第四部 第十八話――会談卓の下で
首都ヴァルアスは、いつもより静かだった。
街路は清掃され、石畳は磨かれ、
宿屋の窓には国旗と中立公国の紋章が掲げられている。
――会談の日。
それは「平和の象徴」であると同時に、
嘘と計算が最も濃く集まる日でもあった。
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中央評議館。
高い天井、白い柱、光を反射する床。
豪奢だが、過度ではない。
「中立」を示すための、計算された空間。
各国の使節が、順に入場していく。
・東方アルスト王国の使節団
・北方カンフリークト帝国の代表
・西方ルカ聖王国の聖官
・そして、形式上の観測者としてインテグ魔族国家の使者
全員が笑顔を浮かべ、
全員が腹の中で剣を研いでいる。
椎名は、壁際に控えていた。
執事服。
背筋は自然に伸び、視線は控えめ。
誰の補佐とも明示されていない。
だが、誰の目にも入る位置に立っている。
それだけで、意味があった。
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ラルト・アルヴァリア公爵が、席に着く。
「本日はお集まりいただき、感謝いたします」
声は穏やかだが、曖昧さはない。
「先日の国境での事案について、
我が中立公国としての見解を述べさせていただきます」
使節たちが、頷く。
――“事案”。
すでに「事件」「侵攻」という言葉は使われていない。
政治だ。
「武装集団が、我が領内に侵入しました。
所属は不明。
よって、我々は中立侵犯への自衛措置を取ったまでです」
アルスト王国の使節が、わずかに眉を動かす。
「我が国としては、その集団がアルストに関係すると示す証拠は――」
「ございません」
公爵は、即答した。
「ですので、本日は責任追及の場ではありません」
その言葉に、場の空気が一瞬緩む。
だが、それは罠だった。
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ルカ聖王国の聖官が、ゆっくりと立ち上がる。
白い法衣。
柔らかな笑み。
「中立公国のご苦労は理解いたします。
しかし――
もし難民や不穏分子が原因であるならば、
それは統治の問題とも言えましょう」
暗に言う。
――中立公国は、内側から崩れているのでは?
空気が、冷える。
椎名は、わずかに目を伏せた。
(……来ましたね)
公爵が答える前に、
聖官は続ける。
「我が聖王国としては、
人種の秩序と平和のため、
“支援”を惜しまぬ用意がありますが――」
支援。
つまり、介入。
その瞬間。
椎名が、一歩前に出た。
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「失礼いたします」
その声は、静かで、丁寧だった。
だが、不思議とよく通る。
公爵が視線を向ける。
「……椎名。意見があるか」
部下への口調。
命令ではないが、拒否もできない。
椎名は、軽く一礼する。
「はい。
確認させていただきたく存じます」
視線は、聖官へ。
「聖王国様の仰る“支援”とは、
武力・人員・宗教的指導――
いずれを想定されておりますでしょうか」
聖官の笑みが、僅かに固まる。
「それは状況次第で――」
「なるほど」
椎名は、頷いた。
「では、状況が整えば、
中立公国の内政に干渉する可能性がある、
という理解でよろしいでしょうか」
言葉は丁寧。
だが、逃げ道を塞ぐ構文。
場が、静まり返る。
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アルスト王国の使節が、咳払いをした。
「……椎名殿。
そこまで強い言い方をする必要は――」
「失礼」
椎名は、そちらにも一礼する。
「ですが、我が公国は
中立を守るために存在しております」
視線を、会談卓全体に向ける。
「支援であれ、善意であれ、
条件付きの手助けは――
中立を侵す“最初の一歩”でございます」
誰も、反論しない。
できない。
なぜなら――
数日前、境界で何が起きたかを、
全員が「正確に」知っているからだ。
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椎名は、そこで言葉を止めた。
深追いはしない。
これ以上話せば、
“圧力”になる。
公爵が、静かに頷く。
「我が公国は、
今後もいかなる国家の代理戦争にも加担しない」
「しかし――」
一拍。
「中立侵犯には、今後も即応する」
それだけ。
剣は抜かれない。
だが、刃の位置は、はっきりと示された。
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評議館の回廊。
ファルカは、柱の影から会談室を見ていた。
(……誰も怒鳴ってない)
(剣も出てない)
でも。
胸が、苦しい。
(なんで、こんなに怖いんだ……)
椎名の背中が、見える。
小さく、静かで、
なのに――
誰よりも、場を支配している背中。
ファルカは、拳を握った。
(……剣だけじゃ、だめなんだ)
初めて、そう思った。
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会談は、無事に終わった。
表向きは。
各国は「理解」を示し、
中立公国は「感謝」を述べる。
だが、全員が持ち帰った。
――次に踏み込めば、無事では済まない
という、共通認識を。
椎名は、最後まで執事の位置を崩さなかった。
名は、議事録に残らない。
それでいい。
夕暮れ。
評議館を出た椎名が、小さく呟く。
「……剣よりも、疲れますね」
それでも。
これが、守るということ。
燃え上がる前に、
火種を摘む。
中立とは、
最も忙しい立場なのだから。




