第五十七話
朝霧が立ち込める春日山城の城門前。士郎たち天羽家の一行が馬を降りると、重厚な城門がゆっくりと開いた。
「天羽家の皆さま、この度はありがとうございます」
現れたのは、なんと金崎本人だった。甲冑ではなく、礼装に身を包み、穏やかな笑みを浮かべている。
天羽家の面々は驚きに目を見開いた。名門の当主が自ら出迎えるなど、滅多にないことだった。
経丸はすぐに前へ進み、深々と頭を下げる。
「金崎様、わざわざ私たちをお出迎えいただき、誠にありがとうございます」
金崎はその言葉に頷くと、経丸の元へ小走りで近づき、両手で経丸の手を握った。
「本当に…ありがとうございます」
その声には、感謝と安堵が滲んでいた。
経丸は力強く応える。
「金崎殿のお力になれるよう、天羽家一同、全力で戦います」
その言葉に、士郎がぽつりと呟く。
「全力はよそうよ…危ないよ…」
凛はその言葉に微笑みながら、そっと兄の肩を叩いた。
「兄貴、共に腹を括るか」
士郎は一瞬目を伏せたが、すぐに顔を上げて頷いた。
「あぁ…そうだな」
「天羽家の皆さん、湯の準備をしてあります。長旅の疲れを癒してください」
金崎の柔らかな声が城門前に響いた。天羽家の面々は、名門の当主自らの気遣いに驚き、思わず足を止める。
「お気遣いありがとうございます」
経丸が礼を述べると、金崎は微笑みながら一歩前へ進み、士郎に目を向ける。
「士郎君、ちょっと」
呼ばれた士郎は戸惑いながらも金崎の元へ歩み寄る。
「先生、なんですか?」
金崎は周囲を見回し、士郎の耳元にそっと顔を寄せる。
「経丸さんのこと、心配してるんでしょう?」
士郎は目を伏せ、静かに頷いた。
「そりゃ…もちろんです」
金崎は士郎の肩に手を置き、真剣な眼差しで言った。
「絶対に大丈夫だから安心して。不動の兵達に、経丸さんには指一本触れさせないから」
士郎は目を見開き、思わず声を上げる。
「そんなこと…できるんですか⁉」
金崎は自信に満ちた笑みを浮かべ、堂々と胸を張る。
「私を誰だと思ってるの?軍神・金崎国子よ」
士郎は言葉を失いながらも、なお不安を隠せない。
「でも…敵は日ノ本最強騎馬隊、不動家ですよ」
金崎は一歩前に出て、士郎の目をまっすぐに見つめる。
「最強じゃ、軍神には勝てないわ」
その言葉に、士郎の胸の奥で何かがほどけた。
「先生…信じますからね」
金崎は士郎をギュッと抱きしめた。その腕は温かく、力強かった。
「任せて‼」
士郎は涙をこらえながら、深々と頭を下げた。
「先生…ホントにお願いします」
その姿に、金崎は静かに頷いた。 春日山の空は、戦の予兆を孕みながらも、どこか穏やかだった。
天羽家の面々は金崎の厚意に甘え、広々とした温泉に身を沈めていた。湯気が立ち込める中、緊張と安堵が入り混じった空気が漂う。
ひのが隣にいた片倉に声をかける。
「不動家って、どんな戦い方をするんですか?」
片倉は湯に肩まで浸かりながら、静かに答えた。
「騎馬隊で戦場を縦横無尽に駆け巡り、敵を圧倒する戦い方だよ」
すると、河野が勢いよく手を挙げて大声で尋ねる。
「縦横無尽って何ですか?」
片倉は笑いながら説明する。
「簡単に言えば、思う存分暴れまわるってこと」
「騎馬隊で思う存分暴れまわるってことですね!」
片倉は河野を指差して、にっこりと頷いた。
「そう、そういうこと!」
河野は真剣な顔でさらに問いかける。
「なるほど…ところで騎馬隊って何ですか?」
その瞬間、湯殿の空気が一瞬止まり、皆が湯の中に沈んだ。
「馬に乗って戦う兵隊ってことだよ」
「なるほど。でも馬に乗って戦う人、見たことありますよ」
片倉は続ける。
「他の家では大将格しか馬に乗らないけど、不動家は兵の六割が馬に乗って戦うんだ」
「えっ、なんでそんなに馬がいるんですか?」
「不動家が支配してる土地は、良い馬がたくさん生まれる場所なんだ」
河野は目を輝かせながら言った。
「ズルいっすね!」
「確かに、ズルいよな」
河野はさらに声を張る。
「じゃあ、馬に乗ってる相手ってどうやって戦うんですか?」
その問いに、経丸が静かに口を開いた。
「馬に乗って戦う相手には、乗っている者を狙わず、馬を攻撃します」
河野は目を丸くして叫ぶ。
「えっ~!お馬さん可哀そう!」
経丸は湯の中で姿勢を正し、真剣な表情で言い放つ。
「戦とは殺し合いです。敵に同情している余裕などありません」
その言葉に、河野は震えながら小さく答える。
「す、すみません…」
経丸は湯気の中で立ち上がるようにして、声を張り上げた。
「私はこの皆さん、誰一人として死なせたくない。もう、大切な人を失いたくないんです‼」
「だから覚悟を持って戦ってほしいんです!相手は日ノ本最強の不動家なんですから‼」
その迫力に、湯殿の空気が一変した。普段温厚な経丸の、見たことのない真剣な表情に、誰もが言葉を失った。
その沈黙を破ったのは、凛だった。
「カッコイイです、経丸さん。さすが私たちの主です!」
凛は士郎の肩を軽く叩き、力強く言った。
「兄貴、経丸さんがこんなに皆のことを思って覚悟してる。私たちも覚悟持って戦わないと失礼だよ‼」
士郎は湯の中で静かに頷いた。
「そうだね…確かに、凛の言う通りだ」
凛は河野の肩を優しく叩き、柔らかな声で語りかける。
「河野さん、私もさっきまで覚悟持ててなかったから…大丈夫ですよ」
「そうなんですか?」
「はい。河野さんのおかげで、皆しっかり気持ちを同じ方向に向けられた」
「そうなんですか!僕のおかげなんですか‼」
「そうですよね、経丸さん」
経丸は微笑みながら頷いた。
「河野さん、ごめんなさい。厳しい口調になってしまって」
「経丸さん、僕のおかげで皆がまとまったんですか?」
「はい」
凛は経丸に向き直り、真っ直ぐな目で言った。
「私、経丸さんに仕えられたこと…人生で一番の自慢です」
その言葉に、経丸は思わず目を潤ませた。
士郎は兄として心配そうに言う。
「凛…まさか死ぬ気じゃないよな…」
凛は士郎を睨みつけ、ピシャリと返す。
「縁起でもないこと言わないの‼」
湯殿の空気が一瞬重くなる。
――そりゃそうだ。士郎が妹を心配する気持ちは痛いほどわかる。 だが、戦前に「死ぬのか?」なんて縁起でもないことを口にする士郎が、やっぱり悪い。
凛が、場を和ませようと少しおチャラけた口調で声を上げた。
「経丸さん、兄貴は多分この中で一番戦に対する意識低かったんで、少し罰を与えるべきかと」
経丸は一拍置いて、真顔で応じる。
「そうですね。一か月減給しますか」
その瞬間、湯殿に笑いが弾けた。
「えっ?なんで?そうか…それがし、意識低いかなぁ。ごめんなさい…」
士郎はしょんぼりと湯に沈みかける。そんな兄に、凛がそっと耳元で囁く。
「兄貴が暗いのってさ、似合ってないよ」
その一言に、士郎の目からぽろりと涙がこぼれた。誰にも気づかれないよう、湯に潜ってから大声で叫ぶ。
「待て待て、ふざけんな!凛‼ 何余計なこと言ってんの!経丸さんも減給しようとすな‼」
凛は笑いながら返す。
「この戦が無事終わったら、兄貴の減給したお金で皆で美味しいもの食べましょうよ!」
ひのが目を輝かせて乗っかる。
「何、食べましょうか?」
士郎は慌てて
「ひのちゃん、話進めちゃだめよ‼」
片倉がニコニコしながら提案する。
「経丸さん、多めに減給しましょう。そうすれば美味しいものたくさん食べられますよ」
士郎は湯から飛び出すようにして叫ぶ。
「おい、片倉さん!何バカなこと提案してんだ‼」
経丸は静かに頷きながら、さらりと告げる。
「いいですね。わかりました。一か月給料なしにしましょう」
「おい、経丸さん!アンタは鬼か‼ おい、チビル!なんか言ってやれ‼」
チビルはぽつりと呟く。
「俺、美味しい肉が食いたい」
士郎はチビルの頭をぐりぐりしながら叫ぶ。
「てめぇ!口数少ないくせに、珍しく喋ったらろくなこと言わないな‼」
「お前がなんか言えって言ったんだろ‼」
「俺に味方しろよ!」
「やだぁ~皆から嫌われるもん」
その言葉に、湯殿は再び笑いに包まれた。
すると河野が突如、大声で叫ぶ。
「やったぁー!士郎さんのお金で美味しい肉が食べれる‼」
士郎はチビルを放し、河野を捕まえて頭をぐりぐり。
「おい、元はお前が原因なんだぞ!お前ももちろん減給される側に決まってんだろ‼」
「いや、僕は減給遠慮しておきます」
「何が遠慮しておくだ‼ ふざけるな‼ こうなったらお前は必ず巻き込んでやる‼」
経丸が笑いながら締めくくる。
「河野さんは普段の働きがいいので、減給なんてできないですよ」
「どこが普段の働きいいんだよ!こいつは納屋燃やしたんだよ‼」
士郎の叫びに、湯殿がざわつく。河野は肩をすくめてため息をつく。
「もう納屋のことなんて誰も言ってないですよ。士郎さんはしつこいんだから…ふぅー」
その瞬間、士郎が河野の首を軽く絞める。
「痛い、痛い、士郎さん痛いです‼」
「じゃあ、謝りなさい」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「しかたない、許してやろう」
河野はすぐさま経丸の背中に回り、ニヤリと笑って囁く。
「謝れば簡単に許すとか…チョロい奴め」
「てめぇ!ぶっ飛ばしてやる‼」
「きゃー、暴力男‼」
湯殿は笑いに包まれ、先ほどまでの緊張が嘘のように消えていった。
その笑いの中で、誰もが気づいていた。 このふざけ合いの裏にあるのは、仲間を思う気持ちと、命を懸ける覚悟。
そして――
天羽家の皆は、心を一つの方向に向けて、不動家との戦に臨むのであった。




