第六十七話 老将軍が敵の旗を見た瞬間、二十年前の戦争を思い出した
王国東部。
国境から三十キロほど離れた丘陵地帯。
ヴァルクは、前線の視察を行っていた。
帝国軍は、白霧峡谷を占領した後も慎重に前進している。
「……敵の動きは?」
ヴァルクが尋ねた。
副官が答える。
「ガイゼル軍は峡谷の補給拠点を整備しています」
「そうか」
「さらに、帝国から新たな軍団が到着したようです」
「……新たな軍団?」
ヴァルクは望遠鏡を受け取った。
遠くの平原。
そこには、大量の騎兵が集結していた。
黒い鎧。
長い槍。
そして黒地に銀の鷲を描いた軍旗。
ヴァルクの手が止まった。
「……まさか」
副官が尋ねる。
「将軍?」
ヴァルクは、もう一度旗を見た。
間違いない。
あの旗。
二十数年前。
自分の部隊を壊滅させた軍団の旗だった。
「……バルド」
ヴァルクは、静かにその名を呟いた。
二十四年前。
王国と帝国の国境。
当時、ヴァルクは若い騎兵隊長だった。
率いていた兵は、千二百。
任務は、帝国軍の進軍を遅らせること。
しかし敵軍には、恐るべき指揮官がいた。
バルド・グランツ。
帝国重装騎兵軍団の若き将軍。
「……来るぞ!」
ヴァルクが叫んだ。
平原の向こうから、黒い騎兵が押し寄せてきた。
地面が揺れる。
槍が並ぶ。
馬の蹄が、雷のような音を立てる。
「……防御陣形!」
王国軍は槍を構えた。
しかし帝国軍は正面から突撃してこなかった。
左右に分かれた騎兵が、王国軍の側面へ回り込む。
「……何だと!」
ヴァルクは叫んだ。
「陣形を変えろ!」
だが、遅かった。
黒い騎兵が、王国軍の側面を突き破った。
兵士たちが倒れる。
馬が暴れる。
旗が折れる。
「……ヴァルク!」
親友のローデンが叫んだ。
「ここは俺が食い止める!」
「……何を言っている!」
「お前は兵を連れて逃げろ!」
「断る!」
ローデンは笑った。
「……お前は、まだ若い」
そして、剣を抜いた。
「生き残れ!」
その言葉が、最後だった。
現在。
ヴァルクは、望遠鏡を下ろした。
副官が尋ねる。
「……将軍。どうされました?」
「……昔の知り合いだ」
「帝国軍に?」
「ああ」
ヴァルクは静かに答えた。
「二十四年前、俺を負かした男だ」
アルフォンス城。
その夜。
ヴァルクは、レアルの執務室を訪れた。
「……帝国軍に、バルド・グランツが加わりました」
レアルが顔を上げる。
「……バルド?」
「帝国重装騎兵軍団長です」
「強いのか?」
ヴァルクは少し笑った。
「……私が知る限り、最も恐ろしい騎兵指揮官です」
レアルは地図を見た。
「ガイゼルと比べて?」
「ガイゼルは、戦場全体を動かす将軍です」
「……なるほど」
「バルドは、戦場の一点を破壊する将軍です」
レアルは頷いた。
「……厄介だな」
ヴァルクは続けた。
「二十四年前、私は彼に敗れました」
「……そうか」
「親友を失いました」
レアルは黙った。
「……今度こそ、決着をつけたい」
その言葉には、長い年月の重みがあった。
レアルは、しばらく考えた。
そして、静かに答えた。
「……ヴァルク」
「はい」
「復讐のために、兵を使うな」
ヴァルクは顔を上げた。
「……承知しています」
「だが」
レアルは続けた。
「王国を守るために戦うなら、俺はお前を信じる」
ヴァルクは深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
同じ頃。
帝国軍本陣。
ガイゼルは、新たに到着した老将軍を迎えていた。
「……久しぶりだな、バルド」
「ガイゼルか」
バルドは豪快に笑った。
「相変わらず、難しい顔をしているな」
「お前は相変わらずだ」
「それで、敵は?」
ガイゼルは地図を広げた。
「レアル・アルフォンスだ」
バルドが笑った。
「……噂の領主か」
「侮るな」
「分かっている」
バルドは頷いた。
そして、地図の一点を指さした。
「……ところで」
「何だ?」
「王国軍に、ヴァルクという老将軍がいるそうだな」
ガイゼルは顔を上げた。
「……知り合いか?」
バルドは笑った。
「ああ」
その笑みは、獰猛だった。
「二十四年前、殺し損ねた男だ」




