36話 邪と妖(2)
コウモリの口から空気を圧縮した衝撃波のようなものが放たれる。
色はなく、魔法や妖力の気配はない。
こんなもの雨堵で――
「バカ野郎、避けろッ!!!」
レンゲの言葉に反応して咄嗟に身を投げる。
次の瞬間、衝撃波は屋上のコンクリートに当たり凄まじい轟音が響いた。
衝撃波に思われたものは、音爆弾だった。衝撃波は中に爆音を溜め込んでおり、物に触れると破裂して鼓膜を破るほどの音をまき散らす。
それは空気を揺らし、身体を吹き飛ばされるほどの威力があった。
レンゲとハクは、耳を押さえて踏ん張っている。
う、うるさい……! バカみたいな金切り声だ。ふっざけんじゃねえ!!
「つ、次が来るぞ!」
レンゲの注意力には関心させられる。何を言っているかはわからないが、警戒するような声は低く届く。耳をやられてる俺とは違い次の攻撃を警戒していた。
俺は、コンクリートに打ち付けられた体を起こし移動を始める。
コンクリートの上を走るだけでなく、跳躍し三次元的に回避した。足場を残す意味があったが、
わかっていれば爆発に巻き込まれることはない。それ程速いというわけではないし、強化した体なら回避は容易だ。しかし、この音が厄介すぎる。奇声がずっと耳に残って戦いどころじゃない。
次々と巻き起こる音の嵐に俺の耳は鈍く低音しか拾えていない。
爆発が起こる音、コンクリートが砕ける音といった大きな音が現実感のないように届く。逆に自分の足音、あの巨体の足音も聞こえない。まるでここに自分がいないようだ。
さっさとあの首を落とさないと耳がおかしくなる! もうなってるけども!
と思ったが、巨大コウモリの方から近づいてきた。
突風が吹いてそれに乗って滑空している形だ。
刀を構えたが、近づくにつれて大きくなって見えるコウモリに後退る。
で、でけえ……。
呆気にとられている合間に衝突する。コウモリの足の爪に対し刃を合わせた。
妖力が目に見えて震える。
パワーが桁違いだ。一度足を引けば、そのまま押し込まれてしまう。
「ぐっ……」
「フハハハハハ! 矮小なガキが粋がって対抗しようとするか。しかし、無駄だ! 例え天と地が入れ替わったとしても、貴様が私を凌駕することは絶対に無い!!」
やっぱりまだ人間としての弱い心が残っているみたいだ。見た目だけでも恐ろしい相手には尻込みしてしまう。妖怪も見慣れてきたはずなのに。
だけど、そんな調子じゃスミレにケツ蹴られるし。ゼラにまた外に出るのを渋られる。
――結局、自分で自分の価値を証明するしかないんだよな。
「来い、我が同胞達よ!」
どこからともなく空を覆い尽くすほどに集まってきたコウモリの大群。
ザワザワとした飛翔音が耳をイラつかせる。
「万事休すだな人間! いや、半妖の渡り人よ!!」
巨大コウモリが勝利を確信した笑みを零す。
月光をも遮るコウモリの大群がこいつの必勝の策らしい。
「俺は、狐達と一緒に暮らして狐達から術を盗んだ。元は九尾の妖力だ、出来ない訳はないと使い方を教わってきた。
――まさかこんなに早く使うことになるとは思わなかったけどな」
訝しげに表情を曇らせる。
俺は、組み合った状態で自身の背後に青い炎を灯した。
怪しく浮遊する野球ボール程度の炎を十三個ほど出現させた。
「こ、これは……」
「狐火――昔から狐の妖怪あるところになにかと出現したという怪しげな炎。時にそれは、外敵を退ける灯火だ!!」
「たかがそれだけの数で――」
「安心しろよ。俺の狐火の師匠は、何百何千と生きてきた奴で、暇すぎて狐火のポテンシャルバカ上げした変人だ。使えそうな使用法は粗方習ったよ!」
この狐火は、近くの対象に連鎖的に伝播する。
コウモリの群れは、いい実験になるだろう。
青白い炎がコウモリの群れへと突進していった。
次の瞬間、空の暗闇が青い炎に包まれていく。炎が次々と燃え移って空で大火事が起きていた。
雨のように焼けたコウモリが香ばしい匂いを漂わせながら落ちてくる。
「――【狐火・点繋】!!!」
「っ……!!」
巨大コウモリを雨堵で押しのける。
すると、コウモリの火がドラキュラにも燃え移った。背中に触れた青い炎が広がり、やがて全身を覆い尽くす。この広がる速度には凄まじいものがあるが、流石はゼラが伝授してくれた狐火だ。
「ぎゃああああああ!!!
熱い……なんだこの灼熱は! 体が焼ける……肺が、妖気が燃えるようだ!」
コウモリは後ろに倒れ、悲鳴を上げながらのたうちまわった。
「狐火のエネルギーは妖力だ。お前の妖力が強ければ強いほど燃える」
「この……ッ!!」
「!?」
巨大コウモリは、焼けてどうかしたのか翼をはためかせる。更には屋上中をのたうちまわって暴れ出した。
「私は、伯爵だ! 人間風情の妖術に負ける私ではない!!」
「頭いかれてやがんのか……!」
このままじゃハク達や下の連中にも被害が出るかもしれない。
仕方ない……ひと思いにぶったぎるか!
邪気のことが不安だったが、今はなりふりかまっちゃいられねえ……! 俺の今ある妖力の最大をこの右腕に込める!!
右腕をエル字型に構え、妖力を刀剣に込めていく。
すると、左半身に痺れが出る。悪寒が駆け巡り、視界が黒く染まりつく。
こ、これは……。
「レッドさん、邪気が!!」
ああ……あのハクの心配する様子。
いや、この身で痛いほど感じる。紛れもない、邪気が左から立ち込めている。
後ろから恐ろしく冷たい女が抱きしめてこようとする様が脳裏に過った。
クウのおかげで邪気に対する畏れはそれほどではなくなった。しかし、これを宿す身としての責任も理解している。こいつを放すわけにはいかない。
俺は、妖力を抑えた。
邪気を抑える方法は、妖力を行使しすぎないこと。対抗するかのように増してくるから、抑えれば直ぐには飲み込もうとしない。
「フハハハハハ!! どうだ人間! 貴様のちょこざいな手品の種など、所詮種に過ぎないのだ!!」
炎を振り払ったようだ。高笑いしながらドヤ顔を決めている。
暴れ回るのをやめにしてもらったのはありがたいが、あれで狐火を消したのか。
「なかなかスペクタクルな奴だな」
「邪気に囚われているようだな人間よ。ただのガキだと思っていたが、既に地獄の住人のようだ。嘆かわしい……人間の身でありながらそんな状態となるとはな。
邪気とは、地獄へのチケットだ。貴様はこれから地獄へと招待されることになるだろう。この私の手によってな……!!!」
ふと月光の中に人知れず浮かぶ子供の姿を見た。
「――人間は時に人間を殺す。妖怪もまた人間を殺す。殺意というものに人と妖に特別な違いはなく、一様に醜く廃れた感情の成れの果てじゃ。それが寄り集まって邪気という闇の象徴が輪廻の垣根を超えて現れる。邪気こそ人間と妖の分別の付かん、実にお主に相応しい力じゃ」
風に吹かれてあの嘲笑うかのような声が聞こえてきた。
まるで今の俺の状況を楽しんでいるかのようだ。
「もう来たのか……」
「九尾様!?」
「ああ、お姉様……!」
レンゲがとろんとした表情で中央館の屋根の上を見上げる。
「お主がぐずぐずしておるからじゃぞ」
三角屋根の上に愛らしく座る小さな少女。
相変わらず耳と尻尾は隠しているようだ。白いワンピースは月明かりに照らされて銀色の光を放っている。
あの無垢に見えて怪しい笑みが俺に苦笑させた。
「お前が来る前に全部終わらせるつもりだったんだけどな」
「ツジリの奴が頑張ったのじゃ。この屋敷は狐に塗れるぞ」
どうせお前が急がせたんだろ。ツジリにはゆっくり来るよう言ってあったし。
妖気もここにあるのはお前とツジリだけ。『塗れる』ということは、まだ他の狐達は来ていないってことだ。ツジリを身軽にして急がせたな。自分の足は使っていないと言い訳でもするつもりだったのか。
「心配性だな……」
「お主もこれ以上は無理があるじゃろう。儂の血肉が必要なのではないか」
頬を膨らませて眉を顰めている。俺が喜ぶと思ったようだが、想定と違って不機嫌になったらしい。
「また狐か……どこまで私を怒らせれば気が済むのか。ここは動物園ではないぞ!」
「それは可哀想にな。ここにはもう俺達がいる。つまり、ここに俺達の仲間が何百何千とやってくることになるんだ。勿論、全員が妖怪だ」
「なにを偉そうに……貴様の命は、私の手の中にあるということを忘れている訳ではないだろうに……!!」
「お前は一度として俺に決定打を与えていない。それも忘れていないだろ」
「……いいだろう。血を望むのならば、私はその願いを叶えよう! 血は大好物だ!!」
巨大コウモリが力んで再び風が吹いた。妖力の高まりと共に体が膨れていくのが判る。
ゼラが俺の隣に現れた。怪訝な様子である。
「奴を怒らせてどうするつもりじゃ」
「俺は、人を怒らせるのが得意だからな。それを利用しているだけさ」
「儂に秘め事とは、お主は儂まで怒らせるつもりか?」
「……確信があるわけじゃないが、あいつは妖力の出力を上げる度に大きくなるんだ。これからもっと大きくなるはずだ」
「して、やるのか?」
「ああ。折角来てもらったんだ、お前の妖力で初めての実践にする。つっても、一瞬で終わらせるつもりだけどな」
「うむ、それが賢明じゃろう。まだ完全な制御とはいかぬからのう」
巨大コウモリの大きさは、既に屋敷同等、いやそれ以上だ。この屋上では重量が耐えきれないようで、罅が入り始めてる。
「抜けるな……」
「支えてやらんこともないぞ?」
「おぶってやらないこともないけど?」
二人して笑い合うと、俺はゼラと手を繋ぎ、屋上から降りる。
すると、左館は巨大コウモリの重さに耐えきれなくなり、倒壊する。
巨大になりすぎたコウモリは、自身で自身の屋敷を足の下で潰した。
よくあの巨大な体で動けるものだ。足で体を支えるだけでもつらいだろうに妖力で強化されているのか。
「フハハハハハ! 小人になりすぎた哀れな人間よ、私の足の下に伏せる準備はできているか!」
木よりも高く、屋敷よりも高く、それでいて邪悪な妖気を纏った巨大なコウモリは、デカさを強さと勘違いして俺と対面する。
人間を弱者、もしくは恨む対象としているのか、他には目もくれずに俺を見下ろそうと躍起になっているかのようである。
人間と妖は似て非なるものだ。同じく心を宿し、考える知能を持っている。おかげで俺とゼラは分かち合うことができているが、逆に恨み合うこともできてしまう。今の俺とこの巨大コウモリはまさしくその縮図だ。お互いにお互いの言い分とプライドがあってここで向かい合っている。
人間と妖怪の大きな違いとして挙げられるのが、死があるか否かだ。
人間であれば、死と隣り合わせで、だからこそ死を忌み嫌う。生にしがみついて生きる為に努力してきた種族と言えるだろう。
逆に妖怪には死が無い。妖力がなくなればその存在が地獄へと移動する。体も記憶も介在し、地獄から生ある者がいる世界に舞い戻ることも不可能じゃない。妖怪はゲームの世界で死ねば地獄という生き返り場所に戻るというだけ。つまりは死を断定的に定義できないのだ。
だからこそ思う。人間と妖怪の決定的な差とは、死があるかないかではないかと。
「いくら何百何千年と記憶を保持して生きてきたとは言っても、生きる為に努力をしない妖怪では力量の改善はない。お前を見れば、ゼラとの明らかな違いが目に見える。確かにお前は強いが、ゼラほどの絶対的な力を感じない」
「なんだと……?」
「どちらも昔から強い妖のはずだが、ゼラはお前に無い関係を持ったからだろう。
生に縋る人間――俺の前世に関わり、俺という人間を死なせない為に努力しただろうゼラ。対してお前は、その人間を尚も下賤の者であるかのように言う。術を見てもそうだ。音爆弾やコウモリを操る術は大したものだとは思うが、これだけ長くいたのならもっと強い術にもできたはずだ。音爆弾の速度は見切れるレベルだったしな。
ゼラのように術を洗練させるといった思考が無いお前では、それに習う俺を踏み潰すことはできない。自分の体を大きく見せたいのは、人間よりも優れていると誇示したいがためだろう。自分よりも劣っている者が自分よりもなにかで勝っていると感じるのが我慢ならないお前の凝り固まった心が、お前を弱く見せているのさ!!」
「それが最後の言葉か。私には自分の死を受け入れられない悲愴の叫びにしか聞こえないな」
「――だから、お前は俺に負けるんだ」
俺とゼラの手のつなぎ目に赤黒い妖気が現れる。互いに互いの気を流し、力を増幅させていった。




