第二十六話
《殿の戦場》
夕闇迫る戦場に、天羽軍の撤退命令が響いた。しかし――
退路を守る者はあまりにも少数だった。
道本は血に塗れながらも咆哮する。
「ここを抜かせるわけにはいかねぇッ‼ 長経様の誇りってやつを見せてやるッ‼」
老いた身体を引きずりながらも剣を振り続ける重臣たち。そこへ駆けつける高じぃの軍勢。
「皆、食い止めよ! 若き者たちの未来をここで守るんだ‼」
槍が折れ、刀が欠けても、彼らは踏みとどまった。
対する千崎万助の陣から怒号が響く。
「殿部隊など薙ぎ払え! 一気に突き崩せ‼」
圧倒的兵力差が目の前に迫る中、それでも道本と高じぃは歯を食いしばった。身体を張り、仲間の盾となり、時には笑って、時には叫び――
陽はゆっくりと沈みゆく。
血と涙と誇りの中で、彼らの刹那の奮闘が、夜という帳を呼び込んだ。
闇に沈む野道を、士郎達は必死に逃げ続けた。
自責の念に胸をかき乱されながら、士郎は何度も振り返る。倒れていった者たちの顔が、血の記憶とともに脳裏をよぎった。足元がもつれ、吐きながらも、それでも前へ――。
一方、千崎万助は戦場を見下ろし、不気味な微笑とともに勝鬨を下す。
「今日の追撃はここまで!」
同盟将が抗議するも、万助は揺るがぬ判断を下した。
「夜の渡河は危うい。ここまでを“勝ち”とし、明日、館山城を落とす」
豪胆にして老獪な判断。勝鬨が夜空に響いた。
「エイ!エイ!オォーーー‼」
ようやくの思いで辿り着いた館山城。五千の兵のうち、生きて戻ったのは五百に満たなかった。
城門が開かれたとき、経丸は目を見開いた。
血と泥にまみれた兵たちの姿に、城内の者たちはただ絶句した。経丸はすぐに指示を飛ばした。
「手当てを急ぎましょう!今は一人でも多く救いますよ!」
自らも走り、傷ついた兵の手を握り、布を巻いた。戦の帰還などでなかった。これは、生き残りの引き裂かれた命の断片だった。
《報告の広間》
後刻、広間に士郎、経丸、片倉、凛、河野、稲荷、ひのが集う。
静まり返る中、片倉が口を開いた。
「若…この度の戦、経緯をお話しします」
片倉は、万助の罠、士郎の決断、そして道本や高じぃたちの覚悟と犠牲――そのすべてを語りきった。
その後、士郎は経丸の前に進み出ると、力なく膝をついた。
「経丸様……それがしが、調子に乗って攻め込んだばかりに……多くの命を失いました。申し訳ございませんでした……‼」
顔を地に擦りつけ、嗚咽混じりに頭を下げる。
経丸は静かに士郎を見つめると、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「謝る相手は私ではありません。そして――皆が、命を懸けてでもあなたを守ったことに対して、謝るのではなく、感謝を。…そして、その思いに、応えてください」
士郎は顔を上げ、涙で滲んだ目でうなずいた。
「……はい」
一夜明けた館山。
傷だらけの兵たちが息をつき始めたその矢先、稲荷の報告が静かな館を震わせた。
「――千崎万助、総勢二万五千で進軍中です‼」
広間に緊張が走る。
片倉はどこか芝居がかった口調で場の空気をほぐすように言う。
「さぁ、討って出るか? それとも籠城か!」
だが士郎はうつむいたまま、重く、沈んだ声で呟く。
「どっちを選んでも積みなんよ…。降伏しか……道はないんじゃないか」
その言葉に、河野が真っ直ぐ前を向いて叫んだ。
「士郎さん‼ 僕らは負けない‼ 絶対に負けません‼」
「はぁ⁉ 何を根拠にそんなことを――」
「根拠なんて関係ない‼ 僕らは最強なんだ‼」
士郎が苛立ち交じりに吐き出す。
「現実を見ろ‼ バカは窮地が理解できなくて幸せだな‼」
その瞬間、珍しく
「士郎さん‼ 河野さんが必死に皆に勇気を与えようとしてるのに、どうしてその言葉を踏みにじるんですか‼」
経丸の声が広間に響いた。
「だって現実的に考えれば勝てるわけないじゃないですか‼それを現実から目をそらす発言をするから‼」
経丸は少し感情的になり目を潤ませながら
「士郎さんが諦めても私は絶対に諦めませんから、絶対にこの戦勝ちますから」
士郎は少し強い口調で
「じゃあ、何か策はあるんですか?この窮地を脱する策は‼」
「それはまだ・・・」
経丸が言葉を詰まらせると凛が
「兄貴、ダサすぎるわ。めっちゃダサいわ」
「はぁ?」
「この前の戦、兄貴のせいで負けたのに今回挽回してやろうじゃなくて勝つのは無理だ、降伏しようなんてダサすぎるわ」
士郎は頭を抱え、体を震わせ泣きながら
「恐いんだよ、戦がめちゃくちゃ恐いんだよ。たくさんの仲間が死んでいくのが」
「今回戦うとしたら、戦力差が圧倒的過ぎて悲惨な結果になる未来しか見えないし」
「降伏すれば、皆死ぬことはないじゃないか」
「皆、もう勝てない戦はやめて降伏しようよ!皆して死ぬことないじゃん‼」
空気は張り詰め、誰もが言葉を探していたそのとき――
――バァン‼
襖が引け、誰よりも勢いよく入って来たのは、頭をボサボサに焦がした一人の労ばだった。
「さっきから聞いてりゃウジウジと! 男なら覚悟を決めなさいよ‼」
士郎と凛の目が同時に見開く。
「ば、ばぁやん⁉」
「生きてたの⁉」
「死ぬわけないでしょ。あたしゃまだ八十五、バリバリ現役よ!」
士郎はもう限界だった。崩れるように膝をつき、大声で泣きじゃくる。
「髪…ばぁやん、爆発してるけど」
「戦場逃げ回ってると火もつくわよ。燃えちゃったのよ」
皆が吹き出した。
ばぁやんは士郎の肩をつかみ、微笑みながら見つめた。
「士郎――おばあちゃんにお茶、淹れてきておくれ」
――転ぶ士郎。
「なんで今、お茶⁉ 感動のセリフじゃないの⁉」
「わかった、じゃあ言ってやるわよ――士郎、泣きすぎ」
広間が笑いに包まれた。
その瞬間、士郎の硬く張り詰めた心がようやくほどけたようだった。
「何で!そんな事言うんだよ‼今はそんな事言う場面じゃないんだよ‼」
「ちゃんとおちゃっぱ新しいのに変えて入れるんだよ」
「切り替えが早すぎるわ‼」
士郎のツッコミに、場の空気が一気に和らいで皆が笑った。
深い緊張と絶望の中でも、一滴の温もりが心をほどいていく。
士郎がお茶を淹れに席を立つと、ばぁやんはふと表情を引き締め、皆の前で深く頭を下げた。
「すいませんね。あの子は昔っから、どうしようもなく臆病で…」
それをそっと否定する声が経丸から返ってくる。
「いえ。士郎さんは臆病なんかじゃありません。皆を守りたい一心で、現実を見ようとしてくれただけです」
ばぁやんはその手を取り、しわに覆われた両手で温かく包み込んだ。
「……あなた、人が出来てるわねぇ」
「い、いえっ」
「あなたが当主なら、私たち、絶対勝てる。そう信じてるのよ」
「ありがとうございます」
そのやり取りに、横で黙って聞いていた凛に、ばぁやんが目を向ける。
「で、凛――あんた、経丸様を勝たせる策、ないの?」
凛は目を閉じてちょっと唸るように息を吐き、さも当然かのように言った。
「……十五分寝かしてくれれば思いつくと思う」
「それならすぐ寝なさい! 布団敷いてあげるから‼」
ばぁやんは声高に言いながら、もうすでに押し入れから布団を引っ張り出していた。
凛はばぁやんの行動力に驚き
「な、なんという即応力……」
「策士も体力あってこそよ‼ さあ凛! 頭冷やして、夢の中で勝ち筋つかんできなさい‼」
「はい」
十五分後
ばぁやんは寝ている凛をさすりながら
「凛、起きなさい十五分経ったよ」
凛は欠伸をしながら
「うわぁ~眠い」
「策は思いついた?」
凛はばぁやんの問いかけに目をしばしばさせながら
「思いついたよ」
「それなら早く言いなさいよ」
「せっかちだなぁ。ばぁやんは」
凛は両頬を両手でパンパンと叩いてから真剣な表情で
「今から策を言わさせていただきます」
皆の視線が凛に一点集中する。
「敵を翻弄するためにこの館山城を燃やす!」
「館山城を燃やす‼」
話の途中にお盆に湯呑を人数分乗せて来た士郎は驚きのあまり
「えええええええええ⁉」
衝撃の一言に、士郎は反射的に手を滑らせ、湯呑が宙を舞った。
「あっつ‼ あっつつつつーー‼」
河野は頭からお茶を被り、畳の上でのたうち回る。
士郎は慌てて
「ごめん!ごめん!河野君大丈夫か‼」
「はい、熱いですけど命に別状はなさそうです」
経丸は急いで桶いっぱいに水を持ってくる。
他の皆は急いで畳を拭いたりしている。
「これで冷やしてください」
「経丸さんありがとうございます」
河野は桶の中に頭を突っ込むと
「気持ちー、あぁーめっちゃ気持ちー」
河野が髪をタオルで軽く拭いた後、凛が
「話し戻しますよ。館山城を燃やします」
「凛、それ本気で言ってんのか?」
「本気だよ」
「なぜ、この城を燃やす必要がある」
「館山城を燃やしたとなれば敵は経丸様が自害したと勘違いする。そしたら敵はこの戦いは終わったと油断するでしょ。その油断を突いて撤退する背後から一気に襲い掛かる」
「しかし、館山城は経丸さん達皆で必死に守って来た場所なんだぞ、皆の思い出が詰まった大事な場所なんだぞ!それを燃やすなんて‼」
「兄貴、この期に及んで甘ったれた事言ってるんじゃないよ!思い出?それも大切だがそれよりも大切で守らなきゃいけないものがあるんじゃないのか?」
経丸は静かなトーンで
「わかりました。凛ちゃんこの城燃やしましょう」
士郎は驚きながら
「えっ!経丸さん本当に燃やすんですか」
経丸は覚悟の決まった表情で
「はい」
「経丸さん、ご覚悟ありがとうございます」
「凛ちゃん、これをすれば勝てるんだよね」
凛は自信に満ち溢れた口調で
「はい!必ず勝てます」
「皆さん!この戦絶対に勝ちましょう‼」
「はっ‼」




