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王宮でのあの地獄のような御前会議から、わずか二日後の早朝。
私は、王都のドロドロとした人間関係と人混みの空気から完全に離脱し、エッカルト公爵家が所有する最上級の避暑地――エメラルド領の極上別荘にいた。
「ああ……セリア……! 国のために大切な婚約を諦め、心に深い傷を負った我が愛しき娘よ……! 別荘で気が済むまで羽を伸ばすがいい! 必要なものがあれば何でも言いなさい!」
王都を出発する際、父アゼル公爵は涙で顔をグショグショに濡らしながら、私の両手を固く握りしめてそう言った。
あまりの熱量に引きつつも、私は前世で培った「哀切と健気さを三対七の黄金比で混ぜ合わせた完璧な表情」を作り、静かに頷いてみせたものだ。
「お父様、ありがとうございますわ。わたくし、少しだけ静かな場所で心を休めてまいります。……殿下のお幸せを、遠くから祈りながら」
(『心の傷を癒すための療養』という名目の無期限有給休暇ゲット!! しかも予算上限なし!! 最高かよ!!)
そうして手に入れた、念願のソロ活ライフ。
現在、私は別荘の広大な庭と言う名の高原に設置した特注のサンラウンジャーの上で、至高の時間を噛み締めていた。
私がいま身体を預けているのは、この国の最高級の木材と柔らかな高級シルクのクッションで再現させた特注品だ。角度調整も自在で、腰への負担が一切かからない、オーダーメイド設計(前世の知識で職人に指示して作らせた)。
その上には、直射日光を遮る特大のパラソルが開いている。
右手にあるサイドテーブルには、一緒に来てもらった専属シェフが極上の南国フルーツを絞って作った、冷えたストロベリーカクテルと様々なケーキが置かれていた。
「……ふぅーーーーーっ。最高。控えめに言って天国」
ストロベリーカクテルを手に取る。
視界を満たすのは、深紅のルビーを溶かし込んだかのような、鮮烈にして気品ある色彩。豊潤な完熟苺のエッセンスが、美しく結晶化した一杯だった。
グラスに鼻を近づければ、摘みたてのような苺が持つ無垢な甘酸っぱさと、リキュールの上品なアルコール感が完璧な調和を保ちながら立ち上ってくる。グラスの縁に飾られた一粒の苺は、まるでベルベットのドレスを纏った貴婦人のごとく、凛とした姿で佇んでいた。
一口含めば、ヴェルヴェットのように滑らかなテクスチャーが舌を包み込む。
際立つのは、単なる甘味にとどまらない「酸味の芸術」。苺本来が持つ瑞々しい果汁の躍動感を、選び抜かれたベーススピリッツが静かに引き立て、味覚の深淵へと導いていく。
杯を傾け、その一滴が唇を濡らした瞬間、凝縮された苺の生命力が鮮烈に口の中に余すことなく弾けていく。
口内に広がるのは、単に「甘い」という言葉では片付けられない、大自然の恵みがもたらす圧倒的なフレッシュ感。もぎたてのような果肉を今まさに噛み締め、瑞々しく濃厚な果汁が舌の上を優しく支配していく。
ベースの美酒と一体化したその甘みは、決してくどさを残さず、ベルベットのように気高く滑らか。味覚のすべての細胞が目覚めるような、華々しい幕開けだった。
アルコールの温もりとともに、苺の華やかな香気とスピリッツの複雑なニュアンスが一体となり、豊かに鼻腔へと抜けていく。その余韻は驚くほど長く、幻想的。グラスを置いた後もなお、胸の奥に心地よい陶酔の余韻を残し、「もうひと口」を誘う抗いがたい魅力を放ち続けている。まさに、消え去る瞬間まで完璧に計算された、美しき余韻。
余韻収まらぬまま手を伸ばしたのは、芳醇なマスカットのコンポートとフロマージュブランの冷製パルフェ仕立て。
この洗練を極めたデザートは、圧巻の一言だった。ケーキではない。まさに宝石だ。
まずはトップに飾られたマスカットのコンポートから。
口に含んだ瞬間、パンッと皮が弾ける心地よい歯ごたえとともに、信じられないほど豊潤な果汁が口一杯に溢れ出す。完全に火を通すのではなく、絶妙な低温でコンポートにされているため、フレッシュな酸味と、上品な白ワインを思わせる高貴な香りが鼻腔をまっすぐに抜けくる。
続いて、純白のフロマージュブランの層へとスプーンを進める。
このフロマージュブランがじつに見事だった。空気を含んだように軽やかで淡雪のような口溶けでありながら、ミルクのコクとほのかな酸味がしっかりとした輪郭を持っていた。
マスカットの濃厚な甘みに対し、フロマージュブランの爽やかな酸味が完璧なカウンターパートとなっていた。重なることでお互いのポテンシャルを引き上げ、決して甘ったるさを残さない。まさに計算し尽くされたマリアージュ。底に忍ばされたジュレのひんやりとした冷涼感が、全体の輪郭をキリッと引き締め、最後の一口まで驚くほど軽やかにエスコートを逃さない。もはや一口食べ終わる頃には、虜になっていた。
堪らず、アッカディア産クリームチーズのテリーヌ。シュトロイゼルと赤いベリーのソースケーキにも手を伸ばす。
前世のマンションの部屋で一人でペットと一緒に過ごしていたあの時間も、決して悪くはなかった。しかし、本物の金と権力が合わさったソロ活は、次元がまるで違った。
世の中には、一切の他者を排除し、完全な無人地帯で一人で過ごすことを至高とする完ソロ派が存在する。しかし私は違う。私は準ソロ派だ。
なぜなら、完璧な無人環境というのは、実は死ぬほど不便だからだ。
料理も、掃除も、洗濯も、果ては防犯や薪割りまで、全部自分でやらなければならない。それじゃただのサバイバルだ。前世で家事に追われ、休日の貴重な時間を失っていた社畜の私からすれば、そんなものはソロ活ではなく「無給の労働」である。
私の理想とするソロ活とは、「煩わしい人間関係や感情の押し付け合いを一切排除しつつ、プロフェッショナリズムに基づいた快適なサービスを享受する状態」なのだ。
つまり、優秀な使用人や護衛が周りにいたとしても、彼らが私に「精神的コスト(気遣いや無駄な会話)」を要求せず、ただ空気のように快適な環境を提供してくれるのであれば、それは極上のソロ活と言える。
その理想を実現するために、私は今回の「療養」にあたり、同行するスタッフを極限まで厳選した。
まず、メイド。
あまり話したことのない使用人たちはすべて遠ざけ、私が連れてきたのは、専属メイドのアンナ「ただ一人」である。
理由は単純だ。
どこの馬の骨とも知れないメイドに、毒でも盛られたら堪ったものではないからだ。
貴族社会の暗闘において、「療養先の別荘で謎の急死」なんていうのは定番中の定番である。せっかく手に入れた自由な人生を、そんな録画で日課に見ていたサスペンスドラマみたいな理由で終わらせては、たまらない。
その点、アンナは、言うまでなく完璧だ。
彼女は私が前世の記憶を取り戻して以来、徹底的な人間観察と適度な「優しさの小出し(前世の労務管理スキル)」によって、私に対して狂信的なまでの忠誠心を抱いている。元からあったものが、さらに研ぎ澄まされている。
「セリア様……! 数ある使用人の中から、このアンナただ一人をお供に選んでくださるなんて……! 私、感動で胸が破裂しそうです! セリア様の療養は、このアンナが命に代えてもお守りいたしますわ!!」
出発前、私の足元にひれ伏して感涙にむせんでいたアンナの姿が思い出される。
(重い重い。重愛がすごいけど、毒殺リスクがゼロになるならお安い御用だわ。他人の毒味を信用するくらいなら、私に心酔してる人に任せるのが一番安全)
さらに言えば、アンナは非常に「御しやすい」。
私が「アンナ、私は今、静かに心と身体を休めたいの。必要がない限り、声をかけずに黙っていてくださる?」と言えば、彼女は「ハッ……!申し訳ございません!セリア様の安らぎを妨げる愚行致しません!」と息を呑み、即座に口を密閉する。
静かにしろと言えば、本当に息を殺して一言も喋らない。




