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ターニングポイント 外岡士郎と天羽家の初陣  作者: 房総半島
大士家の戦い
33/50

第三十三話

南平館、御前の間には張り詰めた空気が漂っていた。 その中央、大士麒麟は正座のまま、主君・南平亮輔と向き合っていた。

 淡く震える声で

「麒麟…忠清の息子、剣真の首を刎ねよ」

「――えっ」

大士はわずかに目を見開いた。その声が、周囲の空気すら凍らせた。

「殿、それは……ダメです! 絶対になりません‼」

立ち上がりそうになる身体をぐっと押しとどめ、大士はなおも言葉を重ねる。

「忠清殿が、殿を裏切るような方ではありません。必ず、殿の元に帰って来ます。どうか、もう少しお待ちを……!」

 その時だった。飯岡は強い口調で

「おい、麒麟!下っ端の癖に殿の命が聞けぬと申すか」

 と大士に圧をかけるが大士は堂々と

「では逆に問います。――もし、剣真殿の首を刎ねた後に、忠清殿が裏切っていなかったとわかったら、その責任、どう取られますか‼」

「裏切ってない事は絶対にない!だから即刻首を刎ねろ‼」

 白井も同調するように

「そうだ飯岡殿の言う通りすぐさま首を刎ねよ」

それでも麒麟は、一歩も退かなかった。

「――では、“裏切りが明確になってから”処断すればよいのではありませんか?」

主君・南平が、その言葉にわずかに反応した。

「そうです、そうです。麒麟の言う通り裏切りが完全に発覚してからでも遅くないかと」

「それじゃ遅い‼」

 と飯岡は怒鳴りつけ

「逃げられたらどうする‼ 処刑されることに気づいていない今こそ、叩きのめすべきなんだ‼」

「そうだ‼ 責任取れるのか、お前は‼」

大士は、静かに、しかしはっきりと答えた。

「はい。万が一、剣真殿が逃げるようなことがあれば――私が追って首を刎ねてご覧に入れましょう。」

「下っ端風情が‼ 信用ならぬ‼ お前のような若造の意見など、採用されるものか‼」

飯岡が再び詰め寄る。怒気に任せて大士の胸倉を掴んだ。

「つべこべ言うな‼ これは“殿の命令”だぞ‼」

大士は、掴まれたまま、南平を見つめる。 主君は――泣きそうな顔をしながら、ゆっくりと、こくんと頷いた。

飯岡が満足げに言葉を添える。

「さあ、殿。今一度、命を下されよ」

南平は目を逸らすように俯き、震える唇で命じた。

「麒麟……明日までに、剣真の首をここに持ってこい――」

沈黙が落ちる。

「……承知しました」

大士は深く頭を下げた。 それは、忠義の形を保ったまま、心の叫びを押し殺す礼だった。

そして大士は立ち去った

月明かりが瓦の端をうっすら照らし、長院寺の静寂に虫の音が優しく滲んでいた。 大士は足音も立てぬように境内を進み、かつての日々を思い出していた。

本堂の奥、灯籠の影が揺れる中に、山海上人は静かに座していた。

「おっ、どうした、麒麟。困った顔しておるのう」

その声に、大士は深く頭を垂れた。

「……殿に、“剣真殿の首を刎ねよ”と命じられました」

山海上人の表情からは怒りも驚きも消え、ただ真っ直ぐに、大士の瞳を見つめた。

「麒麟は――どうしたい?」

その問いは、まるで静かに心を照らす灯明のようだった。

「絶対に……剣真殿の首は刎ねません」

迷いのない声だった。

「そのための裏工作を――和尚のお力をお借りしに参った次第です」

しばらく沈黙が流れたあと、山海上人はふっと目尻を和らげた。

「そうか」

頷き、にこりと笑い

「麒麟のためなら、なんだって協力するさ」

その声は、大士を預かったあの日と変わらぬ温かさで満ちていた。

「ありがとうございます」

大士は両手をつき、深々と頭を下げた。

そこで大士は、一つの策を提案した。

「私は今から自分の家を燃やします。その後、和尚に奴は、大士の屋敷は突如炎に包まれ、彼自身も焼け死んだもしかしたら剣真の呪いかもしれないそう殿と飯岡殿、白井殿に伝えてほしい」

「なるほど、言い案だ。死んだと思わせて麒麟は剣真を連れてどこかへ逃げるって事だろ」

「はい、松風殿は必ず帰って来ます。それまで他国で生活します」

「ちょっと待ってろ」

「はい」

 山海上人は奥の部屋に入って行きすぐに戻ってくると

「麒麟、お前と剣真の無事を祈祷するから目を瞑って両手を出せ」

「はい」

山海上人は大士の両手の上に小さな袋を置いた。絹で包まれた袋はずしりと重く、中には金子が入っている。

 山海上人は優しい口調で

「いつか必ず倍にして返し来い」

大士は目を開け両手に置かれた袋に視線を落とす。師は何も言わず、ただ温かく大士を見つめている。

大士の目から思わず涙が溢れ出す。

 その大士を見て山海上人は

「泣くな、大変なのはこれからなんだぞ」

大士は深く頭を下げた。

「この御恩は生涯忘れません」

その夜、大士は寺を後にし、剣真を連れ旅立った。山海上人が与えたのは金だけではなかった。

大士の心には、「人のために生きよ」という師の教えが深く刻まれていた――。

薄暗い夕暮れに五歳になった剣真はぽつんと佇み、不安そうに大士を見上げていた。

「剣真君、しばらくおじさんと旅に出よう」

大士の言葉に、剣真の目が揺れる。

「どうして? お父さんは? お父さんが二か月も帰ってこないんだよ? 僕、捨てられたの?」

胸の奥で震える声に、大士は静かに膝をつき、剣真をそっと抱き寄せた。

「もう少ししたら、忠清殿は必ず戻ってくる。それまでは……おじさんと気晴らしに楽しい旅をしようよ」

だが剣真は涙をこぼしながら首を振った。

「嫌だ!お父さんに会いたい‼お父さんのところに行きたい‼お父さんはどこにいるの!僕いい子にしてずっと待ってるんだよ!それなのにお父さんはお父さんに会えないのはおかしい神様が意地悪してるんだよ!」

大士の胸にも熱い涙があふれた。大士は剣真を強く抱きしめながら、泣き声を押し殺すように言う。

「絶対に大丈夫。忠清殿は、必ず帰ってくるから」

大士の頬を伝い落ちる涙が、剣真の頬にひとしずく触れる。 それを見た剣真は、自分も涙をふり払い、はっと大士を見上げた。

「おじさんも、泣いてるの?」

大士は微笑み、うなずく。

「あぁ……おじさんも、早く忠清殿に会いたいんだ」

剣真の瞳に、再び光が灯った。

「……おじさん、僕を楽しい旅に連れてってくれる?」

「もちろんだとも!」

 そして大士と剣真は旅に出た。 二人乗りの馬が、山間の街道を東へと進んでいた。

剣真は馬上から振り返り、目を輝かせて問いかける。

「おじさん、どこへ連れて行ってくれるの?」

大士はその問いに、穏やかな笑みを浮かべた。

「さてな……せっかくだから、心躍る旅にしようか」

剣真はこくりと頷き、背をそっと大士の胸に預けた。 二人の影は、風が運ぶ未来とともに、果てしない東の空へ伸びていく――


数日後、山海上人は南平のもとに赴き、

「数日前、麒麟が剣真の首を刎ねました。そしてその夜、大士の屋敷は突如炎に包まれ、彼自身も焼け死んだ。もしかしたら剣真の呪いかもしれない」

と伝えた。これを聞いた南平は膝から崩れ落ち

「麒麟、すまぬ麒麟‼」

と泣き崩れた。

 横にいた飯岡と白井は呪いと聞いて青ざめながら

「この件は我々は一切かかわりのない事呪いが続くなら殿が全てお引き取り下さいね」

「そうだ、我らは殺せなんて一切言っておらぬからな!殿が命じたんですから」

 と吐き捨ててその場を去った。


 春の陽射しが馬上を暖かく包む中、剣真はふいに振り向き、目を輝かせた。

「おじさん、お腹すいた! なんか食べさせてよ!」

大士は手綱を緩め、馬の歩みをゆるやかにした。

「確かにお腹空いたなあ…もう少し先に、団子屋があったはずだ」

剣真はやんちゃに大士の頬をぺちりと叩く。

「ねえ、早く! 早く!」

大士は剣真の頭を優しく撫で、声を落とす。

「危ないから前を向いて、今から馬を少し飛ばすよ」

勢いよく駆け出した馬をしばらく走らせると、道の脇に小さな屋台が見えてきた。 「ほら、団子屋だ!」

「よし、入ろうか!」

軒先に腰掛け、ほかほかの三色団子が目の前に並ぶ。剣真は一気にほおばり、嬉しそうに目を細めた。

「おいしい! おいしい‼」

大士は満足げに笑い、剣真の頬をぽんと叩く。

「美味しいか。それはよかった」

ひと息ついた剣真が、不意に真剣な顔で問いかける。

「ねえ、おじさん。僕ら、どこへ行くの?」

大士は空を見上げ、遠くにそびえる白い峰を指した。

「富士山さ。日本一高い山――その山頂に、願いを叶えてくれる神社があるらしい。 忠清殿が無事戻るように、そこで一緒に祈ろう」

剣真の目は期待で輝き、団子そっちのけで立ち上がった。

「うん、行こう! すぐ行こう‼」

しかし大士は串団子をゆっくりと口に含み、顔を上げる。

「急いで危険な目に遭うより、慌てず行くのが肝心だよ。神社は逃げないさ」

剣真は膝をポンと叩き、にこりと笑った。

「わかった!」

こうして、二人の影は再び東へ伸びていく―― 願いを胸に、富士の峰を目指した、小さな旅のつづきが始まった。


富士の裾野を抜け、岩肌の急斜面に足を取られながら、二人は登り続けていた。 白み始めた空の下、三十分ほど経ったころ――剣真はすっかり息を切らし、泣き出すように足を止めた。

「もう無理……キツイよ、おじさん! これ以上は登れないよぉ……」

大士は剣真の横にしゃがみ込み、肩に回した腕でそっと支える。柔らかな指先で乱れた髪を撫でながら、静かに声をかけた。

「きついよね。でも、休み休みでいいんだよ。ゆっくり、ゆっくり行こう」

剣真の瞳には涙がにじんでいた。震える声が続く。

「おじさんは……きつくないの?」

大士は小さく笑い、目を細める。

「もちろん、きついさ。でもな、忠清殿が無事に帰ってきてほしいから――そのために、この辛さを乗り越えて祈りたいんだ」

剣真はぐっと背筋を伸ばし、涙を拭った。

「本当に、神社で祈ったら願いは叶うの?」

「絶対に叶えてみせるよ」

再び立ち上がった剣真に、大士は優しく頷き、ぎゅっと抱きしめた。

「剣真は本当に偉い子だ。行こう、神社まではもう少しだ」

山道の岩に腰を下ろし、何度か水を飲み、休みながら歩を進めた。やがて闇が嘘のように裂け、夜空が淡い桃色に染まり始める。ついに、鳥居と小さな社が眼下に現れた。

剣真はその場に倒れ込む。大士は懐から上着を取り出し、優しくかけてやる。

「よく頑張った……本当に、よく頑張ったな」

空が白みきるまで、剣真を休ませた後――大士はそっと揺さぶった。

「剣真、起きて。ご来光が見えるぞ」

剣真はまぶたをこすりながらゆっくりと起き上がる。 目の前には、境内の向こうから昇る真赤な太陽。雲海を染めて、世界をいちどに照らし出す壮麗な眺めだった。

「すごい……すごいよ‼」

剣真は歓声を上げ、はしゃいで跳ね回る。大士はその背中を静かに見守りながら、深呼吸をひとつした。

「さあ、神社にお参りしよう」

大士は金の袋を取り出し、口を開いて剣真に手渡す。

「この中からお賽銭を取って、心を込めて投げなさい」

剣真は躊躇なく袋ごと賽銭箱に放り込んだ。

大士はあまりの一瞬の出来事に目を丸くし、

「あっ……全部入れちゃった!」

「願い事をするときは、ケチしちゃいけないってさ」

剣真は得意げに胸を張る。

大士は笑いながら深く頷いた。

「そうだね……剣真君の言う通りだ」

そして二人は固く手を合わせ――松風忠清の無事帰還を、心の底から祈り続けた。 富士の峰は静かにその願いを受け止め、眩い光の中へ二人を優しく送り出した。




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