1-1 ボンビックス子爵毒殺事件
紡績都市セレーサのとある酒場の裏口に、つぎはぎだらけのお仕着せを着た女性が現れた。大きめのホワイトブリムの隙間から垂れた金髪は夕日に照らされて淡く輝いて見え、ボロ服に似合わぬ美しさだ。
女性は裏口の戸を控えめに叩くが、反応は無い。しばし間を空けてから、女性はもう一度戸を叩く。ややあって、店主であろう男が不機嫌そうに戸を開けた。
「入り口なら表通りの方だが」
「申し訳ありません。バタード・ラム・ゴートにテラ豆パウダーと生クリームを追加、ラム酒をホワイトラムに、ミルクを豆乳に変更したものを、アイスで提供していただけると聞いたのですが……」
バタード・ラム・ゴートは、ヤギミルクを使ったホットミルクにバターとラム酒を入れ、お好みで砂糖で甘みをつけたカクテルだ。それを、あれやこれやと付け足したり、あまつさえ冷やすだなんて、なんとも奇妙な注文だ。
しかし、その奇妙な注文を聞いた店主は数秒動きを止めると、納得のいったように眉間から皺を消す。
「一杯だけなら出してやる。入りな」
そう言うと、店主は女性を店に上げる。裏口は厨房に繋がっており、依頼を終えた冒険者達が打ち上げの飲み会でも開く時間帯だというのに、厨房からも見える座席には数人しか人がおらず、閑古鳥が鳴いていた。
そのまま厨房を通り過ぎ、階段を上り、二階の奥にある部屋の前まで案内される。
「そこの部屋だ」
「……ありがとうございます」
女性は美しい所作で一礼する。店主はそれを一瞥して、食堂へと戻って行った。
深呼吸を二回、三回と数階繰り返し、女性はやけに緊張した面持ちでドアノブを握り、一拍おいて、扉を開けた。
――扉の向こう側には、彼女にとって未知の光景が広がっていた。
中央には来客用にか、大きめのテーブルと、対面するように置かれたソファーがある。その他にも机が三つあり、一つは窓際の中央辺り、もう二つは少し離れて、本棚に近い位置に並べて設置してある。机の上にはポリプロピレン製のファイルケースやクリアファイル、女性の世界では高価であるはずの紙の本、それにそれぞれの机にノートパソコンかデスクトップパソコンが置かれている。
部屋の隅には植物が鉢植えに植えてあり、隣にあるラックにはボールペンやサイズ別の付箋紙など、事務作業に使うようなものが多数置いてあった。
何より、書斎か執務室のような雰囲気のその部屋にある、夕陽の差す大きな窓。そこから見える外の光景は、紡績都市セレーサとは全く違うものだった。
彼女の目に映るものは、所狭しと並ぶモダニズム建築やコンテンポラリー建築の建物。石畳ではない、美しく舗装されたアスファルトの道。魔石ではなくLED式の街灯。
異国とも違う現代日本の光景に、彼女はぽつりと「異世界に来たみたい」と呟いた。
不意に、誰かの足音が女性の耳に届く。二人分の足音はあっという間に部屋に近づき、そして音のする方向にあったドアが開いた。
「じゃあ所長、お先上がりまー……あっ」
女の子と、目が合う。彼女にとっては異国人に見える顔立ちの女の子は、現代日本ではよくいる女子大生といった風体で、左手首にはサイコロを模した飾りのついたブレスレットを付けている。丁度ショルダーバッグを肩にかけようとしていた彼女の発言的に、今から家に帰る所だったのだろう。
互いに驚いて動けなかった数秒の沈黙の内に追いついたらしい「所長」が、女性の姿を見るや否や、金色の目を細めて微笑んだ。
「おや、お客さんだね。愁くん、少し残業してくれるかな」
「はぁーい……」
愁と呼ばれた女の子は少し残念そうに再び奥の部屋に引っ込む。
代わりに出てきた所長らしき男性は、数秒程客人である女性の姿を観察してから口を開く。
「この魔力……お客さんはアルバーテルのパラディーソ王国出身かな」
「え、ええ」
国名だけでなく、通常ではわざわざ聞く事も無い世界の名を口にしたことに多少の違和感を覚えつつ、女性は頷く。
「見たところ、メイドに扮した貴族のお嬢さんのようだけれど、合っているかい?」
「……どうして分かったのですか?」
「メイドの手にあかぎれ一つ無いなんて、おかしいからね」
そう言われてから、後ろめたい訳でもないのに、女性は無意識に指摘された両手を隠す。その手は白魚のようにつるりとしていて、爪には紅まで塗られていた。
「それに、その髪。余程よく手入れをされているように見える。ただ髪油を塗っただけじゃない、常日頃から念入りにケアをしているからこそ出る上品な艶があるね。それ程までの時間と金銭的な余裕があるのは、どれだけ甘く見ても、やり手の中産階級以上の人だけだろう」
低く落ち着きのある声に、やや癖のある猫毛気味なミルクティー色の髪と、目尻の下がった柔和な微笑みが似合う顔立ち。鋭い観察眼とは裏腹に、彼に対して女性は「優しそうな人」という印象を抱き、少しだけ緊張が緩んだ。
所長は紳士的な所作で女性の手を取ってエスコートし、中央のソファーへと導く。女性もエスコートされるままにソファーに座った。
鞄を置いてきたらしい女の子、愁が再び顔を覗かせる。それに気付いた所長は慣れた様子で彼女に指示を出す。
「愁くん、お茶を持ってきてくれるかな。そうだね、紅茶の方が好ましいかな」
「はーい」
「それと茶菓子も頼むよ。ああ、確か君が作ってきたチョコケーキがあったね。彼女は汎人種のようだし、それで大丈夫なはずだ」
「分かりましたー。お客さん、すぐにお茶をお持ちしますね」
愁は人当たりの良い笑顔を見せて一礼すると、再び扉の向こうに引っ込んでいった。
ふと、女性は明らかに異国人である愁が、滑らかに自身の母国語である言語を話しているように聞こえた事が気になった。
耳にするのは馴染みのある言語のはずなのに、口の動きは合っていない。彼女の視点から見れば、まるで吹き替え映画のような光景に見えている。
彼女を見送った所長は、恐らく自分の席なのだろう机からノートパソコンを持ってくると、女性の向かいのソファーに座り、変わらぬ微笑みのまま改めて挨拶をした。
「さて……賽之目探偵事務所へようこそ」
――賽之目探偵事務所。
まことしやかに囁かれているその存在は、どんな依頼でも必ず解決してくれるという噂がある。
ただし、その事務所はこの世のどこでもない場所にあると言われている。ごく僅かな人物だけが知っている秘密の扉があり、その扉からしか事務所に行けないのだ。
貴族でも目が飛び出る程の情報量を支払ってようやくその情報を知った彼女は、異世界じみたこの部屋の中で賽之目探偵事務所と実際に耳にして、ごくりと生唾を飲み込む。眉唾物でオカルティックな噂が真実だった事に対するある種の興奮と、彼ならきっと事件の真相を解き明かしてくれるだろうという期待からだ。
先程世界の名を口にしていたのは、別世界からも彼女のように、事件の解決を望み訪れる依頼者が居るためだろう。
「依頼内容を聞く前に、まずは自己紹介といこう。私が所長のヘルメス・アンバーだ。……ああ、こちらでは、家名があるのが普通なんだ。先程居た女の子は、私の助手の森本愁。シュウの方が名前だよ」
「私はボンビックス子爵家の次女、マルベリーと申します。アンバー探偵、どうか……どうか、私の依頼を受けていただけませんか」
「それは内容によるね。とりあえず、話を聞かせてくれるかい?」
ヘルメスと名乗った男はノートパソコンを開くと、カタカタと何かを入力する。
貴族令嬢の願いに対し二つ返事で承諾しないなど、不遜とも言える態度だが、ここには身分の差は無い。例え王族だろうが、孤児であろうが、だ。
この場においての絶対のルールは、事務所の主である彼、ヘルメス・アンバーその人である。
マルベリーはその事を事前に聞いていたため、ヘルメスの態度に腹を立てることは無かった。そもそも、おっとりとした性格の彼女は、外で平民に同じような態度を取られても気にしないのだが。
一度深く深呼吸をしてから、彼女は語り出す。
「私の父を殺した犯人を、探し出して欲しいのです」
彼女がそう口にした瞬間、ヘルメスの温和そうな目付きが、ぎらりと輝いて見えた。それは正義感や義憤といった感情ではなく、単純に面白いものを見つけた時みたいに好奇心に目を輝かせたような、そんなものだった。
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