第九十六話 戦争を終わらせるために、敵国の国民を味方につけることにした
帝国南部。
地方総督府。
総督は、報告書を見つめていた。
「……王国との交易が増えている?」
財務官が頷いた。
「はい。先月と比較して、国境都市の交易量は約三倍になっています」
「三倍?」
「特に食料、農具、医薬品の取引が増加しています」
総督は眉をひそめた。
「……帝国は王国と戦争中だぞ」
「承知しています」
「それなのに、王国の商品を買っているのか?」
財務官は、静かに答えた。
「買わなければ、住民の生活が成り立たないのです」
総督は黙った。
帝国の農民は徴兵されていた。
輸送用の馬は軍に取られた。
鍛冶屋は武器を作らされ、農具の修理は後回しになっている。
さらに、収穫した穀物の多くが軍に徴発されていた。
市場から食料が消えるのも当然だった。
「……王国の商品が入ってきて、何か問題は起きているか?」
総督が尋ねた。
財務官は首を振った。
「むしろ逆です」
「……逆?」
「食料価格が下がり始めています」
「……」
「農具が修理され、畑へ戻る農民も増えています」
総督は、しばらく黙っていた。
そして、静かに呟いた。
「……敵国に、我々の生活を救われているのか」
アルフォンス城。
「……帝国南部の交易量が三倍になりました」
ミディアが報告した。
俺は頷いた。
「いいことだ」
「ただし、問題があります」
「……何だ?」
「帝国政府が、交易を禁止する可能性があります」
俺は眉をひそめた。
「……だろうな」
「さらに、民間向けの食料が軍に徴発される事例も確認されています」
「それは困る」
俺は地図を見た。
帝国南部。
国境都市。
農村。
そして、帝国首都へ続く街道。
「……地方総督と直接交渉できないか?」
ミディアが顔を上げた。
「……帝国の総督と?」
「そうだ」
「皇帝の許可が必要では?」
「必要かもしれない」
俺は答えた。
「だが、住民の食料を確保する話なら、交渉の余地はある」
数日後。
帝国南部の地方総督から、返書が届いた。
『民間交易の継続を希望する』
『ただし、帝国軍への物資供給とは明確に区別したい』
『住民向けの食料、農具、医薬品について、継続的な供給を求める』
俺は書状を読み終えた。
「……よし」
ミディアが頷いた。
「交渉できますね」
「ああ」
俺は笑った。
「戦争中でも、話の通じる相手はいるんだな」
交易は、さらに拡大した。
王国からは穀物、農具、医薬品。
帝国からは木材、織物、鉱石。
互いに必要な物資を交換する。
国境には、交易監督所が設けられた。
軍用物資の流入を防ぎ、民間向けの配送先を記録する。
もちろん、すべてが順調だったわけではない。
帝国軍の一部は、交易品を徴発しようとした。
王国の商人を拘束する事件も起きた。
だが、そのたびに地方総督が介入した。
「この食料は、住民のためのものだ!」
帝国の役人が、帝国軍の将校に抗議した。
「軍が優先だ!」
「軍を維持するためにも、住民が生きていなければならない!」
その言葉に、将校は黙った。
やがて、帝国の地方都市では奇妙な光景が見られるようになった。
王国の商人が市場で商品を売り、帝国の農民がそれを買う。
子供たちは王国製の筆記具を使い、鍛冶屋は王国から届いた工具で農具を修理する。
戦争をしているはずの二つの国。
だが、市場では普通に商売が行われていた。
ある帝国の老人が呟いた。
「……戦争が終わったら、もっと商売ができるのにな」
隣の商人が頷いた。
「そうだな」
「そもそも、王国を征服する必要があるのか?」
「……さあな」
商人は、王国から届いた小麦袋を見つめた。
「少なくとも、俺には分からん」
帝国首都。
皇宮。
皇帝アウグストは、地方総督たちの報告を受けていた。
「……王国との交易が拡大している?」
宰相が頷いた。
「はい」
「戦争中だぞ」
「承知しております」
「なぜ止めない?」
宰相は、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「止めれば、南部の食料供給が不安定になります」
皇帝は眉をひそめた。
「……帝国は、それほど弱くなったのか?」
「軍は強大です」
宰相は答えた。
「ですが、民間経済が疲弊しています」
皇帝は黙った。
宰相は続けた。
「地方総督たちは、停戦交渉の開始を求めています」
「……何?」
「南部だけではありません。東部、西部の総督からも、同様の意見が届いています」
皇帝は、玉座の肘掛けを握った。
「……アルフォンス」
その声には、怒りが混じっていた。
「軍ではなく、民を動かすつもりか」
アルフォンス城。
統治システムに、新しい表示が現れた。
【帝国情勢】
《民間交易:回復傾向》
《地方経済:一部改善》
《戦争継続への支持:低下》
《地方総督による停戦要請:増加》
俺は画面を見つめた。
「……効果が出てきたな」
ミディアが頷いた。
「はい」
エリオが尋ねた。
「ですが、皇帝は停戦を認めるでしょうか?」
俺は首を振った。
「簡単には認めないだろう」
ヴァルクも頷いた。
「軍事的敗北を認めない男ですからな」
俺は、しばらく考えた。
そして、静かに言った。
「ならば、直接会おう」
ミディアが驚いた。
「……皇帝に?」
「ああ」
「危険です!」
「分かっている」
俺は頷いた。
「だから、正式な和平会談を申し込む」
エリオが尋ねた。
「……応じるでしょうか?」
俺は笑った。
「応じなければ、帝国の地方総督たちに説明してもらおう」
そして、静かに続けた。
「なぜ戦争を終わらせないのか、とな」




