35話 二つ目の妖怪道(6)
まだ伯爵の怖い視線に背中がブスブスと刺されてる気がする。
でも、さっきのたった一瞬の出来事だったけれど、あの人に任せればきっと大丈夫なはずだ。
表に回ろうと屋敷から見て右側面の角を曲がると、建物の影の中に見慣れない銅像を見つけた。
「な、なんだ……?」
銅像自体は屋敷内にいくつか見たことがある。けれど、それのどれもが魔物を象ったおどろおどろしいものばかりである。なのに、この銅像は明らかに人型、それも人族のものだった。
それが点々と捨てられたかのように正門の方に向けて五つ程ある。
こんなものあったっけ……?
いや、今はそんなことどうでもいい。早く助けに行かないと!
そう思い、銅像の横を通り過ぎる。
横を通り過ぎる時、つい気になって銅像の表情を確認した。
腕も足も長い高身長の男子。疲れたような顔が酷く怯えており、後退るような体勢だ。
僕は、足を止めた。
これ……
「真司、くん……!?
ど、どうして、こんなところに真司くんの銅像が……!!?」
直感した。
これは、真司くん本人だと。
「っ――しまった!!」
鳥肌が立った。性急に走りながら考える。
相手は、僕達を殺さない。目的の人物が誰かも分からない状況で、殺しはしないだろう。しかし、捕縛する必要はある。ここに留めておく為にいくつかの方法があって、それのどれもが一様じゃない。
――石化だ。魔法があるんだ、石化だって存在するはずだ。でも、そんなすごい魔法は今まで聞いたことない。
正門の方に近づくにつれて音が大きくなる。誰かが敵と戦っているみたいだ。魔法による衝撃音が度々聞こえてくる。
屋敷の影から月の光に出るという時、梶ケ谷さんが目の前に吹き飛ばされてくる。彼女は目の前の花壇に背中を打ち付け、ぐったりと項垂れた。
白いパジャマが泥と血で汚れ、右腕の肩から先の裾が引きちぎられていた。息が荒く、瞼が強く閉ざされている。
気絶しているのかと思ったけれど、どうやらそうではないようだ。なんとか立ち上がろうと震える足を動かそうとしていた。
「梶ケ谷さん!!」
「なん……目を閉じろバカ!」
咄嗟に放たれる言葉に駆けつけようとした足を止める。
「メデューサってやつ! 顔を見たら皆石になったんだ!」
僕は直ぐに視界を閉ざした。
「もう八人、こいつにやられてる。でも、きっと倒せば元に戻る!」
メデューサ……メデューサの顔を見たら石になるってあの!
「あら、まだおチビちゃんが残ってたのねえ……」
暗闇の中で掠れた声で女性の声だけが聞こえてくる。梶ケ谷さんと迎え会うようにして、すぐそこにいる。
「あの女、本性は蛇の化け物だった! だから普段見えにくいサングラスを掛けてたんだ!」
「化け物なんて、美しくない表現だこと。あんなに世話してあげたっていうのに恩情のひとつも無い」
「もうわかってんだよ! あんた達があたしらの命を狙ってたってことはね!!」
「うふふ……。じゃあこれからされることもわかってるんでしょう? 視界を遮っても、それじゃあわたしの居場所はわからないんじゃない。足の骨を折るのも簡単だわ」
だ、ダメだ……敵の居場所もわからないのに、どうやって倒すっていうんだ……。
いや、違う! 倒さなくったっていいんだ。要はこの人を見なければいいんだから!
「梶ケ谷さん、合図したら逆方向へ向いて走るんだ」
「は、はあ? 何言ってんの!? まさかあんた……」
「一人でも多く逃げるのが大前提だよ。どうせこの人達は僕達を殺せない。殺されないなら、また逃げるチャンスは来る。梶ケ谷さんは、僕達が生きているうちに助けを呼んでくるんだ! 時間くらいは僕でも稼げる!」
「皆を置いて逃げろっての!? そんなことできるか!」
「二人なら逃げられるとでも思ってんのかい!!」
強張った声に全身が警戒した。
来る!
地面の砂が転がる音が聞こえたと思うと、梶ケ谷さんの悲鳴が起こる。
「きゃぁぁぁ!!!」
「梶ヶ谷さん!!」
悲鳴は少しづつ遠くなって投げ飛ばされたのではないかと瞼を開きそうになる。
しかし、どこに誰がいるのかもわからない。この状況で下手に動くことはできなかった。
前に出した足は悔し気に引かれ、恐怖で生唾を飲んだ。
暗闇の中で得体のしれない者が蠢く恐怖は絶望にも等しい。なにをすればいいのか、なにもしない方がいいのか、逡巡する。
「次はお前だよ、カモのおチビちゃん!!」
すぐ目の前で聞こえる声にゾッとした。
首を持たれ、身体が浮く。
どうなっているのかわからないが、次の瞬間僕の背中は地面に打ち付けられた。
「カハッ……!!」
目を開けない間に激痛が全身に回るが、特に背中と腰、ついでに打った手も痛い。
目を開けば勝てるなんて思わない。それなのに視界を失ってどうしろって言うんだ……!!
「目を閉じても地獄、目を開いても地獄。お前達に逃げ場なんてないんだよ」
暗闇の中でメデューサの声が大きく聴覚を刺激する。絶望を押し付けるようなその声は、俺を揶揄っているかのようだ。
――終わった。
誰か一人でもいい逃げ延びてくれ。そう願うしかない。
でも、もう八人は石化してる。残りは僕を含めて五人。武蔵野くんはまだ戦っているんだろう。奥の方で鉄が衝突する金属音がしている。
今こうなっているのは僕のせいだ。僕がやらかしたせいだ。だけど、いずれはこうなっていたのなら、きっと僕の行いは間違っていない。
なんて自分を正当化したら皆に白い目で見られるんだろうな……。
「おいチビカス!!」
レンゲ……さん?
遠くから、というか空の方から彼女の声が聞こえた。切迫したような雰囲気が声色から伝わってくる。
もしかして助けてくれる!?
「てめえ、自分でなんとかするしかねえぞ!!」
違った……ていうか激励でもない。事実言われただけだ……。
「オレに唆された経緯はあれ、これはてめえが始めたことだ!」
知ってます。
でも、あなたがなんとかしてくれるって言うから! 約束通り契約ってのもしたし、たぶん。でも今、僕が死にそうになっているのはあなたが約束守ってくれないからですよね!?
まだ伯爵と戦っているのか。屋敷の屋根の上で。
踏ん張るような声だし、きっと僕を助ける余裕は無い。
「責任持って、仲間助けてやれ! てめえの仲間だろうが!!」
わかってる! あなたが忙しくて、こっちに参加できないことも。あなたが言っている正当性も!
「だけど僕には無理なんだ。強くないし、皆の中でいちばん弱い……僕のスキルは……」
僕のスキルは、これまで一度も発動したことがない。発動の方法がわからない。どんな効果かもわからないんだ!
これで、どうやって……どうしろっていうんだ!!
「教えてくださいよ! 僕は……僕はどうすればいいんですか!!」
「そのままくたばっていなさい」
ボキッ!!
鈍い音が右足から骨を伝って脳に到達する。と同時に折られたという事実を自覚して、さっき倒されたのとは別次元の痛みが僕の脚を支配した。
「ウア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
痛いでは表現出来ない苦痛の嵐。
とても我慢することが出来ず、思考が止まった。
「あっ……」
「まさか死んじゃった……?」
◇
惑うほどに広い屋敷のある敷地。そこで一番高い建物から二人は周囲を見渡すことができる。
高く聳え立つ外壁は外敵から身を守る為だろうが、今では逃げ場を制限している。おかげで正門からしか外に出られない。
ここからなら子供達と伯爵の配下の戦力図がよくわかる。
子供達は半分以上がメデューサに石にされてしまった。そこら辺に石が転がっているが、元は人間である。
もう一人、伯爵の部下にかなりの手練れがいる。フランケンシュタイン――体が頑丈な上に痛みも感じない主人に忠実な堅物。普段は物言わない銅像のようだが、こと戦闘においては頑丈で屈強な壁役だ。
正門を塞いで逃げ場を失くし、後ろから蛇女が数を減らす。理に適った戦法を仕込んでいたらしい。
この二人がいれば、伯爵が不安になるようなことはない。屋上にあがったレンゲの後を追い、戦闘が止んでも追撃しなかったのはこの光景に満足がいったからだろう。焦燥が消え失せたかのように微笑して見せた。
「何故……あのガキの命を奪うほどに生気を絞りとらなかったのだ? 今の貴様を見るに、それほどパワーアップをしたようには思えん。妖怪ならば、たとえ契約相手だろうと自分の利を考えるのが常だろう」
「面白いことを訊くな。気になるか?」
冷静なのは彼女も同じである。初めから焦った様子はなかったが、傷のせいで呼吸が儘ならなかった。しかし、水野の生気を得て傷を自然治癒させ、傷も急速に治っていっている。
彼の思惑に気付きながら、その問いに毅然とした態度で返した。
「貴様も我々と同じ物を欲して、奴の中にあるという確証を得たのではないか。契約する際、人間と妖怪は気によって繋がる。生気と妖気、人間と妖怪それぞれの持つ普段見えない生命力そのものだ。命に触れるもの、それはその者の本質を見ることができるという」
「ああ、確かにオレはあいつの中に面白いもんを見たぜ」
「っ――それはなんだ!?」
食いつきのいい伯爵の期待の沸かせた表情を見て、レンゲは鼻で笑った。
――相当気になるらしい。好奇心旺盛なコウモリだ。
しかし、奴の中にあるのはそんな簡単なものじゃあない。
チビカスの生気――確かにオレも一瞬は全て奪い尽くしてやろうかと思った。なのにあのチビカス、生気を通常の二人分持ってやがった! 興味深過ぎて言葉もない……そんな面白い奴と契約した。あの生物は、オレのものだ!!
「きゃぁぁぁああああ!!!」
レンゲは悲鳴に反応して当該方角を凝視する。すると、水野が地面に倒されていた。
メデューサの顔を見ないようにと瞼を閉ざし、手の出しようがないと諦めるかのように身体から力を抜いた人間の姿があった。
レンゲは焦燥に駆られた。
あいつなにやってんだ!?
「おいチビカス!!」
「貴様の相手が私であることを忘れていないだろうな!」
屋上から大声で水野を呼び掛けると、伯爵が牙をむく。レンゲに襲い掛かり、鋭い爪を突き立てる。
レンゲは、伯爵の両手首を掴んで取っ組み合った。
ちぃ……これじゃあチビカスの下にいけねえ……! もう少し時間がいる。あのチビカスには頑張ってもらわねえと!
「てめえ、自分でなんとかするしかねえぞ!!」
「狐がなにを言ったところで意味はない! あのガキは矮小で力などない。貴様が思い描く『面白いもの』というのは引っ掛かりはするが、それは所詮ガキ共の中での話。外聞や計画抜きに考えれば、あんなガキにできることなどたかが知れている!!」
「オレに唆された経緯はあれ、これはてめえが始めたことだ!」
「まだ言うか! 意味がないと言っているだろうに無駄なことを!」
「責任持って、仲間助けてやれ! てめえの仲間だろうが!!」
「――馬鹿め!!」
「うっ……!」
レンゲの腹部に伯爵の膝が入る。水野に気を取られて隙ができていた。
腹を押さえて崩れる。伯爵は、優越感に浸りながらレンゲの頭を足蹴にした。
「だけど僕には無理なんだ。強くないし、皆の中でいちばん弱い……僕のスキルは……」
レンゲは小さく伯爵には聞こえていない声を狐の耳によって聞いていた。
なに甘えたことを言ってやがる、このクソアホガキが!
くそ……失敗したか。まだ時間がいるのにこのざまだ。これならあのガキの二人分の生気、全部ぶんどって妖気もやらずにいりゃよかったか。まあ、それは半分無理な話だがな……。オレの賭けは負けか。
「はは……」と失笑するレンゲに憤り、伯爵は顔面を蹴飛ばした。
「ウア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!」
水野の叫び声が轟いた。




