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影縫う剣と蒼き城の執事  作者: わまたよ


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第五部 第十二話――学ぶということ

ファルカは、息を殺して立っていた。


首都ヴァルアスの夜は、昼間よりも冷える。

それは気温のせいだけではなく、

人の感情が沈殿し、

言葉にされなかった悪意が空気に混ざっているからだ。


屋敷の中に足を踏み入れた瞬間、

彼はそれを、肌で理解していた。


倒れている男たち。

床に転がる椅子。

乱れた書類と、微かに焦げた魔力の残滓。


そして――

その中心に立つ、椎名の背中。


いつもと同じ、落ち着いた姿勢。

いつもと同じ、丁寧な佇まい。

だが、どこかが違う。


ファルカは、言葉にできない違和感を抱えたまま、

ゆっくりと息を吸った。


「……お疲れさまでございます」


椎名の声は、穏やかだった。


まるで、

庭の手入れが終わった後にかけられる一言のように。


だが、

その足元には、人が倒れている。


「……し、師匠」


ファルカの声は、思ったよりも震えていた。


椎名は振り返り、

彼の表情を一目見ると、

すべてを察したように、ほんの少しだけ目を細めた。


「驚かせてしまいましたか」


「……はい」


正直な答えだった。


椎名は、

倒れている男たちに視線を落とし、

一人一人を確認するように見てから、静かに言った。


「全員、生きております。

 少々、眠っていただいているだけでございます」


ファルカは、

それでも胸の奥がざわつくのを止められなかった。


生きている。

だが――

これは、戦いだ。


「……ここは……」


「中立公国の中で、

 中立を壊そうとした方々の、集会所の一つでございます」


その言い方は、

あまりにも淡々としていた。


ファルカは、拳を握りしめる。


「……悪い人、たちなんですか」


椎名は、すぐには答えなかった。


代わりに、

椅子を一つ引き、

ファルカの前に置いた。


「お座りなさい」


言葉は柔らかいが、

拒否を許さない声音だった。


ファルカは、言われるまま腰を下ろす。


椎名は、その向かいに立ったまま、

ゆっくりと話し始めた。


「“悪い人”という言葉は、

 時に、とても便利でございます」


「……便利?」


「はい。

 悪い人、と決めてしまえば、

 考えずに済むからでございます」


椎名は、机の上の書類を一枚取り上げ、

ファルカに見せた。


「この方々は、

 金のために動いております。

 あるいは、

 失った地位を取り戻すため。

 もしくは、

 誰かに利用されているだけかもしれません」


ファルカは、文字を追いながら、

眉をひそめた。


「……でも、

 戦争を起こそうとしてる」


「ええ」


椎名は、はっきりと頷いた。


「中立公国が揺らげば、

 人族同士の戦争は、より大きくなります。

 そうなれば、

 死ぬのは、剣を持たぬ人々でございます」


ファルカの胸が、

ぎゅっと締め付けられる。


「……だから……」


「だから、止めます」


その言葉は、短く、重かった。


椎名は、ファルカの目を、真正面から見つめる。


「戦争を止めるために、

 誰かを殺すことは、簡単でございます」


ファルカの心臓が、跳ねた。


「……でも、それは――」


「はい。

 それは、“戦争のやり方”でございます」


椎名は、静かに首を振る。


「わたくしが行っているのは、

 戦争ではございません」


一歩、近づく。


「戦争になる前に、

 “戦争を始めようとする手”を、

 取り除いているだけでございます」


ファルカは、言葉を失った。


それは、

正義でも、

英雄譚でも、

ましてや、

剣を振るう理由としては、あまりに静かだった。


「……師匠は……怖くないんですか」


絞り出すような問い。


椎名は、ほんの少しだけ、

困ったように微笑んだ。


「怖い、という感情は、

 ございますよ」


「……あるんだ」


「はい」


椎名は、天井を見上げる。


「かつて、

 わたくしは、

 守るべきものを守れませんでした」


その声は、

今までで一番、静かだった。


「だからこそ、

 同じ後悔を、

 この世界では、繰り返したくないのでございます」


ファルカは、

椎名の背中を見つめる。


そこに、

英雄の影はなかった。


ただ、

何かを失い、

それでも歩き続ける人間の背中があった。


「……僕、

 これからも……

 師匠のそばに、いていいですか」


椎名は、振り返った。


その目は、

いつも通り、優しかった。


「もちろんでございます」


そして、

ほんの一拍置いて、続ける。


「ただし――

 目を逸らさない覚悟は、

 必要でございますよ」


ファルカは、

強く、頷いた。


この夜、

少年は初めて知った。


正義とは、

声高に叫ばれるものではなく、

誰にも見えない場所で、

黙って手を汚す覚悟なのだということを。


そして――

その覚悟を、

静かに背負い続ける男が、

自分の師なのだということを。


夜は、まだ深い。


だが、

世界は、確実に次の段階へと進んでいた。

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