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ターニングポイント 外岡士郎と天羽家の初陣  作者: 房総半島
大士家の戦い
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第三十七話

午後の陽が傾き始めたころ、大士麒麟は、町はずれの小さな寺子屋を訪れた。 竹垣の向こうから子どもたちの声が遠のき、境内には静けさが戻っていた。

ふと姿を見せたのは、奉公を終えたばかりの美鷹。僅かに息を弾ませながら、微笑んで頭を下げた。

「すみません、今ちょうど授業が終わりまして。すぐに支度しますので――」

「慌てないでください、美鷹殿」

大士の穏やかな声に、美鷹は安堵の息をついた。

室内に通された大士は、ふと並べられた硯と筆、白紙の山に目を留めた。

「……少し筆を取っても構いませんか?」

「え? どうぞ、もちろん」

美鷹が微笑むと、大士は静かに席につき、筆をとった。

墨をする音が部屋に溶け、筆先が和紙を滑るたび、空気が凜と引き締まる。 着替えを済ませた美鷹が戻った時、彼はまだ一心に筆を運んでいた。

その横顔を見た瞬間――美鷹の胸の奥に、小さなときめきが灯る。

やがて、大士は筆を置き、書き上げた一文字をじっと見つめて呟いた。

「やっぱり……かっこよくて、美しい名前だ」

そう言って、和紙をくるりと返し、美鷹に見せた。

そこには、丁寧に、まっすぐな筆致で記された名前――「美鷹」の二文字があった。

「私の名前……を書いてくださったんですか?」

美鷹が驚きの声を上げると、大士はまっすぐ彼女の目を見据え、澄んだ声で告げた。

「……好きな人の名前を、本気で書いてみたかったんです」

その一言に、美鷹の頬はみるみる紅く染まっていく。 胸が高鳴り、思わず視線を伏せようとしたが、気づけば真っ直ぐに見返していた。

「……カッコイイです」

「ですよね⁉ この名前、かっこよくて、美しいですよね!」

大士の無邪気な笑みに、思わず笑いながら首を振る。

「……違いますよ」

「え?」

「あなたが、かっこいいんですよ」

その瞬間、大士の表情が凍りついた。

「えっ……!」

驚愕という言葉そのものの顔。だが、美鷹はもう逃げなかった。頬を真っ赤に染めながらも、はっきり

「私――大士殿に、惚れたみたいです」

 と口にした。

大士の時が、ふと止まった。

「……い、今なんと?」

美鷹は顔を背けようとしたが、言葉はもう戻せなかった。 頬に広がる熱が収まらず、指先さえ震えている。

「わ、私……っ大士殿に惚れました」

その姿に、大士はじっと見つめたまま、ふっと息をついた。 そして――真っすぐに、美鷹の瞳を見つめかして

「私の人生にこんなに嬉しい事が起きるなんて思いもしなかったです」

 美鷹は照れて顔を真っ赤にしながらも真っすぐ大士の目を見て

「大士殿、私、大士殿の妻になれること凄く嬉しいです」

そして夕陽は、淡く、やさしく彼らを照らしていた――まるで、はじまりを祝福するように。

数日後、家の空気は一変していた。 美鷹の身体は火のように熱を放ち、額には玉のような汗が浮かび、息は浅く途切れがちだった。

「体が……燃えるように熱いです……」

布団の中から、か細い声が漏れる。

「すぐに医者を呼べ‼」

父・為三の声が屋敷に響き渡り、家人が慌てて駆けていった。

濡らした布を持って戻った為三は、美鷹の額にそっとそれをあてる。

「これで冷やせ……少しでも楽になればいいが」

美鷹はかすかにまぶたを動かし、蚊が泣くような声で言った。

「……ありがとうございます」

しばらくして、駆けつけた医者が診察を終え、厳しい面持ちで顔を上げた。

「これは――天然痘ですね」

その言葉に、母・千里の顔色がみるみる青ざめた。

「えっ……えっ‼ 美鷹は助かるんですか⁉ 助かるんですか⁉」

医師は唇を結び、一度ゆっくりと頷いた。

「……助かる可能性はございます。ただし、重い後遺症が残る可能性が極めて高い」

「後遺症……?」

「顔や身体に痣が。おそらく一生、消えることはないでしょう」

その瞬間、千里の目から涙があふれた。

「先生、美鷹は……美人な女の子なんですよ……! 顔に痣なんて……そんな……」

その横で、為三は千里の肩にそっと手を置き、静かに語りかけた。

「千里……先生を責めちゃいかん。 今は、美鷹の命をつなぐことだけを考えよう。我らにできることを、全てやろう」

千里は嗚咽をこらえ、ぽつりと言った。

「……顔に痣なんて……女の子なのに……」

言葉を失った千里を、為三は無言で力強く抱き締めた。

そして――燃えるような熱の中で横たわる美鷹は、うわごとのように誰かの名を呼び続けていた。

「……だいし……殿……」

その声は細く、儚く、まるで風の中で消えてしまいそうだった。

数日続いた高熱の果てに、美鷹の命は、かろうじてつなぎとめられた。 けれど、右頬から首元にかけて浮かび上がった痣は、かつての透き通るような肌を覆い隠すように、痛ましく、そして消えることのない烙印となって残った。

「父上、母上……」

病床に身を横たえながらも、美鷹は涙をこらえて言った。

「私、大士様との婚姻を――諦めます」

「えっ……!」

為三と千里は揃って声を上げた。けれど、次の瞬間には、言葉を失った。 絞り出すように美鷹は続ける。

「この顔では……婚姻なんてできません。 私は……大士様に恥をかかせたくありません。どうか、代わりに――美鶴を…」

部屋の隅に立っていた妹、美鶴は肩を震わせた。

「お姉ちゃん……!」

美鷹はやせ細った両手で、美鶴の手を包み込むように握った。

「大士様は、とてもあたたかくて、優しい方です。きっと……あなたを幸せにしてくれます。 お願い、美鶴……」

「いや……私は行きたくない」

 美鶴は首を横に振り、目に涙をためた。

けれど、美鷹は首を振らず、深く、深く頭を下げた。

「お願いします。美鶴……私の代わりに――大士様の隣にいてください……」

 為三と千里も、言葉少なに頭を下げた。家族の葛藤と哀しみが、ひとつの選択へと押し流される。

「……わかりました」

美鶴の言葉が、夕刻の屋敷に重く響いた。

その日、輿は静かに美鷹の家を出発した。 乗っているのは、美しい婚礼衣装に身を包んだ妹――けれど、花嫁の心は、複雑な想いに揺れていた。 そして、その輿を見送る美鷹の胸には、笑顔を装いながらも、耐えがたい痛みがひそやかに満ちていた。


春霞の差し込む大士麒麟の館―― 中庭では、皿をくるくると回しながら、大士が上機嫌に笑っていた。

「……浮かれてるな」

呆れ気味に言ったのは、松風

「わかります? そんなに浮かれて見えますか?」

「だって、浮かれてなかったら皿回しをずっとやってないだろうが」

大士は真顔で

「これ、余興の練習なんですよ」

「余興⁉ あんた自分の婚礼で皿回すのか!」

「はい、やるつもりです」

そのまま器用に三枚を同時に回してみせると、松風も思わず

「……うまいな」

「本当ですか! 忠清殿がそう言ってくれるなら、安心して披露できます!」


その頃、大士の屋敷には、婚礼相手として招かれた美鷹……ではなく、妹・美鶴が到着していた。

「ようこそ、美鷹殿」

集まった客たちは、美鶴の美貌にどよめいた。

「おい、凄い美人だぞ」

「うわぁ、羨ましい!」

だが、大士は彼女に静かに声をかけた。

「……お見せしたいものがあります。こちらへ」

「え……?」

戸惑う美鶴。

「大士、式が始まる前に何を言いだすんだ」

止めようとする松風を手で制し、大士は

「ちょっと皆さますみません。すぐに戻って参りますので」

 と皆に言って美鶴を連れて行く。

廊下を抜けた先、誰もいない広間で、大士は静かに切り出した。

「あなた……美鷹殿ではありませんね?」

一 瞬、空気が止まった。

「……何を言われるのですか?」

「どうか、訳を話していただけませんか」

その眼差しに、美鶴は思わず心を見透かされた気がした

「……姉は、天然痘で……顔に痣が残ってしまったんです。それを恥じて、代わりに私が……」

大士は黙って頷いた。

「わかりました。迎えに行って参ります」

「えっ……!」

「勝手な振舞ですが申し訳ございません」

深く頭を下げる大士に、美鶴は唇をかみしめながら

「大士様……姉上を、幸せにしてください‼」

 叫ぶと大士は真剣な表情で

「もちろんです」

「遅いなぁ~何やってるんだ大士殿は」

 松風が

「私が見て来ます」

 松風が大士の部屋に向かう。

「美鷹殿、大士殿は何をやってるのですか?」

 美鶴は困惑した表情

「大士殿は姉上を迎えに行きました?」

「うん?どういう事?」

 美鶴は事情を松風に話す。

「そういう事ですか。わかりました」


 空家の門前に立ち、深々と頭を下げたまま、大士は声を張り上げた。

「大士麒麟です! 美鷹殿にお目通りを――!」

中では、父・為三と母・千里、そして病を癒えたばかりの美鷹が、戸の向こうで顔を見合わせていた。

「……お父様、すみませんが、お断りください」

「だが、美鷹……一度、会って直接断った方が――」

千里が小さく首を振る。

「……それは、あまりに残酷じゃないですか」

「酷な事とはわかってる。でも大士殿は納得できないんじゃないか?」

 美鷹は

「確かに父上の言う通りです。お会いしてお断りします」

 千里は美鷹を無言で抱きしめる。

 案内された座敷で、大士はひと目美鷹を見た瞬間、思わず駆け寄った。

そして、抱きしめる。

「……無事でよかった。本当に……よかった」

「え……?」

「会いたかったんです。ずっと、会いたかったんです、美鷹殿に」

美鷹は思わずもらい泣きする。

「あなたの顔を見れた時、自分は本当に幸せ者だなと思いました」

「痣は気にならないんですか?」

大士は真っすぐな目で

「やっぱり、最高に可愛く最高に美しいお顔じゃないか」

 そう言って大士は美鷹にキスをする。

 美鷹は目をまん丸くして驚く。

 そして真っすぐ

「私と共に生涯を歩いてくださいませんか?」

 美鷹は泣き崩れながら、震える声で

「大士様……こちらこそ、よろしくお願いいたします……!」

その手を取り、大士は笑顔で

「では、行きましょう。皆が、待ってますから」

「えっ、今から……⁉」

 大士は笑顔で

「もう、皆待ちくたびれて飲んでるかもしれませんけどね」

 大士と美鷹急いで大士の馬に二人でまたがり颯爽と駆けて行った。




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