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王太子ユリウスと、その「真実の愛」のお相手であるエレナ・マロン男爵令嬢。
彼らが大々的に不倫未遂宣言(まだ婚約中だから厳密には不倫ではないが、道義的には完全にアウトだ)をしてから数日。
私は、エッカルト公爵家の自室のデスクに張り付き、鬼のような形相で羽ペンを走らせていた。
机の上には、王家に関する歴史書、法学の分厚い専門書、王都の最新トレンドをまとめた雑誌(自分の休憩用)、そして大量の羊皮紙が山積みになっている。
「ええと、ここはこの図解を入れた方が視覚的に分かりやすいわね。王家主催の茶会における席次プロトコルは、マトリクス図にして……。あー、もう、羽ペンってなんて非効率なの!? 毎回毎回、インクをつけるって鬱陶しい。Excelとパワポ、ボールペンを寄越せ!!」
(マジで肩凝る。ていうか、なんで私、赤の他人の女のために、こんな懇切丁寧な『王妃教育マニュアル・完全版(初心者向け)』なんて作ってやってるのかしら……。前世で新入社員向けに作った業務マニュアル作成を思い出すわ。あの時もアホみたいに工数かかったのに、誰も読まねえし! コースター代りで、マグカップのコーヒーのシミができてたし)
そう、私が今、血反吐を吐く思いで作成しているのは、エレナ・マロン男爵令嬢に送りつけるための「王妃になるための基礎知識・完全網羅セット」である。
なぜそんな親切をするのかは、決まっている。「外堀を完全に埋めるため」だ。ただ、予想以上に、この羽根ペンのせいで時間がかかってしまっているのだ。
エレナが王妃に相応しくない、礼儀作法も知らない令嬢のままであれば、周囲の貴族たちは「あんな小娘に王妃は務まらない。やはり完璧な公爵令嬢であるセリア様でなければ」と、無駄な引き留め工作を始めてしまう。現に、噂に尾ひれがついている。貴族の噂好きは知っていたが、予想以上である。他にやることがないのだろうか。
兎に角、それでは困るのだ。私の「婚約破棄されて、悠々自適な、お一人様ライフを満喫する」というグランドプランが崩れてしまう。
だから私は、前世と今世で培った知識を総動員し、「猫でもわかる王太子妃教育マニュアル」を作成しているのである。これさえあれば、あの脳内お花畑なエレナでも、最低限の「王太子妃のガワ」を被ることができる。誰にも文句は言わせない。
「セリア様……あまりご無理をなさらないでくださいませ。あのような泥棒猫のために、セリア様が貴重なお時間を割くなど……」
お茶を淹れに来た専属メイドのアンナが、涙ぐみながら言った。彼女の目には、私が「婚約者の浮気相手のために、健気にも教育係を買って出ている淑女」に映っているらしい。
私は羽ペンを置き、ふうっと儚げなため息をついてみせた。
「アンナ、心配をかけてごめんなさいね。でも、これはエッカルト公爵令嬢としての私の義務なの。ユリウス殿下が選んだ方なのだから、エレナ様にはそれ相応の淑女になっていただかなくては。殿下の御顔に泥を塗るようなことがあってはならないわ」
(あんなバカ女のために時間割くのはマジで腹立つけど、これは私の未来の為の『先行投資』だ。ここで彼女を教育(という名の精神的タコ殴り)しておけば、後々の面倒ごとが減る。というか、マニュアルだけ送りつけて実務はスパルタで有名な家庭教師に丸投げするから、私が直接教える気は1ミリもない。資金も出す。後から、グチグチと面倒ごとが出て、ストレスと時間を取られないようにする必要コストだ)
「ああっ……セリア様、なんとお優しい……!」
アンナは感動に咽び泣きながら部屋を出て行った。よしよし、これで屋敷内の使用人世論調査も「セリア様=悲劇の令嬢」で固まったわね。
マニュアル作成をあらかた終えた私は、次なるミッションへと移行した。
これこそが、私の計画の要である。
それは「合法的かつ、実家(公爵家)に莫大な利益(父親の承諾)をもたらす婚約破棄スキームの構築」だ。
通常、貴族間での理不尽な婚約破棄には、莫大な違約金が発生する。今回は王家だから天文学的なお金になる。
しかし、それを王家の金庫(王室費)から支払わせれば、「王子がワガママで婚約破棄したせいで王室の財政が傾いた」と大スキャンダルになり、保守派の貴族たちが猛反発するだろう。
面倒な連中に反対されると、婚約破棄の手続きが長引く。最悪の場合、「やはり政略結婚は維持すべき」という流れになりかねない。なにより、ただ、政敵を増やして終わりという、無駄どころか、完全な失策投資になりかねない。
だから私は、前世で培ったビジネスと法務の知識を使って、「裏技」を探すことにした。
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エッカルト公爵家が誇る、巨大な図書館のような大書庫。
私はそこに、我が家が抱える専属の敏腕弁護士と、最高学府の法学派の教授(家庭教師として雇っている)を呼び寄せていた。
「セリア様、お呼びでしょうか。本日はどのようなご用命で?」
白髪交じりの弁護士が、うやうやしく頭を下げる。
「急に呼び立てて申し訳ありませんわね。実は……国の歴史と法律について、少し深く学びたくなりまして」
私は完璧な令嬢スマイルを浮かべながら、分厚い法典の山をポンと叩いた。
しばらく大書庫に籠もり、彼らと共に法典の山を精査していた私は、やがてあるページに指を止め、候補になりそうな法の名を口にした。
「約100数年前の隣国との大戦時に制定された『戦時国家補償法』。……これは現在、廃止されていますの?」
法学の教授が目を丸くした。
「戦時国家補償法、ですか? いやはや、セリア様は随分と深いところを突かれますな。ええ、あの法律は約百年前辺りに作られた後、正式な廃止手続きが取られないまま、現在も形だけは残っております。いわゆる『死法』というやつですな」
(キタキタキタァァ!! 『死法』!! これよこれ! ようやく見つけたわ。前世でも保険やコンプライアンスの隙間を突く時によくお世話になったやつ!! 古い法律がそのまま放置されてるの、異世界でも同じなんだな!ちょろい行政の怠慢にバンザイ!!)
私は内心で万歳を決めながら、表情はあくまで真剣な向学心を装った。
「まあ、廃止されていないのですね。実は、この法律が実際に適用された『判例(実例)』に興味がありますの。国家が個人の財産を国防のために徴用し、補償金を支払ったケース。……過去に最低でも3件、類似の判例を見つけ出してくださる?」
「3件、ですか。探せばあるとは思いますが……なぜそのようなものを?」
「あら、我が家は代々、国の財政を担う家柄。過去の法運用を学ぶことは、決して無駄にはならないと思いまして。……それに、今後の『法意見書』の作成のためにも、しっかりとしたエビデンス(証拠)が必要ですもの」
私はニコリと微笑んだ。
弁護士と教授は「さすがは公爵令嬢、将来の財務卿の右腕としての自覚が素晴らしい」と勝手に(建前だろうなんだろうと兎に角)解釈し、すぐに古文書の山へと飛び込んでいった。




