第20話 帰路
12月7日、明け方。
立川の街は、まだ静寂に包まれていた。
喫茶Gehennaの中では、恋莉たちが病院へ向かう準備を進めていた。立川を出る許可が出た以上、まず愛莉の顔を見に行く。それだけは決めていた。
白石 知世「本当に行くのね。」
中神 恋莉「ああ。世話になった。」
白石 知世「世話になったじゃないわよ。……また来なさいよ。アロワナも寂しがるわよ。」
中神 恋莉「……それはないと思うが。」
白石は少し笑った。
国立 慶悟「短い間世話になったな。」
国分寺 好美「また来ます。と言っても2時間しか離れてませんけどね。」
拝島 良太「お世話になりました。」
荷物をまとめ、出発の準備が整い始めた頃、ニコ・シンキバが恋莉の傍に近づいてきた。
ニコ・シンキバ「……恋莉君。あたしも一緒に行っていい?」
中神 恋莉「理由を聞いてもいいか。」
ニコ・シンキバ「エリ君に言われた。あなたたちについていけって。」
中神 恋莉「……エリックが。」
ニコ・シンキバ「うん。」
それ以上の説明はなかった。恋莉もそれ以上は聞かなかった。
ニコ・シンキバ「あ、そうだ。せっかくだから教えとくけど、ニコって漢字で書くと笑心なんだよ。笑って字にシンキバで、笑心。お兄さんは笑莉でエイリ。二人で笑の字を使ってる。」
中神 恋莉「そうなのか。」
ニコ・シンキバ「それだけ。」
さらりと言って、ニコは荷物を持ち直した。
その時、舞浜 睡蓮が静かに口を開いた。
舞浜 睡蓮「喫茶は僕と白石さんで回せる。……行っておいで。」
ニコ・シンキバ「睡蓮……」
舞浜 睡蓮「……」
それ以上、睡蓮は何も言わなかった。ただその目だけが、どこか遠くを見ているようだった。
出発しようとした、その時だった。
喫茶Gehennaの扉が開いた。
エリック・シンキバ「よう。」
牛浜 真翔「……お邪魔しまーす。」
全員が振り返った。エリックと牛浜 真翔。二人が揃って、飄々と入ってきた。
国立 慶悟「何しに来た。」
エリック・シンキバ「見送りに決まってるだろ。それと、一つ伝えることがある。」
エリックは恋莉を見た。
エリック・シンキバ「病院の前に、沢城に会いに行け。」
中神 恋莉「……」
沢城 仁。青梅連合の人間だ。なぜエリックがその名前を知っている。訝しむ気持ちが頭をよぎったが、今ここで口に出す場面ではないと判断した。
中神 恋莉「……わかった。」
エリック・シンキバ「賢命だな。」
牛浜 真翔「……ニコ。」
ニコ・シンキバ「……真翔。」
牛浜 真翔「まあ、別に俺からは特にないよ。うん。達者でな。」
ニコ・シンキバ「……うん。」
白石 知世「エリック。久しぶりに来たと思ったら、こんな時だけ。」
エリック・シンキバ「仕方ないだろ。忙しいんだ。」
白石 知世「……昔はもっとよく来てたのにね。」
エリックは答えなかった。少しだけ、目を逸らした。
牛浜 真翔「……白石さん、世話になりました。」
白石 知世「あなたは素直でいい子ね。エリックも少しは見習いなさい。」
エリック・シンキバ「……うるさい。」
場の空気が、少しだけ和らいだ。
中神 恋莉「行くぞ。」
全員が頷いた。
喫茶Gehennaを出ると、夜明け前の冷たい空気が頬を刺した。辺理恵町の石畳が、薄明かりの中で静かに濡れている。
エリックと牛浜は扉の前で立ったまま、見送った。
―――
夜行バスで新宿へ向かう。
窓の外は、まだ夜明け前の暗さだ。
恋莉は窓の外を見つめている。ニコは隣に座り、しばらく黙っていた。
やがて、ニコが口を開いた。
ニコ・シンキバ「……妹、どんな人なの?」
恋莉は一瞬、沈黙した。
中神 恋莉「頑固だ。(あと厨二病)」
ニコ・シンキバ「頑固?」
中神 恋莉「『不可能を可能にする』がモットーだってやつだ。半年前、何者かに襲撃された。それから、ずっと昏睡状態だ。」
ニコ・シンキバ「……そうか。」
それ以上は聞かなかった。恋莉も続けなかった。
しばらくして、ニコがまた口を開く。
ニコ・シンキバ「……病院より先に沢城って人に会いに行くんだっけ。」
中神 恋莉「ああ。」
ニコ・シンキバ「……そういうものなのか。」
中神 恋莉「そういうもんだ。」
ニコは窓の外に視線を移した。それ以上は何も言わなかった。
恋莉は横目でニコを一瞥した。エリックに言われたから、と言っていた。それだけが理由か、それとも別の何かがあるのか。まだ測りかねていた。
窓の外が、徐々に明るくなっていった。高速道路の先に、東京の灯りが滲み始めている。
ニコ・シンキバ「……歌舞伎町って、こんな感じなのか。」
中神 恋莉「慣れれば普通だ。」
ニコ・シンキバ「……ふーん。」
それきり、二人は黙って朝日を見つめていた。
―――
午前7時。バスは新宿に到着した。
恋莉とニコはバスを降りた。駅前はすでに朝の人出が増えていた。慶悟たちとは現地で合流する手筈だ。
中神 恋莉「まず、沢城に会いに行く。」
ニコ・シンキバ「わかった。」
二人は東京の街へと歩み出した。立川を後にして。新しい局面へ。




