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ブルーレゾナンス  作者: kiriiti
コルナ港へ
19/34

鉱山に潜む物

洞窟の中は、想像以上に暗かった。


 入り口から差し込んでいた光も、少し進んだだけでほとんど届かなくなる。視界はすぐに闇に呑まれ、足元すら心許ない。


 ティアは立ち止まると、静かに詠唱した。


「ーーエレフレイム」


 その言葉とともに、小さな火の球がふわりと宙に浮かぶ。

 淡い橙色の光が周囲を照らし、洞窟内部の様子がようやく見えるようになった。


「助かる」


 ガルウィンが短く礼を言う。


「こういう時のための日用魔法です」


 ティアが少し得意げに笑い、二人はそのまま奥へと進んだ。


 洞窟の内部は、ただの自然洞ではなかった。壁際には朽ちたツルハシが転がり、足元には途切れ途切れにトロッコ用のレールが伸びている。どうやら、かつて鉱山として使われていた坑道らしい。


「……捨てられた鉱山みたいですね」


 ティアが周囲を見回しながら呟く。


「ああ。長い間、人の手が入っていないようだ」


 ガルウィンも頷く。


 岩肌には湿り気があり、どこからともなく水滴の落ちる音が響いていた。

 ひんやりとした空気の中に、古い土と石の匂いが混ざる。


 だが、静けさは長く続かなかった。


 突如―


「ギィィィィッ!!」


 耳をつんざくような金切り声が坑道内に響き渡る。


「っ……!」


 反射的に二人は耳を塞ぐ。


 闇の奥から飛び出してきたのは、巨大なコウモリの魔物だった。

 ジャイアントバッド――以前オスペンニウム討伐の際に現れたものより、さらに一回りも二回りも大きい。人間ほどの大きさの胴体に、広げればその倍近くにも見える巨大な翼。牙を剥き出しにしながら、一直線に突っ込んでくる。


 耳を塞いだ状態では、迎撃が遅れる。


 だが、ティアは苦しげに顔を歪めながらも、無理やり片手を前に突き出した。


「ファ……ファイアーボールっ!」


 放たれた火球が、突進してきたジャイアントバッドに直撃する。


 爆ぜるような火花とともに、魔物が怯んだ。


 致命打にはならない。

 だが、金切り声は止まった。


 その一瞬で十分だった。


 ガルウィンは腰の剣を抜き放つ。

 オーレリアで手に入れた新たな翠剣が、火球の残光を受けて淡く光る。


「――っ」


 踏み込みと同時に振り抜かれた斬撃が、ジャイアントバッドの身体を真っ二つに断ち切った。


 巨体が地に落ち、鈍い音を立てる。


 剣を払って血を落としながら、ガルウィンがティアを見る。


「いい判断だった。ありがとう」


 ティアはほっとしたように笑った。


「ガルウィンさんが倒してくれるって信じてたんで」


 その言葉に、ガルウィンは少しだけ眉をひそめる。


「……」


 ティアはその表情を見て、はっとした。


「あ……えっと……その――」


 慌てて言い直す。


「ガ、ガルウィン」


 ぎこちない呼び方に、ガルウィンは思わずフッと笑った。


「それでいい。先を急ぐか」


「う、うん」


 まだ少し頬を赤くしたまま、ティアも後に続く。



 さらに坑道を進むと、空気が変わった。


 どこか生暖かく、じっとりとまとわりつくような嫌な感触がある。


 通路の壁には、白い粘着質のものがところどころ付着していた。

 糸のようでもあり、粘液のようでもある不気味な物質だ。


 ガルウィンは壁に手を伸ばし、それを指先で確かめる。

 さらに鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。


「これは…」


 次の瞬間、彼の顔色が変わった。


「ティア! この先に急ぐぞ!」


「は、はい!」


 ただ事ではない気配を感じ取ったティアも、すぐに返事をする。


 二人は一気に走り出した。


 進むほどに、白い粘着物は増えていく。壁だけでなく床や天井にもこびりつき、通路そのものが何かの巣穴へと変わり果てていくようだった。


 やがて通路の終わりに辿り着く。


 そこは、かつて大規模な採掘が行われていたのだろう、広い掘削場だった。


 だが、その光景は普通ではなかった。


 天井一面に蜘蛛の糸が張り巡らされ、壁にも白い網がびっしりと広がっている。さらに、天井からはいくつもの巨大な糸の塊が吊り下がっていた。


 ティアが青ざめた顔で呟く。


「これって……もしかして…」


「ああ。想像通りだろうな」


 ガルウィンが低く答えた、その時。


「キシャァァァァッ!!」


 鋭い鳴き声が空間に響いた。


 二人が視線を巡らせると、掘削場の奥にそれはいた。


 巨大な蜘蛛。


 黒と黄色の縞模様を持つ異様な体躯。八本の長い脚を器用に使い、壁面を這うように移動している。腹部からは糸を吐き出し、何かを器用に包み込んでいた。


「もしかして……あれが!」


 ティアが息を呑む。


「あの蜘蛛を先に仕留めるぞ!」


 ガルウィンが即座に判断を下す。


 蜘蛛もまた、侵入者を敵と見なしたのだろう。

 前脚二本を持ち上げ、威嚇するように鳴き声を上げる。


 まだ距離はある。

 だが、その巨体と六つの目が放つ威圧感は圧倒的だった。


「ティア! なんでもいい、炎魔法でやつの気を引いてくれ!」


「わかりました!」


 ティアはすぐさま前に出る。


「ファイアーボール!」


 放たれた火球が一直線に蜘蛛へ向かう。


 同時に、ガルウィンも駆け出した。

 火球の着弾に合わせ、一気に斬り込むつもりだった。


 だが。


 蜘蛛の腹部がぶるりと膨らみ、次の瞬間、粘つく白糸が吐き出された。


 火球はその糸にぶつかり、まるで飲み込まれるようにかき消える。


「なっ…!」


 さらに蜘蛛は左側から迫るガルウィンを捉え、長い脚を鞭のように振るった。


 重い一撃。


 ガルウィンは咄嗟に剣で受けるが、そのまま大きく弾き飛ばされる。


「ちっ…!」


 着地しながら、忌々しげに蜘蛛を睨む。


 ティアも動揺を隠せなかった。


「まさか……炎が糸で消されるなんて…」


「さらに強い炎が必要だな」


 ガルウィンが低く呟くと、ティアは焦ったように答える。


「でも、私、あれ以外だとフレイムスロアーっていう、槍と炎の斬撃を飛ばす魔法くらいしか……」


「炎の斬撃を飛ばせるのか?」


 ガルウィンが即座に食いつく。


「できるけど……」


「私の斬撃にも乗せられるか?」


 ティアは一瞬迷ったが、頷いた。


「たぶん、大丈夫。ですけど、それをするなら……私の魔力を直接通さないと、まだ上手く制御できないです」


「構わない。背中に触れればいいか?」


 ティアは小さく頷いた。


 ガルウィンが前に立つ。

 ティアはその背後に回り、そっと両手を背中へ当てた。


 次の瞬間。


「うっ…!」


 ティアの口から苦しげな声が漏れる。


 魔力を流し込むはずだった。

 だが実際には、逆だった。


 ティアの中から、想定以上の魔力が一気に吸い上げられていく。


 足から力が抜け、膝が崩れた。


「ティア!」


 倒れそうになる彼女を、ガルウィンが間一髪で抱き留める。


 その瞬間、ガルウィンは理解した。


「……そういうことか」


 苦い顔が浮かぶ。


 蜘蛛がそこへ猛然と突進してくる。


 ガルウィンは横へ跳び、攻撃を避けると、ティアを少し広めの岩棚の上へそっと寝かせた。


「一体……なんで……」


 ティアは、自分の身に何が起きたのか理解できないまま息を乱していた。


 ガルウィンは彼女を見下ろし、静かに言う。


「ここで休んでいてくれ」


 そして、前を向いた。


「――レグナ!」


 力強く名を呼ぶ。


 心の奥から、低く響く声が返ってきた。


(あぁ)


「力を使うぞ」


(わかった)


 次の瞬間、ガルウィンの右腕から青い煙が立ち上った。


 煙は生き物のようにうねり、腕を包み込み、そのまま握られた翠剣へと絡みついていく。右腕と剣がひとつに溶け合ったかのような、異様で神秘的な姿がそこに現れた。


 ティアは息を呑む。


「すごい……」


 蜘蛛もまた危険を察したのか、先ほど以上の速度で迫ってくる。


 だが、もう遅い。


 ガルウィンは静かに剣を構えた。


「一閃」


 左から右へ、鋭く薙ぎ払う。


 青い斬撃が宙を裂いて飛ぶ。


 それは真っ直ぐに蜘蛛の胴を捉え、深い斬線を刻み込んだ。


「ギシャァァァッ!!」


 苦痛にのたうち回る蜘蛛。巨体が暴れ、掘削場そのものが揺れる。天井の糸が激しく揺れ、土砂がぱらぱらと落ちてきた。


 蜘蛛はそのまま逃げようとした。


「逃さん」


 ガルウィンは即座に追う。


 一気に距離を詰め、剣を振り上げた。


「……双牙」


 左上から右下へと袈裟に断ち、返す刃で右上へ斬り上げる。


 V字の斬撃。


 蜘蛛の巨体に鮮烈な軌跡が刻まれ――次の瞬間、その身体はVの字に裂けて崩れ落ちた。


 重い音とともに、ついに沈黙する。



 ガルウィンはそのまま、先ほど蜘蛛が糸を巻き付けていた塊のもとへ飛び上がる。


 吊り下がった糸を切り落とし、地面へ降ろした。


 何重にも絡みついた糸を、慎重に剣で断ち切る。


 すると、中から二人の人影が現れた。


 冒険者らしき鎧を着た、男女二人。

 まだ命はあるようだった。


 ガルウィンは剣を鞘に納めると、二人を抱え上げてティアのもとへ戻る。


「歩けるか?」


 ティアは少し顔色を悪くしながらも、無理に笑った。


「大丈夫です」


 だが、その強がりは見え透いていた。


 ガルウィンは何も言わず、青い煙をそっとティアの身体へまとわせる。支えるように、優しく包み込む。


 そして、先ほど蜘蛛が暴れた拍子に見えた岩壁の裂け目へ目を向けた。


「あちらから出られそうだ」


 二人を連れ、出口へ向かう。



 少し進むと、やがて外の景色が見えた。


 洞窟の外は、すでに夜になっていた。

 冷たい夜風が吹き込み、湿った坑道の空気を押し流していく。


 外へ出た瞬間、ガルウィンはわずかに安堵の息を漏らした。


 だが、それも束の間だった。


 限界が近い。


 ガルウィンは抱えていた二人を地面に下ろし、ティアを支えていた青い煙も静かに引っ込める。


 ティアも少しずつ回復してきたらしく、息を整えながら頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 ガルウィンはそれに答えようとしたが、声はかすれていた。


「すまない…少し……寝……る……」


 言葉を言い切る前に、意識が途切れる。


 そのまま、ガルウィンは膝をつき前のめりに倒れ込んだ。


「ガルウィン!」


 ティアは慌てて手を伸ばしたが、自身もまた消耗が激しい。

 その場にへたり込み、壁にもたれるように座り込む。


 夜風が静かに吹く中。


 洞窟から救い出された二人も、ティアも、そしてガルウィンも――

 四人はそのまま出口付近で、深い眠りへ落ちていった。


 月明かりだけが、静かにその場を照らしていた。


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