第二十五話
伝令は千崎のいる本陣に行き真っ青な顔で
「栗山殿・大林殿お討死‼」
千崎は驚いた顔をして
「そ、それは誠ですか」
「はい」
「それは申し訳ない事をしました。敵軍の様子は?」
「敵軍お二方を討った勢いで川を渡河し始めております」
万助は冷静な口調で
「全軍に撤退命令を出してください」
伝令が去って行く。
万助は伝令が去った後しばらく座したまま何も言わなかった。顔を伏せ、ただ静かに目を閉じる――その姿は一見、敗報に沈む将のようでもあった。
万助は周りにいる者達に
「すみませんが、少し一人になりたいので席を外してもらえませんか」
「はっ」
万助は一人になるとふっと顔を上げた万助の目には、不気味な光が宿っていた。表情は笑っていないのに、瞳だけが喜悦に満ちていた。
そしていきなり大声で
「計画通り過ぎて恐い‼自分の才能が凄すぎて恐い‼」
と言って高笑しながら腹を抱え、柱に頭を打ちつけるほどの高揚。
「いや〜〜ぁ、まったく俺って奴は‼」
万助の自画自賛が止まらない。
そこへ、若い兵士を一人呼び寄せる。
「おい、そこの若造。今からお前に極めて重大な使命を授ける」
「はっ!」
「この戦、儂の策で完全に制圧中だ‼ その凄さを…後世に、語り継げぇえっ‼」
「はっ!」
「まずは俺の武勇伝、事細かに伝える係だ。一言一句、間違えるなよ‼」
「承知いたしました!」
万助は唐突に兵士の耳を睨みつけた。
「待て、貴様、耳の中、綺麗か?」
「え? えぇ…多分…」
「“多分”なんて甘ぇんだよ‼ 今から儂が耳掃除してやる‼」
「ありがたき幸せ…!」
万助は素早く膝に座らせると、矢の軸を使って丁寧に耳掃除を始めた。意外なほど真剣な眼差しで。
「よし、これで鼓膜まで綺麗にできた。聞き漏らすまいな?」
「はい!通りがめちゃくちゃ良くなりました‼」
「では、戦の全容を伝授する‼ 心して聞け‼」
「だろ!今から今後の戦の流れを話す。心して聞けよ‼」
「はい!」
「まず、栗山と大林を討ち取った敵は勢いよく攻めて来る。その勢いでこちらは押される。敵が勝てると思った瞬間に千崎軍の別働隊が館山城を包囲したとのデマを流す」
「敵は大いに動揺するだろう。そしてこのまま戦を続けるか引き返すかで意見が割れるそこで一気に反撃に出るわけよ」
「……どうだ?」
「凄いです!まさに、天才の領域…!」
「だろ‼ これが千崎万助ってもんよ!」
「この、万助の天才的な策を一言一句間違えずに広めよ」
「はっ!」
兵が立ち去ろうとすると、万助は再び制す。
「おい!練習してけ。最低三十回な?」
「三十⁉」
「儂の武勇伝に間違いは許されない!」
「わかりました」
兵はその場で復唱を始め、万助は満足げに腕を組み
「……はぁぁぁ。神に愛されたこの頭脳が…恐ろしい‼」
敵軍を追い、川を越えた士郎たちの兵たちは押せ押せだった。士気は高く、前線はすでに千崎本陣を視界に収めていた。
稲荷が本陣にいる片倉と凛の元に行き
「士郎達の軍勢敵を圧倒!川を渡って敵本陣を壊滅させるとのこと」
片倉と凛は一瞬にして真っ青な顔をし
「稲荷さん、急ぎ撤退するように言って」
「わっ、わかった」
「凛ちゃん、俺も前線に行って皆を回収してくる」
「片倉さん、お願いします」
片倉が士郎達の元に向かった後、凛は大声で
「バカ兄貴!なにしてくれてんだ‼」
と叫んだ。
士郎はそうとも知らず河野に興奮状態で
「この戦…勝てるっ!」
士郎の目が光を帯び、肩に力が入る。河野もうなずいた。
「はい、勝てます!」
――だが、その瞬間だった。
「士郎さん! 館山城が敵の別働隊に囲まれたとの情報が!」
「なっ……なんだと⁉」
動揺する士郎の元に、さらに別の兵が駆け込む。
「敵が館山城を包囲中、との報…複数から届いております!」
「くっ……だから敵の数が妙に少なかったのか…!」
膝が水面を打ち、士郎はうつむいたまま言葉を失った。
そこへさらに別の報。
「士郎さん! 前線部隊、敵を圧倒中! このまま行けば…万助を討ち取れるかと!」
士郎の脳内を激しい葛藤が駆け巡る。
(経丸さんが危ない、すぐに救援に行くか、しかしこのまま、行けば千崎を討ち取れる。千崎を討ち取ってから行って経丸様の救援に間に合うか)
士郎は迷に迷う
(この二度とない好機を逃していいのだろうか、別働隊って事は主力ではない館山城で籠城すれば一週間は持つんじゃないか。ここで千崎を討って急ぎ向かえば間に合うのではないか?いや、万が一間に合わなかったら一番最悪なのは経丸さんが死んでしまう事それだけは避けたいここは撤退するべきか)
(しかしこの好機を逃したら次討ち取れる好機が来るとは限らない。むしろ次は今回の反省を生かして万全な状態で攻めて困れたら勝ち目はかなり薄くなる。やはりここは経丸さんを信じて攻め続けるべきか)
(どうしよう、早く決断しないと)
士郎は悩みに悩む時間だけが過ぎて行き、ドンドン焦って行く。
熟考の末
士郎は片倉の言葉を思い出す
(本当に好きなら信じるのも大事なんじゃないかな)
(おし‼それがしは経丸さんを信じる‼待っててください経丸さん!必ず長経様の仇を取りますから‼)
士郎は目を見開き、決意の一歩を踏み出した。
「全軍――まよわ……!」
――だがその瞬間、川岸に現れた片倉が声を張った。
「士郎君、撤退だ‼ 全軍、今すぐ川を渡って戻れ!」
「な、なぜですか⁉ 今、絶好の好機なんです! 経丸さんもきっと耐えてくれている…!」
「だからこそだ! 士郎君は敵陣に深く入り過ぎた…」
片倉の言葉をさえぎるように、どこからともなく轟く怒声が響いた。
「全軍、総攻撃‼」
千崎万助が、本陣より吠える。
茂みの陰から現れた一万の伏兵、そして本陣待機の五千――そのすべてが川を背にした士郎軍を包囲するように突撃を開始した。
「ど、どういうことだ……⁉」
士郎の顔が蒼白になる。
稲荷が駆け戻って来た。
「士郎! 敵の数が急に倍に…いや、それ以上に増えてる!」
「いや、敵は削ってきたはず…お前、算数できな――」
「何言ってんだ! 伏兵だよ!」
片倉が唇を噛む。
「遅かった…。敵は、川を越えさせるために“わざと”崩れたフリをしていたんだ…!」
「じゃあ、館山城は…!」
「偽報だ。嘘なんだよ、すべては誘導のための…」
士郎の心に雷鳴が落ちた。
片倉が叫ぶ。
「全軍、撤退! おれが殿をつとめる‼」
士郎は興奮気味に
「待ってください、片倉さん! 殿は――それがしがやります‼」
※(殿とは戦での撤退の時に味方を逃がすために最後尾で戦い時間を稼ぐ役割の部隊すなわち死ぬ確率が相当高い)
水しぶきの中、士郎が片倉の前に立ちはだかる。その目には迷いはなかった。
「これはすべて…それがしの責任です。だからこそ、最後まで戦って皆を逃がします…!」
静かに――だが確かに、士郎は自らの運命に刀を向けたのだった。
戦場を駆け戻ってきた一人の兵が、泥と血にまみれながらも士郎の元に膝をついた。
「外岡殿、最前線で戦っていた道本殿が…『これはすべて私の責任だ』と。そして――『己の命と引き換えに殿を全うする』とのことです‼」
士郎は、目を見開いたまま声を失った。唇が震え、かろうじて絞り出すように応える。
「……道本殿……」
「どうか、そのご覚悟を無駄にしないよう、早くお逃げください!」
その瞬間、士郎の肩にぽんと優しく置かれる手――高じぃだった。
「しろちゃん、俺も殿の援軍に行ってくるよ」
士郎は抑えきれぬ想いを噴き出すように声を張る。
「高じぃ! この窮地に追い込んだのはそれがしです‼ 責任は、判断したそれがしが取らねばならぬ‼」
いつも優しい顔の高じぃが真剣な表情で
「この戦が終わったら天羽家は窮地に陥る、その時に窮地を救う働きをするのが責任を取るっていう事だ」
「高じぃ……」
無言のまま士郎の頭を撫で、高じぃは口角を少しだけ上げた。
「頼んだぞ、しろちゃん」
振り向いた高じぃは、背後に集った老練な将兵たちに声を張り上げる。
「さあ、爺共‼ 若い者たちを生かすぞ――敵を蹴散らせ‼」
「オオオォーー‼‼」
槍や太刀を握る手はしわくちゃで、動きに若さはない。それでも彼らは、己のすべてを賭ける覚悟で前線へと駆けた。




