第三十八話
そのころ、婚礼の場では。
ガシャーン! パリン! さらにガシャーン!
「松風殿、何枚割れば気が済むのか‼」
「余興の皿回しで料理の皿まで割るとは何事だ!」
「ち、違う!これはですね、大士の代わりに――」
「大士殿はどこへ行ったんだ!いつ戻って来るんだ‼」
美鶴は慌てて
「大士様と美鷹様はもうすぐ来ます!」
「美鷹様って……あなたじゃなかったのか⁉」
美鶴はヤバい!しまったって顔をする。
「……え、えーと……」
――その時、門の外から元気な声が響いた。
「お待たせしました‼」
手を繋いで現れたのは、大士と――本物の花嫁、美鷹だった。
「おそっ‼ だいぶ待ったぞ!」
「すみません!」
だが、誰もがその姿を見た瞬間、割られた皿のことなど忘れてしまった。
ふたりの笑顔があまりに自然で、温かく、美しかったから。
そしてその夜、婚姻の義が執り行われ、祝宴は笑顔と杯に満ちて、いつまでも賑やかに続いた。
美鷹の右頬の痣――それを誰ひとり、気にする者などいなかった。
祝宴が終わり、月が中空に昇ったころ―― 客人たちが帰路についた静かな館に、洗い物の音だけが静かに響いていた。
「……あら、随分減ったな。凄い枚数、割っちゃったんだなあ~忠清殿は」
戸棚の皿の空きを眺めながら、大士が肩をすくめた。
美鷹は手を動かしながら、くすりと笑った。
「お皿割られちゃったのに、なんだか嬉しそうですね」
「うん。あれだけ必死に場を繋いでくれたんだなって思うと……ありがたくて」
「なんか、温かい考え方ですね」
「ありがとうございます」
ふと大士が手を止めたかと思うと、隣に立つ美鷹に、そっと抱きついた。
「……何か、褒めていただけると、嬉しくてたまらなくなりました」
「ふふっ……大士殿って、カッコイイだけじゃなくて、可愛いですね」
「今日の美鷹殿の言葉は、いつにも増してまっすぐですね」
湯気の立つ桶をのぞきながら、美鷹は頬を赤らめて言った。
「今日は……どうしても、思いを真っすぐに伝えたくて」
その言葉に、大士は真剣な眼差しを向け、まるで誓うように囁く。
「……ありがとうございます。愛しています」
美鷹は顔をそむけ、耳まで真っ赤に染まりながらつぶやいた。
「ズルいですよ。いつも私ばっかり照れさせて」
「そうですかね」
「……スキあり!」
唐突に、美鷹が背伸びして、そっと唇を重ねた。大士は驚きで目をまん丸にする。
「美鷹殿……」
「はい」
大士は真顔になったかと思うと、急に彼女を抱き上げた。 ふわっと宙に浮いた美鷹が驚く間もなく、お姫様抱っこのまま、静かに自室へ歩き出す。
そして――障子が、ことんと音を立てて閉じられた。
夜風に、濃い春の匂いが漂っていた。
十月十日。 満ちた月が、静かに大士の館を照らしていた。
そして――
「オギャー‼」
産声が響いたその瞬間、大士麒麟は部屋の前を何度目かもわからぬほど往復していた足を止めた。
「産まれたか‼」
戸を跳ね開けて駆け込む。
「みーちゃん‼ 大丈夫か⁉ 無事か⁉」
布団に横たわる美鷹は、汗ばんだ額をぬぐいながらも微笑を絶やさなかった。
「……私は、大丈夫ですよ」
大士は泣きそうな顔で、美鷹の右手を両手で包み込む。
「よく頑張ってくれた……ほんとうに、ありがとう……ありがとう」
「麒麟さん、赤ちゃん……見てあげてください」
「うん‼」
揺籃に包まれた小さな命が、丸く腕を動かしながら、きらきらした声をあげる。 大士は覗き込んだ瞬間、目を見張った。
「……めっちゃ、可愛い‼ みーちゃんにそっくり!」
美鷹が、くすっと笑う。
「まだ似てるとか、そんな早く……」
「いや、もうそっくり! もう、みーちゃんに似てくれてよかったぁ~!」
その時――赤子の小さな手が、大士の小指をぎゅっと握った。
「みーちゃん‼ 小指を……掴んだ! あぁ、可愛い……」
美鷹の瞳に、涙が浮かぶ。
それに気づいた大士は、すぐに顔を真剣に戻す。
「大丈夫⁉ どこかまだ痛む⁉」
美鷹は涙をぬぐい、微笑みながら首を振った。
「違うの。……幸せすぎて、もう……」
その言葉に、大士は何も言わず、美鷹をそっと抱きしめた。
「みーちゃんと私は、これからもっと幸せになっていく。……間違いなく」
美鷹は目を潤ませたまま、優しく頷いた。
「はい。……楽しみです」
ふたりの唇がそっと重なる。 その静かなキスは、祝福と誓いと感謝のすべてを伝えていた。
そして揺籃の中―― もうひとつの小さな命が、ふたりの愛をそっと見守るように、静かに息づいていた。
岡崎城、作事の間。 朝の帳がようやく明けきらぬ中、駆け込んできた家臣の声が空気を裂いた。
「尾張の軍勢が攻めて参ります‼」
報せに、その場の者たちがざわついた。
「南平亮輔様は、いま相模遠征中ではなかったか⁉」
「よりによってこの時か……!」
重い沈黙の中、松風が
「……それがわかっているからこそ、今攻めてくるのです」
静かに突き立てられた現実に、誰も返す言葉がなかった。
「ちっ……!」
苛立った矢梅が、持っていた扇を松風に投げつけた。
「大士! お前、戦は得意なんだよな!」
「はい!」
「五百の兵を預ける。敵を――完膚なきまでに叩き潰してこい‼」
その場がざわめく。誰もが敵の数を思い浮かべた。相手は、およそ二千五百。
「はっ‼」
即答した大士に、松風が焦ったように声をあげる。
「何納得してんだ‼ 五分の一の兵でどう戦う⁉ これは明らかに無茶な命令だぞ‼」
だが、大士は落ち着き払った口調で言った。
「矢梅様は、私ならできると信じてお命じくださったのです。 武士たるもの、その信に応えるのみかと」
「いや、いやいやこれは嫌がらせだぜ!どうせ勝てないからお前にだけ行かせて負けた責任を取らせるつもりだよ」
「松風!うるさいぞ‼」
そう言って矢梅は扇子を投げつける。
「おい、大士お前ずいぶんと大口叩くな‼」
「いえ、私はただただ矢梅様の期待に応えようと」
「お前、もし失敗したら切腹な」
「はっ、この一大事切腹する覚悟で戦って来て参ります」
「武士に二言はないよな。必ず勝ってこい‼」
「はっ‼ありがたきお言葉‼」
岡崎城を出た途端、大士麒麟は松風忠清に肩を叩かれた。
「おい、大士。どう考えてもあれ、嫌がらせだろうが! なんで引き受けるんだよ」
怒気を含んだ問いに、大士は笑顔で応じた。
「忠清殿、心配ありがとうございます。でも私は……嫌がらせとは思っておりません。むしろ、“いい機会”をいただいたと感じております」
「はぁ? どこまで前向きに物事を捉えられるんだよ、お前は……」
呆れる松風をよそに、大士は空を仰ぎ、笑みを深めた。
「窮地の時に活躍する者こそが英雄ですからね」
その言葉に、松風は少し笑いながら。
「……まったく、バカ野郎だな。英雄を一人で独り占めされたら、たまったもんじゃねぇ」
「……松風殿……まさか」
黙って差し出された右手。その意味に気づいた大士は、目を見開き、力強くそれを握り返した。
「ありがとうございます。めちゃくちゃ……心強いです‼」
松風は不機嫌そうな顔をしながらも、片目でにやりと笑った。
「……いいか? 功績は二人で分け合う。だが、責任はお前一人で取れ」
大士は嬉しさが抑えきれず、思わず松風をがっしりと抱き締めた。
「もちろんです‼」
「……ば、馬鹿野郎。……責任まで独り占めされたら、たまるかよ」
と松風はぼやいた。




