五十三話
清州城の庭先には、柔らかな風が吹いていた。八坂は天子の膝を枕にしながら、どこか無邪気な笑顔でつぶやく。
「そういえば、天ちゃん最近父上に会ってないでしょ。たまには顔見せに行こうか」
「えっ!いいんですか?」
「ああ、一段落したしな。じゃあ、明日行こう」
唐突な提案に、天子は目を丸くした。
「明日⁉ あまりに急ではありませんか?」
八坂は彼女を茶化すように笑う。
「善は急げって言葉、知らない?」
天子は笑いながら、八坂の頬を軽く引っ張りながら
「知ってる!」
そしてその翌日、八坂は五千の兵を連れ、天子の実家・飛騨の国、稲葉山城へと向かった。
八坂達は無事に難攻不落と呼ばれている稲葉山城に着いたのであった。
八坂翔平と天子は客間に通されようとしたが八坂翔平は天子に
「先に行っててくれ俺は用を足してから行くから」
「わかった」
そう言って天子は客室に向かった八坂も天子にバレないように付いて行き天子が客間の襖を閉めると八坂は客間の前に座りこんだ。
天子は客間に入ると少し太った六十歳の男敏三郎がニコニコしながら天子に駆け寄り
「おう~!おう~‼てんこ~‼久しぶりだなぁ」
と言って両手で天子の顔を包み込む。
「父上、久しぶりです」
敏三郎は天子を抱き締め
「会いたかったぞ‼ホントに会いたかったぞ‼」
「父上、私も会いたかったです」
天子の言葉に嬉しくなった敏三郎は更に力強く抱きしめると
「父上、苦しいです」
「おっ、ごめん。ごめん」
と天子を離す。
天子は少し笑いながら
「父上、泣いてるんですか」
敏三郎はボロボロ涙をこぼしながら
「泣くだろ!泣くに決まってんだろ‼もう、天子に会いたくて会いたくて仕方なかったんだから」
敏三郎の涙を見て天子は思わず
「父上、やめてください。私まで泣いちゃうじゃないですか」
泣き出す天子を父は優しく抱きしめる。
ふたりはしばし、言葉を交わさぬまま抱き合っていた。
「婿殿はどうした?」
「今、お手洗いに行ってるのですぐに来ると思います」
「そっか、そっか婿殿が来たらお礼言わないとな」
「そうよね」
「最近はどうだ?婿殿とうまくやってるか?」
「はい、殿は少し甘えん坊な所もありますけどとても優しい方なので」
「それはよかった、少しでも不満があったらすぐに言うんだぞ!その時は叩き斬ってやるんだから」
客間の前で泣きながら話を聞いている八坂は父の言葉にゾッとしたのであった。
二人が楽しそうに話している時に八坂は襖の外で座り込みながら、そのやり取りを聞いていた。こっそり涙を拭っているところを、天子の父の家臣に見つかる。
「八坂様、どうなさいましたか?こんなところで泣きながら座っているなんて」
八坂は慌てて
だがすぐに襖が開き、天子が穏やかな表情で出迎えた。
「殿、こんなところにいて。どうして中に入らないの?」
八坂は気まずそうに笑いながら言い訳を並べる。そんな八坂に天子が差し出した手拭いが、優しく頬を拭いながら
「気を使ってくれてたんだね」
「いや、その・・・」
その様子を見た敏三郎が低い声でぼやいた。
「……おい、何イチャついとんだ。首を刎ねるぞ」
八坂は慌てて敏三郎の前に正座して座り、
「申し訳ございません」
敏三郎は冗談交じりに笑い、すかさず切り返す。
「その機敏な動きで南平を討ち取ったのか?」
「そうでございます。父上への対応のおかげで機敏に動けるようになりました。感謝致します」
そんなやり取りに、三人は笑った。
八坂は客間に通されると背筋を伸ばし、敏三郎の前で正座する。緊張が汗となって首筋を伝う。
「婿殿、今日は天子に会わせてくれてありがとう」
敏三郎の優しい声に、翔平はかすかに笑って応じた。
「い、いや……どうも」
「うちの天子は……ちゃんとやってますか?」
八坂は先ほどの会話を聞いていたので思わず背筋を伸ばし、慌てた感じで少し声を裏返らせる。
「はいっ!もちろんです!ぼ、僕はいつも天子様に助けられております!天子様がいなければ八坂家は成り立ちませんし……その、天子様こそが当主にふさわしいと申しましょうか……!」
あまりの慌てぶりに、敏三郎はふふっと笑みを浮かべて天子に目を向ける。
「天子、婿殿はいつもこんな感じなのか?」
天子はきっぱり首を振る。
「いいえ、違います。『天子様』なんて一度も呼ばれたことありません。いつも『天ちゃん』って呼ばれてますし、普段は『俺は天才ウェーイ!ウェーイ!』って感じです」
八坂の顔が一気に真っ赤になり、わたわたと手を振る。
「ちょっ、天ちゃん!俺がいつ天才ウェーイ!ウェーイ!って言ったよ‼」
天子はクスクスと笑う。
「でも、天ちゃんって呼んでるんだ。仲良くて嫉妬しちゃうなぁ~背後に気を付けなよ」
八坂翔平は慌てて
「え、えええっ⁉ こわっ、それは怖いですって、父上‼」
三人の笑い声が、晴れやかな昼下がりの稲葉山城に響いた。
三人は笑う。
その後、八坂翔平と天子はご馳走を振舞ってもらい堪能した後、八坂は敏三郎に縁側に呼ばれた。
夜風はやわらかく、虫の音が遠くから聞こえてくる。夜空には、雲ひとつない満月がぽっかりと浮かんでいた。
八坂翔平は縁側に腰を下ろし、思わず見上げながら
「すげぇ~綺麗な満月が出てますね」
と呟く。
「俺らの再会を月も祝福してくれてるんだろうな」
敏三郎はその隣に座り、優しく笑った。
「はい」
少しの間、ふたりは言葉を交わさず、虫の声と風の音に耳を傾けた。やがて敏三郎が立ち上がる。
「婿殿、ちょっと待っててくれ」
戻ってきた敏三郎の手には、長方形の小さな包み。
「甘いもの、好きだったよな」
「はい、実は…かなり」
敏三郎はいたずらっぽく笑いながら包みを広げる。
「“カステラ”って言ってな、西洋から入ってきたらしい。こっちでもめったに手に入らん。貴重なもんだ。一緒に食おうや」
「えっ……そんな珍しいものを私なんかが」
「いいから、食べようぜ」
「いただきます」
遠慮しながらも、一口齧ったカステラの柔らかな甘みが舌に広がる。
八坂は目をまん丸くしながら
「うま‼驚くほどうまいですね‼」
敏三郎は笑顔で
「いい反応するね‼翔平殿‼」
「これ美味すぎますよ‼初めて味わった味です‼」
「そんな喜んでくれると嬉しいなぁ」
と敏三郎は呟いた。
二人はカステラを味わうその中で敏三郎がぽつりと呟いた。
「……天子は、可愛いか?」
八坂は一瞬驚いたが、照れ隠しすることもなく、まっすぐに頷いた。
「……そりゃ、可愛いに決まってますよ」
敏三郎の表情に、ふと切なさが滲む。
「……そうか。それなら良かった。天子は昔から、優しい子だったんだぞ。ワシのことばっかり考えて、嫁ぐときも言ってくれた。“もし父上の邪魔になるような男だったら、私が刺し殺して参ります”ってな……」
「……」
(えっ!ちょっと待って、天子は俺の事を殺そうとしてたの?すげぇ~恐ろしい)
八坂翔平は背筋をブルッと震わせた。
「でもな、そんな天子が今日、ワシにこう言ったんだ」
回想
「父上、話しておかなければいけない事があります」
「なんだ、話してみろ」
「昔は私の一番大切な人は父上でした。でも今、私は殿を愛しています。殿は天下統一を本気で目指している方です。そのお手伝いに私は人生をかけようと思っています。だから父上も協力して頂きたい」
敏三郎は切ない顔で頷く事しか出来なかった。
回想終わり
その言葉を回想する敏三郎の目は、月光に濡れていた。
やがて敏三郎は、畳に膝をつき、深く頭を下げる。
天子の父上は畳に膝をついて頭を下げて
「婿殿……どうか、天子を幸せにしてやってくれ」
八坂まっすぐに背を伸ばし、膝を正しては泣きながら
「はい、もちろんです」
満月の光が静かにふたりを照らす中、武将と武将、そして父と婿は、確かに心を通わせた。
——そして、ふたりの間には、血の繋がりを超えた家族の絆が生まれていた。
清州の夜は静かで涼しく、障子越しの月明かりが柔らかく差し込んでいた。
八坂は、天子の膝に頭を預けて仰向けになりながら、耳掃除をしてもらっていた。天子の白い手がそっと頭を撫で、その温もりに思わず幸せそうに
「はぁ〜、楽しかったね。天ちゃん」
天子は微笑みを浮かべながら、髪を整えるようにやさしく撫ぜながら
「殿、こたびは本当にありがとうございました。父上、とても嬉しそうでした」
八坂は目を閉じたまま、ゆっくりと頷いた。
「こちらこそ、ありがとう。父上と、いろいろ話せてよかったよ」
少し間をおいて、天子がつぶやく。
「しかし、なんか父上のお話を聞いて嫉妬しちゃったなぁ~」
天子はからかうように
「えっ、嫉妬したんですか?殿可愛いですね」
って言って八坂翔平の頬を人差し指でツンツンする。
「ほう~、そうやって煽りますか。それなら」
「失礼します」
そう言って八坂翔平は天子の胸を触り始めた。
天子はいきなり触られて
「殿!やめてください‼耳掃除してるんですから危ないですよ‼」
「天子が悪いんだぞ~耳掃除なんてやめじゃ」
天子もまんざらではなく二人はイチャイチャしているといきなり勢いよく戸が開き、冷たい空気が流れ込んできた。
「殿、申し上げます!」
その声にふたりは同時に驚き、八坂は慌てて天子の膝から起き上がろうとして——
「ぐわっ‼」
畳に頭を激しくぶつけた。
「だっ、誰だよぉお……!」
頭を抑えながら睨みつける先には、緊迫した面持ちの爺やが立っていた。だが、八坂の剣幕にわずかに肩を震わせる。
「し、失礼を……しかし急報にて……」
「……要件はなんだ!」
一瞬の沈黙ののち、爺やは震えを抑えるように深呼吸をし、低く、しかしはっきりと告げた。
「天子様のご兄君が、敏三郎殿を相手に挙兵いたしました‼」




