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ターニングポイント 外岡士郎と天羽家の初陣  作者: 房総半島
第三章大名達の登場
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第六十話

夜の冷気が肌を刺し、月が雲間から顔を出すたび、山の影がひそかに揺れた。妻女山の稜線の風は湿り気を帯び、千曲川から立ちのぼる霧が下界を包んでいる。金崎軍主力、九千の兵と天羽軍の千人の影がひっそりと山を下る。

金崎遼太、悠太率いる二千の兵と天羽軍片倉とチビルと士郎を含めた千人は妻女山に留まる事になった。鎧の金具がわずかにぶつかり合ったり、草むらを踏む足音が小さく震えたりするたびに、誰かが息をのむ。

ひのは暗闇の中で肩をすくめ、低い声で問いかける。

「残った皆さんは、大丈夫でしょうか……?」

月明かりに浮かぶ凛の横顔が硬い。鎧の音を立てぬよう、彼女はひのの肩を優しくたたいた。

「片倉さんがついているから大丈夫だよ。必ず皆を守ってくれるよ。」

ひのの唇は震え、目が虚ろになる。凛はひのの両肩を包み込むようにして声を落とす。

凛はひのの肩を優しく揉みながら

「ひのちゃんの気持ち凄くわかる私も実際は不安だよ。でも今は皆を信じることしかできないかな」

「そ、そうだよね」

経丸が一歩前に出て、凛とひのの手をぎゅっと握る。

「残った方々は皆、絶対に死なないです!だから私達も必ず生きて帰ってまた皆で楽しい事しましょうよ‼」

その言葉は、夜の静寂を突き破る小さな雷鳴のようだった。

凛は微笑んで

「そうですね、経丸さんの言う通りですね。また皆で楽しいことしましょう」

 ひのも笑顔で

「とりあえず、皆で豪勢な祝賀会しましょうね」

 経丸はひのの肩を揉みながら

「それいいですね!ひのちゃん」

 ひのが

「私、楽しみになってきました」

「二人とも頑張ろう」

 凛とひのは声を揃えて

「はい、頑張りましょう」

 その時、河野が真剣な表情で声を震わせながら叫んだ。

「皆、頑張ろうよ!絶対に頑張ろうよ!」

ひのが振り返る。月光に照らされた河野の顔は、いつになく真剣だった。

「河野さんも…怖いんですか?」

「こ、怖くないよ…怖くない…」

 ひのが河野に

「本当に?本当ですか?」

河野は震えながらも、腹の底から叫んだ。

「めっちゃ恐い‼めちゃくちゃ恐い‼でも頑張るんだ‼頑張るしかないんだ‼」

その言葉に、皆が拳を握る。

「河野さんの言う通りです!頑張りましょう!」

「経丸さん!僕らは最強ですから、大丈夫です!」

河野は経丸の手を両手で握りしめる。

「経丸さんのこと、死ぬ気で守ります!」

経丸は少し驚きながらも、静かに頷いた。

「ありがとうございます」

 凛が河野をじっと見つめて、ぽつりと呟く。

「河野さんに彼女がいる理由がわかった気がする」

「えっ?何がですか?」

 凛はいじわるっぽく

「…別に、なんでもないですよ」

凛は河野にだけ聞こえる声で囁く。

「経丸さんの手、握ったこと…兄貴に言ったらどうなりますかね?」

 河野は凛の言葉に焦り大声で

「あっ!あああ‼凛ちゃんそれは内緒で‼絶対に内緒で‼あの人、嫉妬で狂って何して来るかわからないから」

 凛はその必死さに吹き出し、笑いながら言った。

「経丸さんをホントに頼みますよ」

「わかってます、経丸さんに何かあったら士郎さんに殺されちゃうから」

「河野さんも必ず生きて帰って来てください」

 河野は凛の右手を両手で強く握って

「ありがとう。死ねないよ。借金返さないと士郎さんにそれも怒られるから」

 凛は思わず河野を強く抱きしめ

「ホントに無事帰って来て下さい‼」

 河野は思わず驚きながら

「凛ちゃんって意外と熱い人なんだね‼いいね!めっちゃいいね‼」

 凛は恥かしさで顔を真っ赤にしながら

「そう言われると恥ずかしいですよ‼」

 河野は経丸に

「経丸さん、凛ちゃんとひのちゃんに抱きしめてもらった方がいいですよ。力貰えますよ」

 経丸は勢いよく二人を抱きしめた。

「頑張ってきます!」

凛が背中をさすりながら囁く。

「無理しないでくださいね。逃げてもいいんですから」

ひのは思わず涙をポロポロこぼしながら

「必ず、生きて帰ってきてください!」

経丸は鮮やかな布でひのの涙を拭い、それを手渡す。

「必ず返してもらいますから」

ひのは慌てて答える。

「あっ、はい!すみません、洗ってないですけど…」

凛と経丸が笑い出す。

「ひのちゃん、そういう意味じゃないのよ」

「えっ?」

「生きて帰ってくるよって意味だよ」

 ひのは驚いた顔で

「えっ?そうなんですか?」

経丸が少し照れながら頷く。

「そうですよ」

ひのが河野に尋ねる。

「河野さん、わかってましたか?」

「いや、俺もすぐ返せって意味だと思ってた」

経丸が笑いながら言う。

「私の伝え方が下手でしたね。河野さん、行きましょう」

「はい!」

経丸と河野は、金崎軍本隊と共に、主戦場へと向かっていった。

霧が濃くなる。風が唸る。戦の幕が、静かに、しかし確かに上がろうとしていた

――。


その頃―― 妻女山の稜線に、冷たい夜風が吹き抜けていた。月は雲の合間から顔を覗かせ、霧が千曲川から立ちのぼり、山肌を静かに這っている。金崎遼太・悠太率いる二千の兵と、天羽軍の片倉・チビル・河野を含む千人は、山に留まり、闇の中で息を潜めていた。

チビルは、黒く沈む山の向こうを見つめながら、ぽつりと呟いた。

「……経丸さん達、行ってしまったね」

その声は風に溶けるように小さく、士郎が息を詰めて応じる。

「そうだな……経丸さん達、大丈夫かなぁ」

風が草を揺らす音が、稜線から静かに降りてくる。鎧の金具は幾重にも布で覆われ、松葉の揺れも、馬の呼吸も、すべてが敵の目と耳を警戒して制御されていた。火を焚けば一瞬で見つかる。音を立てれば命を落とす。夜の軍律は、張り詰めた弦のように厳しかった。

片倉は闇の中で霞む稜線を見定めながら、低く、しかし頼もしげな声で言った。

「大丈夫。若達は強いから」

その言葉に、士郎は微かに頷き、勢いよく片倉の背中を叩いた。

「そうですよね!経丸さん達、めちゃくちゃ強いもんね!」

片倉は苦笑しながら肩をすくめる。

「痛いよ、士郎君……」

「あっ、すみません……」

松の影の中、兵たちは息をひそめ、耳を澄ます。遠く、千曲川の水音がかすかに聴こえる。海津城方面の町の明かりは見えないが、その存在は確かに感じられた。

片倉は士郎たちの耳元に顔を寄せ、囁くように言った。

「皆……敵を倒すぞ」

士郎は思わず声を張り上げる。

「おう‼」

その瞬間、片倉とチビルが慌てて士郎の口を塞いだ。

「ごめん、俺が言わなかったのが悪かった。今は大きい声、出しちゃダメだよ」

「あっ、はい……すみません」

士郎の反応に、片倉は優しい口調で語りかける。

「絶対に大丈夫だから。俺の言葉を信じて」

士郎はホッとした表情で頷いた。

「はい、信じます‼」

片倉は夜空を仰ぎ、星の瞬きの間合いを見て、そっと心の中で誓った。

(大殿……自分の命に代えてでも、若を死なせませんから)

霧が濃くなる。風が唸る。 そして、静寂の中に、戦の気配が確かに近づいていた――。


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