逸れ猿3
いつしか、女は〈化け猿〉に気を許すようになった。
〈化け猿〉は、怪我が癒え、だいぶ動けるようになった女にとある酒樽を差し出す。
「これは?」
「(猿酒)」
興味津々に酒樽を見ていた女に〈化け猿〉は笑って答える。
山の果実を使い、〈化け猿〉が作る猿酒。〈化け猿〉と女は猿酒を互いの盃に注ぎ、飲み合う。
「あなたは私に手を出さないわね」
女は〈化け猿〉の盃に酒を注ぎながら、ずっと思っていたことを〈化け猿〉に尋ねた。
女の怪我はだいぶ癒えた。それなのに、〈化け猿〉は自分にそう言う意味で触れてこない。
「(許されなければ、触れない)」
〈化け猿〉は女が注いだ酒を一飲み。女の眼を覗き込むようにして告げる。
「(お前が、許すまで、待つ)」
その言葉に女はそっと〈化け猿〉の手を掴んでいた。〈化け猿〉は驚きながらも、女の手を握り返す。
〈化け猿〉の片手が女の唇に触れた。目線が絡み合い、どちらかもなく唇を重ねていた。
小刻みな口づけが勢いを増して、互いに縋って求め合う。〈化け猿〉の手が女の肩と腰を抱き寄せた。女は〈化け猿〉の背中に腕を回す。
〈化け猿〉と女の身体がそっと重なった。
「…あっ……」
女の嬌声が洞窟の中に響く。
唇が重なり、肌と肌が触れ合う。自分は〈化けモノ〉に身を許している。
「(なぜ……泣いて、いる)」
〈化け猿〉は女の涙を唇で拭う。
〈化け猿〉に言われて、女は自分が泣いていることに気がつく。
「……わからない」
女が流す涙は、欣幸の涙か、悲痛の涙か。今はただ、何もかも忘れて、〈化け猿〉に身を委ねていたかった。
互いに身体を重ねたその日から、〈化け猿〉は女を抱きしめて、共に寝るようになった。
互いの存在を確かめるように抱きしめて眠り、時には身体を重ねていた。この時がとても心地よくて、とても怖かった。
いつか、この時が壊れてしまうのではないか。それが女は怖くてたまらなかった。
月日が経ち、ようやく女の怪我が治った。
そんなある朝。起きた女が水瓶から水を飲もうとして、水がないことに気がつく。
ぐっすりと寝ている〈化け猿〉をそのままにして、女は川の水を汲みに行くことにした。女は洞窟を出て、川に向かった。
川についた女は、早速水を汲もうとしたその時だった。
「おや、お前さんは誰だ?」
久々に聞く人の声に女は驚き、声の方に振り返る。そこには弓や竹槍、刀を持った農民らしき男が五人。
武器を手にした男たちに女は警戒し、距離をとる。
「女一人、怪しいぞ!」
男の一人が女に遠慮なく近づく。男が女の腕を乱暴に掴んだその瞬間。
「(ウォォォ!」)
〈化け猿〉の怒鳴り声が響く。
女がいないことに気がついた〈化け猿〉が、女を探しに来たのだ。
「やはり、生き残りがいたのだな」
男たちは、持っていた弓や刀、竹槍を構える。
男たちは、山にいた〈化け猿〉の群れに、若い娘や農作物を奪われていた村人たち。略奪をしていく〈化け猿〉の群れに困り果てていたところを、化け物退治を生業とする退治屋に助けられた。そして〈化け猿〉の群れを滅んだ。
〈化け猿〉の群れがなくなり、村人たちが安心して暮らしていたが、村に訪れた旅人が山の中で〈化け猿〉の姿を見かけたと話した。
それを聞いた村の男たちは、今度こそ、一匹残らず殺すために、〈化け猿〉を探していた。
「お前さん、〈化け猿〉に捉えられていたのだな。可哀想に、もう大丈夫だからな」
女を背に、村人たちは〈化け猿〉に立ちはだかる。
「アレは、〈化けモノ〉だ。おれたちとは、相容れぬ存在だ」
そう言って男は、〈化け猿〉を迎え撃つ。
〈化け猿〉は男たちの攻撃を避け、一直線に女の元に向かう。女は呆然とそれを見ていた。
〈化け猿〉が男たちを払いのけ、女に手を伸ばす。
「ッ!?」
女は〈化け猿〉の手を払ってしまった。女は逃げることをせず、その場に立ち尽くす。
手を払われた〈化け猿〉は顔を歪ませ、女を無理やり抱き寄せた。
「(すまない)」
〈化け猿〉は女の耳元に囁き、女を突き放す。
「死ね!〈化け猿〉!」
男の刀が〈化け猿〉を貫く。
「やったぞ!」
〈化け猿〉の血に塗れた刀を掲げる男。男たちは次々と〈化け猿〉を貫いていく。
「( )」
〈化け猿〉は女に優しく笑い、生き絶えた。




