。その姿は霧の中に清らかな光を放つ。
金崎は優しい表情で応えた。
「任せてください」
そして、金崎は経丸と河野を引き連れ、軍の前線へと歩みを進める。朝霧を切り裂くように、馬の蹄の音が静かに、だが確かに山道に響いた。




