第八十二話 老将軍が二十年前の敗北を語ったので、若き戦術家が新しい作戦を思いついた
アルフォンス城。
軍議室。
エリオは、ヴァルクの前に大きな地図を広げていた。
「……今回の作戦では、敵を追撃しません」
ヴァルクが頷いた。
「……ほう」
「敵が退却する場所を、あらかじめ限定します」
「……どうやって?」
エリオは地図を指さした。
「この丘陵地帯です」
そこは、黒鷲平原の南側。
左右には低い丘。
中央には、広い草原がある。
「……ここなら、騎兵が動きやすい」
ヴァルクが言った。
「はい」
エリオは頷いた。
「だから、バルドはここを選ぶはずです」
ヴァルクは少し考えた。
「……敵が別の場所を選んだら?」
「その場合は、戦いません」
ヴァルクは笑った。
「……慎重になったな」
エリオは頷いた。
「ガイゼルに、何度も教えられました」
エリオは、さらに地図を広げた。
「……バルドは、突撃に失敗すると退却します」
「そうだ」
「そして、敵が追撃すれば反撃します」
「……ああ」
「ならば、追撃しない」
エリオは続けた。
「代わりに、敵の退路を先に確保します」
ヴァルクは眉をひそめた。
「……どうやって?」
エリオは、地図の南側を指さした。
「ここに、王国軍の別働隊を配置します」
「……兵力は?」
「三千」
ヴァルクは少し考えた。
「……三千で、バルドの退路を塞ぐのか?」
「はい」
「危険だぞ」
エリオは頷いた。
「分かっています」
そして、続けた。
「ですが、正面から戦う必要はありません」
その日の午後。
レアルとミディアも軍議に参加した。
「……敵の退路を塞ぐ?」
レアルが尋ねた。
エリオは頷いた。
「はい」
「……兵力は足りるのか?」
「単純な戦闘なら、足りません」
「……では?」
エリオは地図を指さした。
「退路にある橋を、利用します」
ミディアが顔を上げた。
「……橋?」
「はい」
エリオは続けた。
「バルド軍が撤退する場合、重装騎兵が大量に通れる道は限られています」
ミディアは帳簿を開いた。
「……確かに」
「そのうち、最も重要なのが南側の石橋です」
レアルは頷いた。
「……なるほど」
エリオは続けた。
「橋を破壊する必要はありません」
「……なぜ?」
「橋を確保すればいいのです」
ミディアは、地図を見つめていた。
「……橋の幅は?」
エリオが答えた。
「約六メートルです」
「……六メートル」
ミディアは計算を始めた。
「重装騎兵が通過する場合、一度に通れる数は限られます」
「はい」
「さらに、負傷者や荷車が混ざれば、通過速度は落ちます」
エリオは頷いた。
「その通りです」
ミディアは顔を上げた。
「……つまり、橋を押さえれば、敵の退却速度を制限できる」
「はい」
レアルは、静かに笑った。
「……面白い」
しかしヴァルクは、まだ不安を感じていた。
「……エリオ」
「はい」
「バルドは、橋を使わずに撤退するかもしれん」
エリオは頷いた。
「その可能性もあります」
「……ならば?」
「別の退路も監視します」
「……なるほど」
エリオは続けた。
「ですが、バルドが最も安全だと考える退路は、この橋です」
ヴァルクは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……二十四年前」
エリオが顔を上げた。
「……はい?」
「俺は、敵の退路を考えなかった」
ヴァルクは続けた。
「ただ、目の前の敵を倒すことしか考えていなかった」
エリオは黙った。
「その結果、バルドに誘導された」
ヴァルクは地図を見つめた。
「……今度は違う」
そして、静かに笑った。
「敵がどこへ逃げるかまで、考えている」
その夜。
エリオは、作戦書を完成させた。
『黒鷲平原南部迎撃作戦』
第一段階。
敵の突撃を防御陣地で受け止める。
第二段階。
敵が退却を開始した場合、追撃しない。
第三段階。
別働隊が南側の石橋を確保する。
第四段階。
敵の退路を制限し、包囲を完成させる。
エリオは、最後の一行を書き加えた。
『敵将バルドの撃破より、敵軍団の戦闘能力を失わせることを優先する』
そして、静かに呟いた。
「……これでいい」
翌朝。
ヴァルクは、完成した作戦書を読んだ。
「……見事だ」
エリオは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
ヴァルクは続けた。
「だが、一つだけ頼みがある」
「……何でしょう?」
「最後の戦場では、俺に前線を任せてくれ」
エリオは驚いた。
「……将軍?」
ヴァルクは静かに笑った。
「バルドとの決着は、俺がつけたい」
エリオは、しばらく黙っていた。
そして、頷いた。
「……分かりました」
ヴァルクは、古い剣を手に取った。
「……ありがとう」
エリオは答えた。
「ただし、条件があります」
ヴァルクが顔を上げた。
「……何だ?」
エリオは静かに言った。
「必ず、生きて帰ってきてください」
ヴァルクは、しばらく黙っていた。
そして、笑った。
「……約束しよう」




