第五十話
――翌朝、五ツ刻(午前五時)。
八坂翔平の枕元に、息を切らした若侍・哲也が現れる。
「殿、南平亮輔の軍が進軍の準備を始めております。
あやつらが桶狭間に着くのは、三ツ刻(およそ三時間)後かと――」
八坂は寝巻のまま起き上がると、眼差しを鋭くし、ただ一言。
「わかった。ありがとう」
哲也はすぐに姿を消し、偵察へと向かった。
背後で布団の中から、天子が起き上がる。
「おはよう、翔ちゃん。もう、行くのね?」
「うん。……その前に、茶漬け。お願い」
天子は小さく笑って、すぐに支度に取り掛かった。
そして、温かな茶漬けを用意し、翔平の前に置く。
八坂は茶漬けをかきこむように食べた。
八坂は食べ終わった茶碗を置き、立ち上がり
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり――」
そして、彼は立ち上がると、法螺貝の音とともに一陣の風を背に受け、静かに舞い始めた。
その舞は熱く、鋭く、凛として――戦の気配が部屋を満たしていった。
清州城の庭先に集まった家臣たち。まだ目を擦る者、甲冑を中途で着ている者もいる。
翔平は甲冑に身を包み、凛とした声で言い放った。
「これより南平軍の本陣を突く。俺は天下を取る男――こんなところで死にはしない。黙って俺に、ついてこい‼」
普段の飄々とした様子からは想像もできぬ迫力に、家臣たちは息を呑んだ。
八坂は馬に飛び乗り、空へ叫ぶ。
「皆の者!俺に遅れを取るな! いざ、出陣‼」
ところが――
「殿、皆がついてきておりません‼」
振り返ると、そこにいたのはわずか五人の家臣のみ。
「まぁ、いいやちょうどここの熱田神宮で必勝祈願するから爺や、賽銭の用意を」
「はい、わかりました」
八坂は数少ない家来と必勝祈願していると続々と遅れていた者が追い付いて来た。
家来達は息を切らしながら
「殿、急に出陣って言われても困りますよ‼」
「悪いな、勝つためには敵に行動をバレたくなかったからな」
そう言って八坂は家来の肩を優しく叩いた。
そこへ哲也が戻ってくる。
「殿、南平軍は長く延び切っていて本陣はこの先の盆地で休息を取っています」
「南平亮輔、本人はいたか?」
「豪華な輿があったからその中にいると思います」
八坂はこの偵察の哲也からの情報を受け
(しめた、この戦俺らの勝ちだ)
「よい、情報をありがとう」
八坂は哲也にお礼を言い皆に向かって
「いいか!お前達は今!日ノ本の歴史のターニングポイントにいる!」
八坂は大声で
「歴史を変えよ!そしてこの日ノ本を俺と共に変えるぞ‼」
皆は雄たけびを上げるといきなり大雨が降り出し雷鳴が響き渡る。
八坂は空を見上げ、叫んだ。
「天も我らに味方した! 目指すは南平亮輔の首ただひとつ――俺に続け‼」
(これはしめた!これで奴らはなおさら混乱するぞ‼)
その頃の南平本軍は桶狭間山の麓の平地になっている場所にいて各自突然の雨を避けるため木の下などに入ったためバラバラになっていた。
冷たい雨が、戦場を包み込んでいた。南平亮輔は天を仰ぎながら、指で額の汗をぬぐう。梅雨の湿り気と、戦の緊張が入り混じった空気が、肌に重くのしかかる。
「殿、この雨、なかなか止みそうにありませんね……」
家臣の言葉に、南平は少し不安そうに
「まぁ、そうだな」
遠く、民の足音が近づく。手に抱えたのは、鯛と酒——戦の前触れにしては、あまりに牧歌的な光景だった。
「殿、近くの民がたくさんの酒と鯛を持ってきました」
近くの民に対して南平は丁寧に
「おー、すみません。ありがとうございます」
「沢山のお酒と鯛をありがとうございます戦が終わったらありがたくいただきます」
飯岡が
「殿!今飲みましょうよ‼」
「今⁈」
「この戦、勝ち戦は決まったも同然それに鯛まで持ってきた?今は梅雨時腐らせるともったいないじゃないですか」
「まぁ、それはそうですね」
と南平は納得し、南平の兵達は鯛を肴に次々に酒を飲んでどんちゃん騒ぎを行った。
この油断と雨の音で八坂軍が近づいているのに南平本軍の者は誰一人気づかなかった。
八坂軍は遂に南平本軍を見下ろせる位置まで進軍していた。
「いいか皆の者!他の者には目をくれるな‼狙うは南平亮輔の首ただ一つ‼」
八坂の号令で八坂を先頭に八坂軍は一斉に桶狭間山の泥の斜面を駆け下りる。
「ドドドドドドドドド‼」
雷鳴のような響きが、桶狭間に轟く。
南平亮輔は騒音を聞いて
「おい!何事だ‼誰か酔って喧嘩でもしているのか?」
すぐに様子を確認しに行った家来が大慌てで戻って来て大声で
「申し上げます!八坂軍が奇襲を仕掛けて来ました‼」
南平とその周りにいた家臣達は顔色が真っ青になる
南平亮輔は動揺しながら
「おい、敵が来たぞ‼皆、戦の準備を」
しかし、兵達は飲み過ぎで足元がフラフラとおぼつかない。
飯岡はこの惨状を見て、即座に判断した。
(これはヤバいな下手したら総崩れになる。こんなとこで命落とすわけいかねぇな)
「殿!すみませんがだいぶ飲み過ぎたみたいですので戦力にならないので個人的撤退をします」
飯岡の言葉に南平は
「はぁ⁉何言ってんですか!今は皆で協力しないと‼」
白井も飯岡の言葉に同調するように
「各自、自己責任で撤退って事で」
「指揮を執る者がいなくなったら軍勢はバラバラになります‼」
「知らん、もう南平家には愛想が尽きたんだ‼では」
そう言って飯岡と白井は走って逃げて行った。
南平の家来が南平に
「お味方総崩れになるのも時間の問題かと殿、とりあえずお逃げくだされ」
家臣たちは亮輔の逃走を促す。しかし、亮輔は静かに目を閉じ、再び開けたときには、すでに覚悟が決まっていた。
「もう、覚悟は決まった‼」
「えっ、まさか⁉」
「これ以上の犠牲を出すわけには行かん‼この負け戦の責任を取って来る‼」
「殿‼」
南平は剣を握り直し
「南平亮輔はここにおる手柄を立てたい者はかかって来い‼」
と声を張り上げて言った。
八坂軍は即座に彼を取り囲んだ。激しい雨音の中、兵たちはじりじりと迫る。南平は最期の瞬間を覚悟し、目を閉じる。
「グサッ」
槍が貫く音が戦場に響いた。血が地面に染み込み、雨に流されていく。
南平は笑みを浮かべながら、
「やっと、楽になれたわ」
と言って前向きに倒れた。
「敵将、討ち取ったりー‼」
八坂軍の若き家臣の叫び声が、桶狭間全体にこだました。
これにて八坂軍はこの戦の勝者となった。
爺やは声を震わせながら
「とっ、殿、かっかっ勝ちましたね‼」
八坂は武器を投げ捨て爺やに飛びつき
「勝った‼勝ったんだ‼勝ったんだ‼」
爺やは声が裏返りながら
「とっ、殿‼重いです‼腰が!腰が‼」
八坂は降りて大笑いし、爺やも釣られて大笑いした。
そして爺やは空を仰ぎながら八坂の死んだ父に向かって
(大殿、若は立派になられましたぞ)
八坂は爺やの顔を覗き込んで
「えっ!何で泣いてんの?なんで?」
「こ、これは殿の成長に感動し」
八坂は大声で
「お~い!皆‼爺やが泣いてるぞ‼早く!早く‼」
皆に自分が泣いてる事を伝え子供のようにはしゃいでいる八坂を見て
(大殿、やはり若はあなたににてクソガキです)
八坂は笑いながら皆に向かって
「今回、運よく勝てただけなのに爺や、俺が成長したとか言って感動して泣いてるわ」
爺やは大声で
「たまたまではござらぬぞ‼」
いきなりの爺やの言葉に皆、驚く。
「この戦、殿の緻密な計算によって勝てたんじゃないですか‼」
家来の一人が
「えっ?どういう事ですか‼」
「なぜ、殿が哲也と毎日のように馬を走らせていたのか、殿は大軍を迎え撃つ適切な場所を探し求めていたんですよ‼」
爺やの言葉に家来達は
「えっ!」
と驚く。
八坂は少し笑いながら
「爺や、どうした熱くなり過ぎだぞ‼」
「殿、止めないでください‼殿は!殿は凄いお方なのにうつけ者なんて呼ばれて‼爺やは悔しかった‼こんな素晴らしい結果を出したんですよ‼大声で殿の凄さを話したっていいじゃないですか‼」
八坂は熱くなり過ぎて涙を流す爺やを見てフフッと笑って
「熱いな、爺や」
「殿は大軍で身動きを取るのには厳しい狭い平地桶狭間を見つけた。敵軍を桶狭間におびき寄せる為にわざわざ大高城の周りに砦を築いた」
元木が驚きながら
「この戦、全て殿の手のひらの上だったのか⁉」
「そうだ!八坂翔平はホントに天下統一を成し遂げる男だぞ‼」
爺やの言葉に八坂は思わず涙が零れて
「爺やせっかく勝ったのに泣かせんなよ」
「私は本当の事を言ったまで」
八坂は膝から崩れ落ち
「ホントに皆のおかげで勝てた!ありがとう!ありがとう‼」
そう言ってしばらく泣き続けたのであった。




