第五十二話
その頃、八坂家では主君が爺やに問う。
「爺や、岡崎の大士殿と同盟を組みたいと思うんだが、どう思う?」
爺やは腕を組み、考え込む。
「岡崎の大士か……いいんじゃないか」
八坂は満足げに頷いた。
「よし、善は急げだ!すぐに使者を出す」
「はい」
岡崎城に八坂の使者が大荷物を持ってやって来た。
使者の言葉に、大士は目を細めた。
「八坂翔平殿が同盟を結びたいですか——?」
使者は深く頭を下げ、恭しく述べる。
「はい、我が殿は大士殿を高く評価しておりまして、ぜひ同盟を結びたいと」
大士は一瞬だけ沈黙した。兵達は静まり返る。彼が次に何を言うのか、皆が息をのんで待っていた。
そして、低く響く声で答えた。
「八坂殿にありがたいお言葉だが、断るとお伝えください」
使者が驚愕し、顔をこわばらせる。
「えっ……?」
大士はじっと使者を見つめながら続けた。
「我らの主・南平金々様は八坂殿に討たれた。我らは金丸殿と協力し、弔い合戦をするつもりだ——そのまま、八坂殿にお伝えせよ」
空気が張り詰めた。
鷲雪は慌てて大士の袖を引き、声を潜める。
「殿、何もわざわざ正直に宣戦布告することないですよ‼」
使者も大士の言葉に顔を引きつらせながら、恐る恐る問いかける。
「本当に今の言葉のまま、殿にお伝えしてよろしいのですか……?」
大士は使者の目をじっと見つめる。その瞳には、迷いはなかった。
「——はい、そのままお伝えください」
「わかりました」
そう言って使者は震える手を握りしめ、深く頭を下げて立ち上がって去って行った。
清州城に使者が帰還し、報告を終えた。
「そうか、そう言っていたか……麒麟殿は」
八坂は静かに唇を噛んだ。その表情は思案に沈んでいた。
「はい」
「わかった、戦を起こされる前に、こちらから攻め込むか」
八坂は軍勢を整え、三千の兵を率いて岡崎城を囲んだ。
軍議の場で、爺やが尋ねる。
「殿、どう攻めるおつもりですか?」
八坂は微笑みながら答えた。
「爺や、今回は攻めないよ」
爺やは驚き、眉をひそめる。
「……えっ?」
八坂は城を見据えながら、確信を持って言った。
「包囲しているうちに、大士殿は折れるさ」
爺やは首を傾げる。
「殿、何か裏でしたんですか?」
八坂の唇がわずかに釣り上がる。
「まぁ、そりゃするよ。それに、大士殿はこんなところで死なせていい男じゃないからな」
爺やは八坂の言葉に息をのむ。八坂の戦略には、何か奥深いものがある。
「今回は長陣になる。皆に定期的に酒を飲ませて、息抜きさせてやれ」
「——わかりました」
八坂軍の兵たちは、包囲の陣を固めながら、じっと岡崎城の動きを伺っていた。
岡崎城内の空気は沈んでいた。戦の準備が進められる一方で、肝心の金丸がまだ姿を見せない。その不安が、次第に兵たちの心を蝕んでいた。
大士は深く息をつきながら、松風に問いかける。
「松風殿、金丸殿はいつ来ますかね?」
松風は腕を組み、静かに答えた。
「まだ、準備を進めてるんじゃないか」
「……まだ、一週間しか経ってないですもんね。少し焦りが出ました。すみません」
大士は真剣な顔で謝った。それを見た松風は、笑いながら言った。
「焦りぐらい出るさ。それすら隠されたら、全く信用されてないんだって思って俺は拗ねるぞ」
その言葉に、少し場の空気が和らいだ。だが、それも束の間——。
鷲雪とぴーが部屋に入ってきた。鷲雪は真剣な表情で
「殿、申し訳ないのですが……もしかすると、金丸殿には戦う意志がないのかと」
ぴーがすぐに口を挟む。
「そんなことはないでしょ!自分の父が殺されたんだよ。敵討ちするでしょ」
しかし、鷲雪は眉をひそめながら続ける。
「しかし、南平家の家臣が相次いで離反し、甲斐の北野家や八坂家に仕えております。その対応に追われているのではないかと」
ぴーは優しい口調で頷いた。
「確かに、それはそうか。お前の言ってることはもちろんわかるけど……」
そして、大士に向き直り。
「お前は金丸をどう思う?」
大士は静かに答えた。
「私は金丸殿は来ると思います」
その言葉に、ぴーはしばし沈黙する。そして、深く頷く。
「わかった。俺らは金丸を信じて待つ‼」
鷲雪は目をまん丸くして、ぴーを見つめた。
「ぴー……」
ぴーは照れくさそうに笑う。
「俺だって会ったこともない奴なんか信じられねぇけどよ……仕方ねぇよ。こいつが信じるって言ってんだ。信じるしかねぇだろ。こいつと同じ思いじゃなきゃ不安でおしつぶされちまうだろ」
鷲雪の目に、涙がにじむ。
「ぴー……ありがとう。あなたの言う通りだわ」
ぴーは大士に向かって、冗談めかした口調で言う。
「何かあったら責任取れよ」
大士は静かに微笑みながら、優しく答えた。
「もちろんです」
その言葉が、岡崎城の沈みがちな空気をわずかに和らげる。だが、大士達はまだ知らなかった。金丸がどんな決断を下したのかを——。
剣真が足音も荒く駆け寄る。
「殿、八坂殿より書状が」
「ありがとう」
大士は受け取った封を静かに裂き、文を目で追った。言葉が胸に重く落ちた。
「……金丸殿は、八坂殿に降伏した」
沈黙が落ちる。誰も声を上げられなかった。
大士は手紙を静かに破り捨てる。
「まぁ……この手紙、敵の策略かもしれませんね」
だが剣真はまっすぐな瞳で言う。
「殿、それは……ないかと」
「え?」
「八坂家から、使者が参っております」
襖が音を立てて開かれた。その先に立っていたのは、土下座する男——金丸だった。
大士は力のない声で
「……降伏されたんですね」
「済まない。すべては、私の力不足だ」
「……頭をお上げください」
「いや……本当に申し訳ない」
長く続く沈黙の中、大士は静かに言った。
「私を主に頭を下げさせる、不届き者の部下にしないでもらえませんか」
金丸は顔を上げた。その瞳には深い後悔と涙がにじんでいた。
大士は丁寧な口調で
「金丸殿は何の要件を伝えに来て下さったんですか?」
「大士……悪いようにはしない。頼む、八坂家に降伏してくれ」
「なぜです?」
「八坂と戦をすれば十中八九敗れる。それに八坂翔平はお前を高く評価している。だから降伏してくれ」
「……しかし」
「岡崎で無駄に戦をすれば、罪もない多くの者が血を流すことになる……」
その言葉に、鷲雪が立ち上がった。
「何て言い草‼ 殿はあなたの父の仇を取るために戦うんですよ‼ それを腰抜けのあなたが……!」
大士は慌てて鷲雪の口を抑える。
そして、ゆっくりと金丸に頭を下げた。
「戦う大義名分が、無くなりました。降伏いたします」
金丸は嗚咽をこらえきれず、震える声で答えた。
「済まない……麒麟」
大士は、ふっと微笑みを浮かべる。
「金丸殿。一杯、飲みませんか?」
「麒麟……お主はどれだけいい奴なんだ……」
「いい奴じゃないですよ。私は……八坂翔平殿と戦うのに、怖気づいただけです」
大士と金丸はその夜、酒を二人きりで酒を酌み交わした。
翌朝、大士達は金丸と共に八坂翔平の本陣を訪れた。張り詰めた空気の中、金丸が声を発する。
「八坂殿、大士殿をお連れしました」
その声に八坂が笑みを浮かべ、ゆっくりと振り向く。
「お久しぶりです、大士殿」
金丸は目をまん丸くしながら
「会った事あるのか?」
大士が静かに頷く。
「一度、戦場でお目にかかりました」
八坂は得意げに胸を張る。
「直接対決したんだぜ!」
「えっ⁉」
金丸の目がさらに丸くなる。
「強かったんだ、めちゃくちゃ。大士殿も松風殿もな」
松風は八坂の言葉に思わずめちゃくちゃ喜びながら
「私のことまで覚えていてくださったんですね‼」
八坂は冗談めかしつつも真剣に応える。
「恐いほど強かったんでね」
ぴーがいきなり割って入る。
「雑談はその辺にして本題に入れよ」
鷲雪が慌てて
「おい、バカ何言ってんの‼すみません」
と言って八坂に頭を下げる。
「おっ!面白いね君、名前は?」
ぴーは八坂を睨みつけながら
「信じられない人には名を明かさない主義だから」
鷲雪は慌てて
「すみません!この子、すごくバカなんです‼」
ぴーがすかさず言い返す。
「お前よりはだいぶ頭いいけどな」
とぴーが吐き捨てると
鷲雪はぴーの両頬を軽く引っ張りながら
「お前じゃないでしょ、お姉さんでしょ」
「別に姉弟じゃないだろ」
「私は本当の姉弟だと思ってるけどね」
「えっ・・・」
ぴーは照れて顔を真っ赤にして下を向く。
八坂は声を上げて笑った。
「大士殿は幸せ者ですね。こんな愉快な家臣を持って」
「はい。ありがとうございます」
八坂の笑顔が一転し、真剣な表情になる。
「大士殿」
「はい」
「降伏って言葉、やめましょうよ。あなたは負けたわけじゃないんだから」
大士は八坂の言葉に戸惑いながら。
「……はい?」
八坂は毅然として言い放つ。
「岡崎はそのままあなたが治めてください。そして同盟を結びませんか?」
「対等な関係にしてくださるって事ですよね」
「そう。あなたは誰かの下に仕える器じゃない。けれど、敵にもしたくない。だから、共に歩みたい」
大士は一拍の後、真っすぐ応えた。
「そのように高く評価していただき、感謝いたします」
八坂は真剣な表情で大士に右手を差し出し
「俺は尾張の主八坂翔平天下人になる男だ」
大士は八坂の右手を強く握って
「天下人?」
八坂の目が光る。
「俺はこの日ノ本から戦を無くし、平和な世を築く。そのための第一歩だ」
場に静寂が落ちる——そして、大士が
「私、その夢に全力で協力します」
一同が目を見開いた。そこへタムタムが突然大声で
「ちょっと八坂殿に聞きたいことがあるんですけど」
鷲雪が慌てて
「タムタム、ちょっと空気読んで。今あなたが質問する場面じゃないんだよ」
八坂は微笑み優しい口調で
「構わないよ、どうぞ」
「なぜ、敵だった殿をそこまで高く評価してくださるんですか?」
八坂はタムタムの問いに真剣な表情で静かに
「大士殿はこの日ノ本で一番信用できる男だから」
と答えた。
「信用できる男?」
「そうだよ、皆が離反する中、唯一不利にも関わらず仇を討とうとした。信頼に足る、真の男だよ」
タムタムは深く頷いた。
大士は真剣な顏で
「八坂殿、同盟を組む前に一つお願いが」
「何ですか?」
「南平亮輔様の遺体を返して頂けますか」
八坂は深く頷き
「もちろん。お返しします」
こうして、尾張・八坂家と三河・大士家は固い握手を交わし、新たなる同盟が結ばれた。その手のひらには、天下を変える未来が確かに刻まれていた——。




