護り
「さて、君たちの話を聞いて、2つほどお願いがあるのだけど……。その前に今の谷の状況を伝えておきたいんだ。こっちに来てもらえるかな」
そう言って御神木から少し離れ、社があった方へと歩いていく。開けた地面があり、そこに持っていた錫杖でガリガリと何かを書き始めた。小さな丸とそこから一直線に伸びた線。あとはジグザグとした線、何だろう。海岸線だろうか。
「地図?」
「そう。ここが英彦山。で、祓川は英彦山を起点に南から北へ、多少の蛇行はあるものの、ほぼ一直線に豊前海に流れ込んでいる」
「ブゼン海……?」
「今は福岡県だけど、昔この辺りは豊前って呼ばれてたんだよ。豊前海は豊前の国に面する海」
聞いたことのない言葉に反応し、それを教えてくれたのはアサノ君だった。
「その通り。そして、この英彦山から一直線に伸びた祓川は昔から暴れ川として有名でさ。何しろ、雨が降ればすぐに氾濫するし、地崩れも度々。川で泳いでいると、上流から鹿やイノシシ、時には人まで流れてくるなんてことも日常茶飯事だったらしい。ちょっと流れの速いところに足を踏み込もうなら、足をすくわれてあっと言う間に海まで直行、流れてきた者たちの仲間入り。そういう川だったのさ」
「うへぇ……」
思わず声が漏れた。川で泳いでいたら、背中にどんと何かがぶつかって、振り向くと――。そこまで想像して、慌てて頭を振る。
「で、今はお祓いをして、祓川って呼ばれている」
「お祓い……」
「お祓いをしなければ、危ない川だったということでしょうか」
疑問を声に出した私に続き、ムツキが静かに尋ねた。
「そう。もともとこの谷はちゃんと対策をしなければ祟りが起きる。と、そう聞いている」
「祟り……って何が起こるんですか?」
「わからない。あまりに古い話だから。僕も先代から聞いたことがあるってだけで、見るのは初めてなんだ」
「あの、今、村で起きているのは祟りなんですか?」
「どうだろうね。どちらかというと祟りの前兆と言ったほうがいいのかもしれないけど。そして、みんなに話しておきたかったのはまさにそこさ。この谷にはかつてお祓いをした時のまじないが残っている。そうだな、とりあえず『土の護り』と『木の護り』とでも呼んでおこうか。そしてその2つの護りが歪んでいるんじゃないか、と僕は思っているわけさ」
「2つの護り……」
川の線に横棒を書き加える。何のマークだろう。
「古い考え方に五行というものがあり、そのひとつに土剋水という考え方がある。『土を以て水に克つ』という意味になるかな。水の流れが速い原因は簡単で、水は高いところから低いところへ流れていく。途中、大きく蛇行していれば水の勢いは殺されるが、祓川は見ての通りほぼ一直線だ。高いところから低いところへどんどん流れが速くなるわけさ」
小さい頃、公園の砂場で山を作って、上から水を流して遊んだことを思い出した。真っ直ぐな溝を掘ると、水はあっという間に麓まで駆け下りた。くねくねと曲げた溝のほうが、水はゆっくり流れていった気がする。
「では、どうすればいいと思う?」
「川を曲げればいい……?」
思いついたままに答える。
「その通りだけど、川を曲げるのは人の手では難しいだろうね」
少し考えるような間があって、アサノ君が口を開いた。
「堰を作る。流れてくる水は一旦堰で止まるから、水の流れはそこでリセットされる。あとは、仮に誰か流されても堰で止まるので、危険が減る……とか」
「正解。堰を作れば良い」
楢彦は、川の線を横切るように、短い横棒を一本、また一本と書き加えていった。さっきから描いていたあの印は、これだったのだ。
「でも、どこの川にも堰はあるんじゃ……」
「そう。どこの川にも堰はある。けれど、この谷の堰の数は異常だ。普通の川だと平均して500mにひとつ、多くても300mにひとつくらいだけど、伊良原は200mにひとつ、混み合ってるところは100mにひとつなんて場所もある」
横棒が、線の上にびっしりと並んでいく。まるで川に縫い目を入れているみたいだった。
「つまり、土を使って水の流れを殺してきたわけだ。そして、この『土の護り』を管理するために、鷹窟大権現が置かれている」
鷹窟大権現。アサノ君が教えてくれた、伊良原の4つの神社のひとつだ。ダムの範囲から外れていたから、今も昔のまま残っている、と言っていた。
「ただ、まぁ。それだけでは、この谷の川は治まらなかったわけだ。……そして、もう一つ『木の護り』が施された」
「ひょっとして……、それがこの高木神社でしょうか?」
楢彦はムツキの問いに頷く。
「そう。水生木という考え方がある。『水を以て木を生ず』という意味だけど、木が育つためには水が必要だ。逆を言えば、木を育てれば水は消費され、川を流れる水の量が減るというわけだね。そして、『木の護り』を管理するために高木神社を置いた」
錫杖の先が、川の線の両側に、ひとつずつ点を打つ。
「そして、社は川を挟んで東西に配置され、川を睨みつけるように向かい合って建っている。いや、建っていた……、かな」
楢彦は2つの点から川に向けて2つ矢印を書き込んだが、上伊良原の神社から伸びた矢印をすぐに消してしまう。新たに書き加えられた矢印は、南を向いており、下伊良原の社からそっぽを向いている。
「伊良原ダムですね」
ポツリとつぶやいたのはムツキだ。以前アサノ君が話してくれたのを思い出す。去年伊良原ダムが完成し、2つの神社はダムに水没する地域にあったので移築することになった、とそう言っていた。
そしてふと思った。
「そういえば……今の上伊良原の神社って、南を向いてたかも」
「その通り。今、上伊良原の高木神社は社殿が南を向いているんだ。そしてもうひとつ、こちらのほうが大きな問題かもしれない……」
「僕は社の向きではなく、移転した高木神社に大きな御神木がないのが問題なのかも。と考えてました」
「うん、御神木に問題があるという意味では正解かな。上伊良原と下伊良原、2つの神社の高木神は、代々この川の力を抑えるための要として働いてきたのだけど、古い御神木から新しい御神木に移行する際の作法が間違っている」
「作法……?」
「古来、この英彦山では、御神木が変わる際、修験者達の手によって古い御神木から新しい御神木に接木をしてきた。『木を接ぐ』という行為は、『気を接ぐ』に繋がる。つまり古いものから力を引き継ぐという意味があるんだね。でも、今ある2つの神社の御神木に接木はされなかった。あれでは、しめ縄が掛けられただけのただの木さ」
「どうしてダムの移転の時に、接木をしなかったのかな……」
「あ、若松さんが『英彦山の修験は滅んでしまった』って言ってたよね。だから、接木をしないと、って思う修験者がそもそもいない。とか?」
なるほど、そうか。修験者が1人もいなくなった今、修験の風習を引き継ぐ人も誰一人いないのか。
「たぶん、それが原因だろう。長い間、行者を見ることもなかったから」
「では、『土の護り』と『木の護り』を修復すれば、この異変は治まるということでしょうか」
「僕にも経験がないから、多分、としかいいようがないけどね。今も護りが生きているのかは、管理者に聞く他ないだろう。ダムに沈んだ堰が未だに有効なのか、わからないしね。『土の護り』に関しては鷹窟の爺様に。『木の護り』に関しては銀杏姫なら分かるはずさ」
錫杖に付いた土を払い落としながら、楢彦がこちらを見る。
「というわけで、君たちにお願いしたいことがある。2つの護りが今も正常に機能しているのか、確認して来てほしいんだ。1人は鷹窟大権現にいる鷹窟の爺様。1人は下伊良原の高木神社にいる銀杏姫。2人に会えば教えてくれるだろう」




