始まり
5月4日、みどりの日。一日の半分を寮のベッドで過ごし、映画鑑賞と読書に費やした。特に子供になってしまった名探偵のアニメが面白かった。子供の時からTVでやっているアニメだが一体いつになったら敵の親玉は出てくるのだろうか。そんなことを考えていると、スマートフォンが机の上で震えていることに気づく。手に取ると時刻は17時を回っていた。
「やば、もうこんな時間だ」
そう思い、急いで寝間着を脱ぎすてジーパンとTシャツに着替える。足早に寮を出て自転車で坂を下るとムツキが既に待っていた。
「遅刻ですよ、アオイ」
「ごめんごめん、おまたせー」
ここから上伊良原の高木神社までは自転車で30分ほど。学園の前を通り過ぎ、さらに英彦山の方へ。やがて左手に神社の鳥居が見えてきた。
「おそーい」
声のする方を見ると道の反対側で浴衣姿のマイが笑顔で手を振っていた。少し私のせいで遅刻したけど、怒ってはいなさそう。よかった。自転車を田んぼの脇に停め、マイに続いて高木神社の鳥居をくぐる。国道496号線の脇にある高木神社の狭い境内は、赤い提灯で飾られ、既に奥から笛と太鼓、鐘の音が聞こえてくる。
「おー、お囃子だ」
「神楽は19時からだから、もう少しだけ時間があるね。今は楽器の合わせしてるんかな」
「そう言えば、神楽ってどんなのだっけ?」
「んー? どんなのって言われても説明が難しいけど。まぁ、今年一年の無事と豊作を祈って舞を神様に奉納する、って感じやね。見どころは最初の盆神楽と中盤の御剣神楽、あとは後半に鬼が出たりする」
「アオイ、見てください。綿あめもかき氷も200円ですよ」
「やっす!」
信じられない安さだった。東京の夜店なら安くて500円、高ければ800円、1000円も当たり前なのに。
「うち買ってくるけど、一緒に行く?」
「行く!」
「私も行きます」
夜店で入手したかき氷を食べながら綿あめの列に並んでいると、奥、つまり拝殿の方から、これまでばらばらだったお囃子が大きく、しかも揃って聞こえてきた。
「あ、もう始まりそうやね。行こ」
「うん」
「はい」
綿あめに未練がないと言えば嘘になるが、マイに続いて神社の本殿の上に上がった。本殿の上にはゴザが敷かれ、観客席がどこまでなのか直感的にわかるようになっていた。既に20人ほどがゴザの上に居場所を確保しており、空いていた一番奥の本殿の脇に3人で仲良く陣取った。本殿に続く段上の『めくり』には『盆神楽』の文字。私の視線に気づいたのかマイが解説してくれた。
「始めは盆神楽やね。お米が乗ったお盆を指三本で持ってクルクル回ったり、歩き回ったりするんよ。お米には遠心力が働くから、普通はお盆からお米が飛び出ちゃうんだけど、お盆を傾けてこぼれないように調整するんやね。どんなに激しく動いても全然こぼさん人は見てて『おー』ってなるよ」
「次は散米神楽。盆神楽で清めたお米を、来てくれたみんなに撒くんやね。多分、お清めとか、神様からもらった祝福を皆に配るとか、そんな感じかな」
その後もマイが神楽の演目を丁寧に教えてくれた。この舞にはこんな意味があって、見どころはどこで。マイがいなければ何もわからずただ眺めるだけになったと思う。次々と奉納される演目を目にしながら、めくりの演目が御剣神楽になる。
「この後が御剣神楽やね。前半一番の見どころで、タクも出てくるよ」
「あ、あれタク君じゃないですか?」
「え? どれ?」
「二番目に出てきた人です」
御剣神楽の舞子は4人。大きな剣を持った男子が舞台へと上がり、これまでよりひときわ大きな拍手が観客から起こる。
「御剣神楽の見どころは何と言ってもあの剣やね。邪を払うみたいな意味やと思うけど、舞を舞いながらあの剣を持ってアクロバットな動きをするんよ。たまにお客さんに突っ込むけど」
「え? まじ?」
「たまにね。あ、ほらそろそろ飛ぶよ」
一人目の舞子が剣を右下に構えながら、勢いをつけた剣を持っていない方の手で側転を決める。周囲から拍手が起こり、それにならって私も拍手をした。
次はタクの番だ。剣を肩に掛けたまま、タクの上半身が軽く沈む。技の名前は知っていた。伸身の後方宙返り。普通の中学生ができる技ではないと思う。相当に練習したのだろう。胸を起点として体が浮き上がるように、綺麗な円を描くように回転する。
――ゴキッ。
ドン、という音と共にタクが横転して床に尻もちをついた。咄嗟に手を付こうとするが、利き腕の右手には剣を持っており、勢いを殺せず壁に打ち付けられる。
「キャーー―――!!」
「うわ。おい、大丈夫かタク坊!」
悲鳴の原因は明らかだった。タクの右足は太ももの真ん中ちょっと下辺りから綺麗に90度折れ曲がっている。「うぅっ」とうめき声をあげるタク。マイがすぐに駆け寄る。すぐ目の前だったが、咄嗟のことに私は動けなかった。お囃子が止まり、拝殿の上はどよめきで騒然となる。
「タク!大丈夫!?」
「おい、誰か車を出せる奴……。いや、救急車だ!あと誰でもいい、尾形さんとこに連絡を入れてくれ!」
責任者の人だろう。そう言いながら、タクの上半身を抱えようとする。
「マイちゃん! タクをここに置いとくわけにはいかん。すまんが折れた足を持ってやってくれるかい」
「え? あ、は、はい!」
同じ御剣神楽を舞っていた仲間と出てきた大人たちが、慌ただしくタクを抱えて舞台の袖に運んでいく。タクの折れた足を持ち上げたマイの顔は青ざめ、表情は引きつっていた。
騒然とした神社の拝殿――。集まった人全員が、戸惑いの表情を浮かべていた。しばらくして袖からタクの上半身を抱えていたおじさんが現れる。
「大変もうしわけありません。本日の神楽は15分後に再開します!」
どうやら舞子が1人減った状態で、継続するらしい。タク1人減っても大丈夫なのだろうか。そんな考えが一瞬浮かぶが、横転したタクの苦痛の表情、折れ曲がった足。頭の奥ではタクの姿がリピートされていた。
「アオイ、帰りませんか?」
「あ、うん。そうだね」
アオイの提案にうなずき、帰り支度をする。タクが神楽を舞うのを見に来たのに、誘ってくれたマイも肝心のタクも居なくなってしまった。いや、あんなタクの姿を見た後に、神楽を楽しむ気分にはとてもなれなかったと言ったほうがいいと思う。
ムツキと共に神社の境内を出て鳥居をくぐろうとしたその時、肩がぶつかりそうな距離で全身白い服を来た少年とすれ違った。何と形容すれば良いのかわからないが、胸の辺りにふさふさした飾りの付いた服。無表情で右手にたくさん輪っかが付いた金属製の杖を持っている。昔ドラマか映画か何かで見たことがある衣装だと思った。
『気をつけた方がいい』
すぐ後ろから、しかも耳元で小さな声でささやいたような声が聞こえた。振り向くとそこには先程まで神楽が奉納されていた神社の鳥居と拝殿。本殿の上には月が出ている。横には同じように振り向いたムツキの姿。
少年の姿はどこにもなかった。




