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しかし、さっきからとんでもなくコルセットがきつい。
自分の為ならまだしも、なぜ興味もない人達の視線を気にして、自分の体にムチを打たねばならないのか。
どこかでこっそりと従者に命令して、コルセットを緩めてもらおう。
そもそもこのド派手で趣味の悪いドレスが重すぎるのが原因かもしれない。
屋敷に帰ったら、まずは軽量で悪趣味でないドレスを探して……。
「……セリア」
その時、不意に背後から、よく通る涼やかな男の声がした。
周囲の空気が一変する。先ほどまで私を取り囲んで囀っていた令嬢たちが、一斉に頬を赤らめ、うっとりとしたため息を漏らしながら道を空けた。
振り返るとそこには、眩しいほどの金髪に、サファイアのように澄んだ青い瞳を持った、絵に描いたような美青年が立っていた。
豪華な王家の紋章が入った礼服を見事に着こなし、その整った顔立ちには、どこか冷ややかで傲慢な光が宿っている。
この国の第一王子にして王太子。そして、私の婚約者であるユリウス・フォン・グランツである。
(うわぁ……出たわよ、顔面偏差値だけが取り柄の歩く自己愛性パーソナリティ障害。今日も無駄にキラキラしやがって……いえ、本当にラメでも舞っているの? 流石ファンタジー。なんでもありね。ていうかなんでまた話しかけてくんだよ、記憶では社交辞令はもう済ませてある。お前絶対私のこと嫌いじゃん。私もお前のこと大っ嫌いなんだけど。あー、早く帰って寝間着に着替えてベッドでゴロゴロしながら本でも読みたい。でも可愛いペットがいるならいくつか探して……)
内心の猛毒を分厚いオブラート――鋼鉄の金庫に閉じ込め、私は流れるような優雅な動作でカーテシー(淑女の礼)を行った。ドレスの裾の広がり方から、頭を下げる角度まで、ミリ単位で調整された完璧な所作である。
「ごきげんよう、ユリウス殿下。今宵も殿下の輝かしいお姿を拝見でき、大変嬉しく存じますわ(2回目だけど)」
私が顔を上げ、百点満点の営業スマイルを向けると、ユリウス王太子は微かに眉根を寄せた。彼はいつも、私のこの完璧な対応を見るとなぜか不機嫌そうに目を細めるのだ。
「……まったく相変わらず、人形のように隙のない挨拶だな、セリア。友人の前でくらい、少し心を緩めても構わないんだぞ」
「もったいないお言葉ですわ。殿下の心遣いに感謝致します。私は常々、殿下の婚約者として、恥じぬ振る舞いを心がけております故(※隙を見せたらお前みたいに面倒な奴が絡んでくるから防衛してんだよ、察しろ)」
ユリウスはふいと視線を外し、手元のグラスを見つめながら、氷のように冷たい声で言った。
「まあ、なんだ……。勘違いするなよ。この婚約は、あくまで王家と公爵家の政治的な結びつきに過ぎない。俺はお前を愛することはないし、お前も俺に無駄な期待を抱くな。俺には……他に心に決めた女性がいるのだからな」
周囲の空気が凍りついた。
聞き耳を立てていた令嬢たちが、息を呑む音が聞こえる。
王太子が、公衆の面前で堂々と婚約者に対して「お前を愛さない」「他に好きな女がいる」と宣言したのだ。普通の令嬢であれば、顔面蒼白になり、涙を流して崩れ落ちるか、嫉妬に狂って取り乱す場面だろう。これは由々しき事態、公爵家に対する侮辱と受け取られてもおかしくない。
だが、私は違った。
私の心の中に湧き上がった感情は、悲しみでも怒りでもなく、純粋な「歓喜」と「安堵」だった。
(よっしゃあああああああ!!!! 言質取ったぁぁぁ!!! 『愛さない』『無駄な期待を抱くな』 ありがとうございまーす!! これで心置きなくお前を放置できるわ!! ていうか他に女がいる? 最高じゃん! そっちにずっと構ってていてくれよ! なんなら今すぐ婚約破棄してくれてもいいんだぞ? 慰謝料ふんだくって田舎の領地で悠々自適のスローライフを満喫しても悪くない!!)
脳内で踊り狂いながらも、私の表情筋は一切のブレを見せなかった。
一流の営業マンは、クライアントからの突然の契約打ち切り宣告(しかも理不尽な理由)にも、決して顔色を変えない。むしろ、それを逆手にとって自社の不利益を最小限に抑えるリスクマネジメントへと瞬時に移行するのだ。
私は伏し目がちに、だが凛とした態度で静かに口を開いた。
「……殿下のおおせの通りでございます」
「なに?」
予想外のあっさりとした肯定に、ユリウスが怪訝そうな声を漏らす。
「わたくしたちの婚約は、あくまで家と家とを繋ぐためのもの。そこに個人の感情を持ち込むなど、為政者に連なる者としてあってはならないことと、わたくしも常々心得ておりました。殿下のお心がどこにあろうと、わたくしはエッカルト公爵令嬢としての責務を果たすのみ。殿下の御心を煩わせるような真似は、決して致しませんわ」
(仕事上の付き合いなんだから互いにプライベートには干渉しない。不可侵条約の締結。お前はお前の好きな女と勝手にイチャついてろ。私は私の平和なソロ活を守る。以上だ)
一切の未練も、悲哀も、嫌味も感じさせない、ただひたすらに「プロフェッショナルな婚約者」としての完璧な回答。
それを聞いたユリウスは、なぜか目を見開き、言葉に詰まった。
「お、お前……本当に、それでいいのか? 俺が他の女を愛していても、何も思わないと……?」
「ええ。殿下のお幸せこそが、我が公爵家の、ひいてはこの国の安寧に繋がりますもの(※知るかよ。お前が誰と付き合おうが、一切興味ないわ。愛着のないこんな国どうでもいい)」
完璧な微笑み(営業用・慈愛バージョン)を浮かべる私を見て、ユリウスは何か言い返そうと口を金魚のようにパクパクさせたが、結局何も言えずに、バツの悪そうな顔で踵を返した。
そういえば、玄関に置いていた水槽の熱帯魚。今頃どうなっているのだろうか。
周囲の令嬢たちは、「なんという立派な心がけ」「王太子の冷酷な言葉にも耐える健気なセリア様」と、勝手に私を悲劇のヒロインに仕立て上げて感極まっている。
────
夜会もそこそこ無事に終わり、エッカルト公爵家の馬車に揺られながら帰路につく。
同乗している専属メイドのアンナが、ハンカチで目元を拭いながら私に話しかけてきた。
「セリア様……あのようなひどい言葉を投げかけられて、お辛かったでしょう。ご無理をなさらないでくださいませ。私がいっそ、殿下に文句を言ってやりたいくらいです!」
「ありがとう、アンナ。でも平気よ。私は公爵令嬢ですもの。これくらい耐えてみせますわ」
(余計なことすんなよ。社交界はすぐ噂話が広がるから厄介だ。そして1ミリも辛くない。むしろボーナスで心の中でガッツポーズ)
窓の外に流れる王都の大したことない夜景を眺めながら、私は密かにふうっと息を吐いた。
ドレスのコルセットが肋骨を締め付けて息苦しい。早く家に帰って、この忌まわしい拘束具を叩き切りたい。そして、厨房からこっそりくすねる料理を齧りながら、ドレスやアクセサリー、魔導具のカタログでも読もう。
私の目的はただ一つ。
この面倒くさすぎる異世界で、誰にも心を開かず、誰にも依存せず、完璧な公爵令嬢という「無敵の盾」を被ったまま、誰にも干渉されない圧倒的な自由と生活を手に入れること。
恋愛? 友情? 信頼?
そんなものは、排除アートに頭をぶつけて死んだ瞬間に、前世の駅のホームに全部置いてきた。
「さて……明日は、お父様のご機嫌取りの報告会ね。適当に資料(話題)の準備をしておかないと」
前世の社畜根性と、今世の圧倒的な権力。
この二つをフル活用して、私は必ずこの世界で、最強の「おひとりさまライフ」を掴み取ってみせる。
そのためなら、どんなにゲスな本心を抱えていようとも、私はいつだって完璧に、美しく微笑み続けるのだ。




