鉱山に潜む物
洞窟の中は、想像以上に暗かった。
入り口から差し込んでいた光も、少し進んだだけでほとんど届かなくなる。視界はすぐに闇に呑まれ、足元すら心許ない。
ティアは立ち止まると、静かに詠唱した。
「ーーエレフレイム」
その言葉とともに、小さな火の球がふわりと宙に浮かぶ。
淡い橙色の光が周囲を照らし、洞窟内部の様子がようやく見えるようになった。
「助かる」
ガルウィンが短く礼を言う。
「こういう時のための日用魔法です」
ティアが少し得意げに笑い、二人はそのまま奥へと進んだ。
洞窟の内部は、ただの自然洞ではなかった。壁際には朽ちたツルハシが転がり、足元には途切れ途切れにトロッコ用のレールが伸びている。どうやら、かつて鉱山として使われていた坑道らしい。
「……捨てられた鉱山みたいですね」
ティアが周囲を見回しながら呟く。
「ああ。長い間、人の手が入っていないようだ」
ガルウィンも頷く。
岩肌には湿り気があり、どこからともなく水滴の落ちる音が響いていた。
ひんやりとした空気の中に、古い土と石の匂いが混ざる。
だが、静けさは長く続かなかった。
突如―
「ギィィィィッ!!」
耳をつんざくような金切り声が坑道内に響き渡る。
「っ……!」
反射的に二人は耳を塞ぐ。
闇の奥から飛び出してきたのは、巨大なコウモリの魔物だった。
ジャイアントバッド――以前オスペンニウム討伐の際に現れたものより、さらに一回りも二回りも大きい。人間ほどの大きさの胴体に、広げればその倍近くにも見える巨大な翼。牙を剥き出しにしながら、一直線に突っ込んでくる。
耳を塞いだ状態では、迎撃が遅れる。
だが、ティアは苦しげに顔を歪めながらも、無理やり片手を前に突き出した。
「ファ……ファイアーボールっ!」
放たれた火球が、突進してきたジャイアントバッドに直撃する。
爆ぜるような火花とともに、魔物が怯んだ。
致命打にはならない。
だが、金切り声は止まった。
その一瞬で十分だった。
ガルウィンは腰の剣を抜き放つ。
オーレリアで手に入れた新たな翠剣が、火球の残光を受けて淡く光る。
「――っ」
踏み込みと同時に振り抜かれた斬撃が、ジャイアントバッドの身体を真っ二つに断ち切った。
巨体が地に落ち、鈍い音を立てる。
剣を払って血を落としながら、ガルウィンがティアを見る。
「いい判断だった。ありがとう」
ティアはほっとしたように笑った。
「ガルウィンさんが倒してくれるって信じてたんで」
その言葉に、ガルウィンは少しだけ眉をひそめる。
「……」
ティアはその表情を見て、はっとした。
「あ……えっと……その――」
慌てて言い直す。
「ガ、ガルウィン」
ぎこちない呼び方に、ガルウィンは思わずフッと笑った。
「それでいい。先を急ぐか」
「う、うん」
まだ少し頬を赤くしたまま、ティアも後に続く。
⸻
さらに坑道を進むと、空気が変わった。
どこか生暖かく、じっとりとまとわりつくような嫌な感触がある。
通路の壁には、白い粘着質のものがところどころ付着していた。
糸のようでもあり、粘液のようでもある不気味な物質だ。
ガルウィンは壁に手を伸ばし、それを指先で確かめる。
さらに鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。
「これは…」
次の瞬間、彼の顔色が変わった。
「ティア! この先に急ぐぞ!」
「は、はい!」
ただ事ではない気配を感じ取ったティアも、すぐに返事をする。
二人は一気に走り出した。
進むほどに、白い粘着物は増えていく。壁だけでなく床や天井にもこびりつき、通路そのものが何かの巣穴へと変わり果てていくようだった。
やがて通路の終わりに辿り着く。
そこは、かつて大規模な採掘が行われていたのだろう、広い掘削場だった。
だが、その光景は普通ではなかった。
天井一面に蜘蛛の糸が張り巡らされ、壁にも白い網がびっしりと広がっている。さらに、天井からはいくつもの巨大な糸の塊が吊り下がっていた。
ティアが青ざめた顔で呟く。
「これって……もしかして…」
「ああ。想像通りだろうな」
ガルウィンが低く答えた、その時。
「キシャァァァァッ!!」
鋭い鳴き声が空間に響いた。
二人が視線を巡らせると、掘削場の奥にそれはいた。
巨大な蜘蛛。
黒と黄色の縞模様を持つ異様な体躯。八本の長い脚を器用に使い、壁面を這うように移動している。腹部からは糸を吐き出し、何かを器用に包み込んでいた。
「もしかして……あれが!」
ティアが息を呑む。
「あの蜘蛛を先に仕留めるぞ!」
ガルウィンが即座に判断を下す。
蜘蛛もまた、侵入者を敵と見なしたのだろう。
前脚二本を持ち上げ、威嚇するように鳴き声を上げる。
まだ距離はある。
だが、その巨体と六つの目が放つ威圧感は圧倒的だった。
「ティア! なんでもいい、炎魔法でやつの気を引いてくれ!」
「わかりました!」
ティアはすぐさま前に出る。
「ファイアーボール!」
放たれた火球が一直線に蜘蛛へ向かう。
同時に、ガルウィンも駆け出した。
火球の着弾に合わせ、一気に斬り込むつもりだった。
だが。
蜘蛛の腹部がぶるりと膨らみ、次の瞬間、粘つく白糸が吐き出された。
火球はその糸にぶつかり、まるで飲み込まれるようにかき消える。
「なっ…!」
さらに蜘蛛は左側から迫るガルウィンを捉え、長い脚を鞭のように振るった。
重い一撃。
ガルウィンは咄嗟に剣で受けるが、そのまま大きく弾き飛ばされる。
「ちっ…!」
着地しながら、忌々しげに蜘蛛を睨む。
ティアも動揺を隠せなかった。
「まさか……炎が糸で消されるなんて…」
「さらに強い炎が必要だな」
ガルウィンが低く呟くと、ティアは焦ったように答える。
「でも、私、あれ以外だとフレイムスロアーっていう、槍と炎の斬撃を飛ばす魔法くらいしか……」
「炎の斬撃を飛ばせるのか?」
ガルウィンが即座に食いつく。
「できるけど……」
「私の斬撃にも乗せられるか?」
ティアは一瞬迷ったが、頷いた。
「たぶん、大丈夫。ですけど、それをするなら……私の魔力を直接通さないと、まだ上手く制御できないです」
「構わない。背中に触れればいいか?」
ティアは小さく頷いた。
ガルウィンが前に立つ。
ティアはその背後に回り、そっと両手を背中へ当てた。
次の瞬間。
「うっ…!」
ティアの口から苦しげな声が漏れる。
魔力を流し込むはずだった。
だが実際には、逆だった。
ティアの中から、想定以上の魔力が一気に吸い上げられていく。
足から力が抜け、膝が崩れた。
「ティア!」
倒れそうになる彼女を、ガルウィンが間一髪で抱き留める。
その瞬間、ガルウィンは理解した。
「……そういうことか」
苦い顔が浮かぶ。
蜘蛛がそこへ猛然と突進してくる。
ガルウィンは横へ跳び、攻撃を避けると、ティアを少し広めの岩棚の上へそっと寝かせた。
「一体……なんで……」
ティアは、自分の身に何が起きたのか理解できないまま息を乱していた。
ガルウィンは彼女を見下ろし、静かに言う。
「ここで休んでいてくれ」
そして、前を向いた。
「――レグナ!」
力強く名を呼ぶ。
心の奥から、低く響く声が返ってきた。
(あぁ)
「力を使うぞ」
(わかった)
次の瞬間、ガルウィンの右腕から青い煙が立ち上った。
煙は生き物のようにうねり、腕を包み込み、そのまま握られた翠剣へと絡みついていく。右腕と剣がひとつに溶け合ったかのような、異様で神秘的な姿がそこに現れた。
ティアは息を呑む。
「すごい……」
蜘蛛もまた危険を察したのか、先ほど以上の速度で迫ってくる。
だが、もう遅い。
ガルウィンは静かに剣を構えた。
「一閃」
左から右へ、鋭く薙ぎ払う。
青い斬撃が宙を裂いて飛ぶ。
それは真っ直ぐに蜘蛛の胴を捉え、深い斬線を刻み込んだ。
「ギシャァァァッ!!」
苦痛にのたうち回る蜘蛛。巨体が暴れ、掘削場そのものが揺れる。天井の糸が激しく揺れ、土砂がぱらぱらと落ちてきた。
蜘蛛はそのまま逃げようとした。
「逃さん」
ガルウィンは即座に追う。
一気に距離を詰め、剣を振り上げた。
「……双牙」
左上から右下へと袈裟に断ち、返す刃で右上へ斬り上げる。
V字の斬撃。
蜘蛛の巨体に鮮烈な軌跡が刻まれ――次の瞬間、その身体はVの字に裂けて崩れ落ちた。
重い音とともに、ついに沈黙する。
⸻
ガルウィンはそのまま、先ほど蜘蛛が糸を巻き付けていた塊のもとへ飛び上がる。
吊り下がった糸を切り落とし、地面へ降ろした。
何重にも絡みついた糸を、慎重に剣で断ち切る。
すると、中から二人の人影が現れた。
冒険者らしき鎧を着た、男女二人。
まだ命はあるようだった。
ガルウィンは剣を鞘に納めると、二人を抱え上げてティアのもとへ戻る。
「歩けるか?」
ティアは少し顔色を悪くしながらも、無理に笑った。
「大丈夫です」
だが、その強がりは見え透いていた。
ガルウィンは何も言わず、青い煙をそっとティアの身体へまとわせる。支えるように、優しく包み込む。
そして、先ほど蜘蛛が暴れた拍子に見えた岩壁の裂け目へ目を向けた。
「あちらから出られそうだ」
二人を連れ、出口へ向かう。
⸻
少し進むと、やがて外の景色が見えた。
洞窟の外は、すでに夜になっていた。
冷たい夜風が吹き込み、湿った坑道の空気を押し流していく。
外へ出た瞬間、ガルウィンはわずかに安堵の息を漏らした。
だが、それも束の間だった。
限界が近い。
ガルウィンは抱えていた二人を地面に下ろし、ティアを支えていた青い煙も静かに引っ込める。
ティアも少しずつ回復してきたらしく、息を整えながら頭を下げた。
「……ありがとうございます」
ガルウィンはそれに答えようとしたが、声はかすれていた。
「すまない…少し……寝……る……」
言葉を言い切る前に、意識が途切れる。
そのまま、ガルウィンは膝をつき前のめりに倒れ込んだ。
「ガルウィン!」
ティアは慌てて手を伸ばしたが、自身もまた消耗が激しい。
その場にへたり込み、壁にもたれるように座り込む。
夜風が静かに吹く中。
洞窟から救い出された二人も、ティアも、そしてガルウィンも――
四人はそのまま出口付近で、深い眠りへ落ちていった。
月明かりだけが、静かにその場を照らしていた。




