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影縫う剣と蒼き城の執事  作者: わまたよ


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第五部 第七話――壊すという選択

北方の空は、いつも低い。


雲は重く垂れ込み、雪でも雨でもない湿り気を含んだ粒子が、絶えず地表に降り続いている。

それは自然現象というより、土地そのものが吐き出す息のようだった。


魔族国家インベイ。

侵略を是とし、支配を誇りとする国家。


その中枢に位置する黒曜石の城塞では、会議という名の儀式が行われていた。


巨大な円形の間。

床には、無数の戦場を象徴する文様が刻まれ、壁には討ち滅ぼした種族の記録が並ぶ。

それは歴史であり、同時に自慢でもあった。


中央に立つのは、インベイの魔王。


玉座に座ることはない。

支配者が腰を下ろすのは、弱さの証だと、この国では考えられている。


「――停滞しているな」


魔王の声は、低く、はっきりとしていた。

怒りはない。

苛立ちもない。


ただ、気に入らないという感情だけが、空気に滲んでいる。


「人族の戦争が、広がらぬ」


「アルストとカンフリークトは、互いに刃を向けているが――致命に至らぬ」


側近の魔族が一歩進み出る。


「中立公国の影響かと」


「アルヴァリア公爵領が、緩衝として機能している」


魔王は、鼻で笑った。


「緩衝?」


「人族が作り出した言葉だな」


「本来、戦争とは――」


「流れるべきところまで血が流れるものだ」


その言葉に、数名の上級魔族が深く頷く。

インベイにおいて、戦争とは自然現象だ。

火山が噴くのと同じで、止める理由など存在しない。


「だが、止まっている」


魔王は、視線を細める。


「しかも、誰が止めているのかが見えない」


「見えぬ力は、不快だ」


側近が、慎重に続ける。


「……インテグは、観察を選んだようです」


「歪みを価値と見做し、利用すると」


魔王の口元が、わずかに歪む。


「弱腰め」


「歪みなど、叩き潰せば良い」


「壊せば、元の流れに戻る」


「中立公国――」


その名を、初めて明確に口にした。


「あそこが歪みの核だ」


「ならば、壊す」


会議殿の空気が、一段冷えた。


「正規侵攻は?」


「不要だ」


魔王は即答する。


「人族は、宣戦布告に意味を見出す」


「ならば、意味のない形で壊す」


「事故」


「暴走」


「魔物の氾濫」


「内乱」


「どれでも良い」


「中立を保てぬ状況に追い込め」


側近の一人が、ためらいがちに問う。


「……あの領地は、戦力も統治も優秀です」


「下手に刺激すれば――」


魔王は、視線を向けた。


その一瞬で、問いかけた魔族の背に冷たい汗が走る。


「刺激?」


「こちらが刺激される理由はない」


「力があるなら、使えばいい」


「それが、我らだ」


魔王は、ゆっくりと腕を広げた。


「準備を始めろ」


「第一段階は――」


「森だ」


南方大森林。

魔物が多く、魔力異常が頻発する地帯。


中立公国が、常時監視している場所。


「森が荒れれば、人族は動かざるを得ない」


「守るために、力を出す」


「力を出せば、正体が見える」


「見えれば――」


魔王は、確信を持って言った。


「叩ける」


その頃。


アルヴァリア公爵領、南方監視拠点。


夜明け前の薄暗い時間帯。

霧が低く漂い、森の輪郭を曖昧にしている。


椎名は、簡素な詰所の外に立ち、森を見つめていた。


鎧も着ていない。

剣は腰にあるが、抜く気配はない。


ただ、風の流れと、土の匂いと、

森の沈黙の質を感じ取っている。


「……静かすぎますね」


誰にともなく、丁寧に言葉を落とす。


鳥の声がない。

虫の羽音もない。


魔物が多い森にしては、不自然なほどに、整っている。


「これは……」


椎名は、ほんの少しだけ、目を細めた。


「壊す準備を、されていますか」


彼は、森に向かって一礼するように、軽く頭を下げた。


「でしたら――」


「掃除では済まなくなりますね」


それは、脅しでも、宣言でもない。


ただの事実確認だった。


この時点で、

魔族インベイは気づいていない。


自分たちが選んだ「力で壊す」という手段が、

最も相手の土俵に足を踏み入れる選択であることを。


そして――

その土俵の中央には、

名も旗も掲げぬ執事が、すでに立っていることを。


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