気持ちの良い朝と顔色の悪いお姉様
わたしは夢を見た。むーちゃんと一緒に楽しく空を飛ぶ夢だ。夢の中でわたしは自由で全てのものから解き放たれた気持ちになれた。
そんな夢を見たからだろうか。パチリと目を覚ましたわたしの体はいつもより調子が良く、頭もすっきりとしている。こんなに快適な目覚めは随分と久しぶりだ。ベッドから飛び起きたわたしは、元気良く大きな伸びをする。
「う~ん……良く眠れました! 今日も楽しく過ごしましょう!」
するとわたしの声に反応するように隣のベッドでもぞもぞと動く気配を感じた。
「クリス……そちらに行ってはいけませんわ……」
「あわわ……すみません、お姉様……」
セレスタお姉様の寝言が聞こえて、わたしは慌てて口を手で押さえる。元気良く目覚めたことが嬉しくて、隣のベッドにセレスタお姉様が寝ていることをすっかり忘れていた。
「ゆっくりお休みくださいね……」
声を潜めてセレスタお姉様を起こさないように静かにベッドから降りたわたしは、壁際に置かれている時計で時間を確認する。どうやらいつもより大分早い時間に目が覚めてしまったようだ。
「今日もポカポカとして良いお天気ですね……」
窓に近づくと朝の優しい日の光が差し込み、わたしのことを照らしてくれた。
折角早く起きたので窓辺でお茶でも飲みながらのんびり魔導箱の練習でもしよう。そう思い魔導箱やおやつの宝石飴を準備していると、窓の外に見知った人影を見つけた。
「あれは……スピネル? こんなに朝早くから訓練なんて凄いですね」
スピネルの動きから彼の努力を垣間見ることが出来て嬉しく思うが、そこであることに気が付く。スピネルが普段は使わない剣を振っているのだ。
「……一体何故でしょうか?」
スピネルは護衛の時は手甲を装備しているので、剣を使っているのは中々に珍しい。朝から頑張るスピネルを見るために窓の外を眺めていると、むーちゃんが目を覚ましたようで元気な声が後ろから聞こえてきた。
「おはよう、クリス!」
「むーちゃん、しーっです! セレスタお姉様がまだ寝ているので静かにお願いしますね」
「分かった……!」
むーちゃんの声でセレスタお姉様を起こしてしまっても申し訳ない。わたしは口の前に指を立ててむーちゃんを静かにさせる。
そして、ふわふわとこちらへ向かってきたむーちゃんの姿を見て、わたしはあることを思いついた。
「そうだ! むーちゃん、スピネルのところに行ってきてもらえませんか?」
わたしが窓の外を指し示すと、むーちゃんも窓の外にいるスピネルに気が付いたようで楽しそうな声が上がる。
「あ、スピネルだ! こんな時間から何してるんだろうね?」
「それを確認してきて欲しいのです。行って来てくれるならこれをあげますよ」
わたしはテーブルの上に置かれていた瓶から宝石飴を一つ取り出す。これを食べればわたし以外の者にもむーちゃんの声が聞こえるようになるし、むーちゃんへのご褒美にもなる。一石二鳥というわけだ。
宝石飴を目にしたむーちゃんは昨日と同じように目をキラキラと輝かせる。
「わあい、宝石飴だ!! ちゃんと行くから食べさせて~!」
「良いですよ」
「やった~! あ~ん」
口を大きく開けたむーちゃんの口に宝石飴を放り込むと、むーちゃんは喜びを表現するよう静かに飛び回る。
「やっぱり美味しい~!」
「それでは行ってらっしゃい、むーちゃん。スピネルによろしくお願いしますね」
「行ってきまーす!」
わたしが窓を開けると、窓から飛び出したむーちゃんは元気いっぱいに空中を駆けて行く。スピネルの元へ辿り着いたむーちゃんは、軽く頭を撫でられた後わたしの元へと戻って来た。
「ただいま!」
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「今は剣の訓練をしてるんだって! 良ければクリスも来ないかって言ってたよ!」
「そうですね……それなら一緒に行きましょうか。今までスピネルの訓練を近くで見る機会はありませんでしたからね」
「わあい! いこいこ!」
あまり一人で動き回るのは良くないかと思っていたが、スピネルが許可してくれたなら話は早い。むーちゃんを連れて早速向かうとしよう。テーブルにセレスタお姉様へ宛てた書き置きを残し、素早く制服へ着替えるとわたし達は寮の前庭に向けて歩き出した。
わたし達が前庭に辿り着いた時、スピネルは近くの椅子に座って飲み物を飲んでいるところだった。どうやら訓練を一旦止めて休憩している最中のようだ。
わたしが近づくとスピネルもこちらに気が付いたようで、ひらひらと軽く手を振ってくれた。
「おはよう、クリス。それにむーちゃんも」
「スピネル! クリスを連れてきたよ!!」
声をかけられたむーちゃんはスピネルの元へと飛んでいくと、スピネルにわたしを連れてきたことを報告する。それを聞いたスピネルは嬉しそうに微笑み、むーちゃんの頭をぐりぐりと撫で回す。
「はは、良くやったぞ。むーちゃん」
「もっと褒めて~!」
頭を撫でられたむーちゃんは嬉しそうに、短い尻尾をぴこぴこと振っている。むーちゃんとスピネルは楽しそうで何よりだが、わたしはまだスピネルに挨拶出来ていない。
わたしは自分の存在を主張するよう、気持ち大きな声でスピネルに挨拶をする。
「おはようございます、スピネル!」
「ああ。おはよう、クリス。声はかけたが来てくれるとは思わなかったぞ」
「スピネルの訓練を近くで見たかったので、来てしまいました!」
挨拶を終えたわたしはスピネルの隣に腰掛けると、そのまましばらく会話を楽しむことにした。
「スピネルはいつもこんなに早くから訓練をしているのですか?」
「いつもってわけじゃないけどな。クリスも今日は随分と早起きじゃないか」
「今日は調子が良かったのです! 昨日たくさん歩いたおかげかもしれません!」
わたしが胸を張ってそう言うと、スピネルは楽しそうに笑顔を浮かべる。
「それなら普段から訓練すればクリスももっと元気になるかもな」
「それはいい考えですね! 今度スピネルに稽古をつけてもらいましょうか?」
「ああ、気が向いたらな」
スピネルはそう言うとわたしの頭を軽く撫でてから席を立つ。どうやら休憩は終わりにして訓練を再開するようだ。傍らに置かれていた剣を手に取ったスピネルを見て、わたしは先ほど思いついたことを質問してみることにした。
「そう言えばスピネルが剣を使うのは珍しいですよね?」
「ああ……クリスの護衛をしてる時は基本的に手甲だからな。訓練の時は他の武器も普通に使うぞ。ウィルと訓練する時はいつも剣だしな」
「そうだったんですね!」
わたしが知らなかっただけでスピネルは他の武器も扱えたようだ。確かにスピネルの父親はエデルシュタインの騎士団長を務めているので、スピネルが様々な武器の訓練をしていてもおかしくはない。
「それに大魔法祭では武術大会もあるだろう? そのために少し剣の訓練もしたかったんだ」
「スピネルは武術大会に参加するのですか!?」
「ああ。少し前まではどうしようか悩んでいたんだが、折角だから出てみることにした」
大魔法祭で武術大会が行われることは知っていたが、どうやらスピネルも参加するようだ。しかし、そうなると気になることがある。わたしはスピネルの方を向いて恐る恐る尋ねた。
「ちなみにですけど……その大会にはカーネリアお姉様も参加するのでしょうか?」
「……するだろうな」
カーネリアお姉様の名前を聞いた途端、スピネルは苦い物を食べた時のように顔を歪める。カーネリアお姉様は昨年の武術大会でも優勝したらしい。つまり今、カーネリアお姉様がこの学園で最も強い学生ということだ。今年だけ参加しないということもないだろう。
「それでも俺は挑戦してみたい。今の俺がどこまで戦えるのか確かめたいんだ」
「スピネル……」
スピネルはそう言って手に持った剣を軽く振るう。その姿に迷いはなく、むしろ強い相手と戦えることを楽しみにしているようだった。
「それじゃあもう少し訓練するから待っていてくれ」
「分かりました! 応援していますね、スピネル!!」
それからはスピネルの掛け声と剣が空気を裂く音を聞きながら、のんびりとした朝を過ごした。何もしていないのも時間がもったいないので、わたしも手の上で小さな魔法の人形を作り出し、魔力制御の練習をしながらスピネルの訓練を見守る。
「ふっ! はっ! せいっ!」
スピネルの剣技はまだカーネリアお姉様には及ばないが、かなりの訓練を積み重ねたことが見て取れる。真面目なスピネルらしい剣技で、見ているだけでもとても楽しい。
「これで……終わりだ!」
最後に一度力を込めて剣を振るうと、スピネルは地面に座り込む。わたしは椅子から立ち上がり、スピネルに手拭いと飲み物を渡した。
「お疲れ様です、スピネル!!」
「ああ、ありがとう。クリス」
わたしに礼を伝えた後、スピネルは軽く汗を拭い飲み物をぐっと喉に流し込む。しかし、近くで見てもあまりスピネルは汗をかいていないようだ。
「あれ? もしかしてあまり疲れていませんか?」
「まあ俺には『肉体活性』があるから他の人よりは疲れにくいかもな」
スピネルの固有魔法『肉体活性』はわたしの授かった『精神活性』と似た性質を持った魔法である。魔力を流すほどに体力や筋力を強化できる魔法なので、それも合わせて訓練していたのだろう。
「とうとう使いこなせるようになったのですね! おめでとうございます!!」
わたしが両手を合わせて喜びの声を上げると、スピネルは少し照れ臭そうに頬を掻く。
「いつまでもクリスを守れないままなのは嫌だからな。出来るだけいつも発動するようにしているんだ」
「そうだったのですね……いつもわたしのためにありがとうございます! スピネル!」
しかし、そうなるとスピネルは普段から訓練ばかりで休まる時間がなかったのではないか、少しは休みを与えた方が良いのではないか。
「クリス」
「わあ!」
そんな風に考えているとスピネルにおでこを軽く突かれる。わたしが慌ててスピネルの方を見ると、彼は優しい微笑みを浮かべていた。
「俺のことは気にしなくて良いから、そんなに難しい顔しないでくれ」
「……でもわたしの護衛をしているせいで、スピネルは自由に活動出来ないのではありませんか?」
「そんなことはない。クリスと一緒にいるのは楽しいし、訓練も俺が好きでやっていることだ。だからクリスはもっと笑顔でいてくれればいいんだ」
そう言ってスピネルはわたしの頭をぐりぐりと撫で回す。頭を押さえつけられているせいでスピネルの表情は見えなかったが、彼の温かい手を感じることが出来てとても心地良かった。
その後、スピネルは剣や手拭い、水筒を片付けるとわたしに声をかけてきた。
「俺はそろそろ戻るけどクリスはどうするんだ?」
朝食まではもう少し時間はあるのでここでむーちゃんとのんびりしていても良いのだが、スピネルが戻るなら一緒にわたしも寮へ戻るとしよう。
「わたしも一緒に戻ります! お姉様にも言わずに来てしまったので!」
「それは……大丈夫なのか?」
「一応書き置きはしてきたので大丈夫だと思いますよ!」
「クリスの大丈夫はあまり信用出来ないんだよな……」
わたしは問題ないと思っていたのだが、スピネルは少し不安そうだ。スピネルの不安も分からなくはないので、わたしも手早く準備をするとスピネルと一緒に寮へ向かって歩き出す。歩きながら雑談をしていると話題は大魔法祭のことになる。
「スピネルは大魔法祭で出し物以外に何か予定はありますか?」
「そうだな……今のところは妹の案内やクリスと一緒に回ろうと思っているぞ。後はさっきも言ったが武術大会だな」
スピネルが指折り数えて大魔法祭の予定を確認しているが、その中に聞き捨てならない言葉が紛れ込んでいることに気が付く。
「ええ!? スピネルの妹が大魔法祭に来るのですか!?」
わたしはきょうだいがたくさんいるが妹や弟はいない。スピネルも年の近い兄のようなものなので、ずっと妹がいたら嬉しいと思っていたのだ。スピネルの妹が来るという話を聞いてわたしが笑顔を浮かべると、スピネルは少し困ったように笑う。
「ああ、妹も学園に通う予定だからな。入学前に色々と見ておきたいんだとさ」
「それならわたしも頑張らないといけませんね!! スピネルの妹はわたしの妹も同然ですから!」
「全然違うだろ……まあ二人が仲良くしてくれたら俺も嬉しいよ」
わたしがまだ見ぬスピネルの妹をどのように可愛がるか考えていると、隣を歩くスピネルは苦い笑みを浮かべている。
その後、今日の朝食は何だろうかと話しながら寮に戻ると、セレスタお姉様とエメラルお兄様が階段の近くで話していることに気が付く。
「あ、お姉様達がいますよ! 何かあったのでしょうか?」
「さあな。偶然会って話してるだけじゃないか? とりあえず挨拶していこう」
わたしとスピネルが顔を見合わせてから二人に近づこうとすると、慌てた様子のエメラルお兄様がわたし達を見て驚いた表情を浮かべている。
「クリス! 姉さん、クリスがいたよ!」
「え? え? どうしました? エメラルお兄様!?」
状況が全く分からずわたしがおろおろしていると、顔色の悪いセレスタお姉様が驚いた顔で駆け寄ってくる。その勢いのままわたしを抱きしめるとセレスタお姉様は嬉しそうな声を上げた。
「ああ、クリス! 無事で良かったですわ!!」
「セレスタお姉様、どうしたのですか!? 苦しいです……」
「どうかしたではありませんわ! 朝起きたらクリスが部屋にいなくて……本当に心配しましたのよ!」
どうやらわたしが外に出たせいでセレスタお姉様にも心配をかけてしまったようだ。わたしがそのことについて弁明しようとしていると、隣を歩いていたスピネルが一歩前に出て口を開いた。
「申し訳ありません、セレスタ殿下。私がクリスを連れ出しました」
「そうでしたのね……!」
セレスタお姉様はそう言うとわたしから離れて、スピネルの方を睨みつける。何だかスピネルが怒られてしまいそうな雰囲気だったので、わたしは二人の間に素早く割り込みセレスタお姉様に向けて口を開く。
「ま、待ってください、セレスタお姉様! わたしが自分からスピネルの元へ行ったのです! スピネルを怒らないであげてください!」
「そう、でしたのね……」
それを聞いたセレスタお姉様は寂しそうな表情でそれだけ言うと、くるりと踵を返して階段を上っていってしまった。
「一体何だったのでしょうか……?」
「さあ……?」
わたしとスピネルは顔を見合わせて互いに首を傾げる。何が起こったのか分からないまま終わってしまったので、わたし達は事情を知っていそうなエメラルお兄様に詳しい話を聞くことにした。
「エメラルお兄様。セレスタお姉様はどうしたのでしょうか?」
「朝起きたらクリスがいなかったから探しに行こうとしてたみたいだよ。それでさっき僕にもお願いしてきたんだ」
「そうだったのですね……」
「何だか姉さんの顔色が真っ青だったから僕も心配になって……これから探しに行くところだったんだ」
言われてみればエメラルお兄様は空を飛ぶための大きな杖を持っている。わたし一人のせいで事が大きくなってしまったようで申し訳ない。
しかし、セレスタお姉様は書き置きにも気が付かなかったのだろうか。顔色も随分と悪かったようなので、もしかしたら何か理由があるのかもしれない。
「分かりました! 次からは気を付けますね!」
「うん、そうして。姉さんにも悪気があったわけじゃないから許してあげてね」
「もちろんです! それでは部屋に戻って、少しお姉様とお話ししてきますね!」
わたしはセレスタお姉様が心配になって来たので、エメラルお兄様とスピネルに別れを告げて階段を上っていく。
「セレスタお姉様? 大丈夫ですか?」
「あら、クリス。先ほどは失礼いたしました」
わたしが部屋の扉を開けるとセレスタお姉様は窓辺のテーブルの上に置かれた書き置きを見ているところだった。どうやら部屋に戻った後でわたしの残した書き置きに気が付いたようだ。
セレスタお姉様は浮かない顔でわたしに微笑みかける。
「クリスはしっかりと書き置きを残していたのに、わたくしが気付かずに話を大きくしてしまいましたわね……」
「いえ、それは構わないのですが……一体何故そのようなことになったのでしょうか? 普段のお姉様なら見落としたりしませんよね?」
わたしが疑問に思っていたのはまさにそのことだったのだ。いくら寝起きとは言えセレスタお姉様がここまで慌てた様子をわたしは見たことがなかった。その質問に対して、セレスタお姉様は少し悲しそうな顔で理由を説明してくれた。
「……夢を見たんですの。クリスが遠くに行ってしまう悲しい夢でしたわ。それで少し取り乱してしまったんですの」
「そうだったんですね……」
わたしも病弱だった頃、怖い夢を見てはお母様に泣きついていたので、セレスタお姉様の気持ちが良く分かる。その度にお母様はわたしの頭を撫でて慰めてくれたものだ。
そのことを思い出したわたしはセレスタお姉様に近づくと、ぎゅっとお姉様の体を抱きしめる。
「大丈夫ですよ、セレスタお姉様。わたしはここにいます」
「クリス……」
本当はお母様がしてくれたように頭を撫でてあげたかったのだが、わたしの身長ではお姉様の頭には手が届かないので仕方ない。
しばらくの間じっとしていたセレスタお姉様だったが、気分が落ち着いたのか微笑みながらわたしの頭を優しく撫でてくれた。
「ええ、そうですわね。ありがとう、クリス」
そう言ってセレスタお姉様はわたしから離れると楽しそうに笑顔を浮かべる。それはいつものように優しい笑顔だった。
「それにクリスには頼りになる護衛もいますものね」
「はい! なので安心してください、セレスタお姉様!!」
今はスピネルやむーちゃんが護衛をしてくれて、アレキサンダーお兄様の作った『魔封じの腕輪』もあるので、セレスタお姉様が心配するようなことはそうそう起こらないだろう。
わたしが胸を張ってそう伝えると、セレスタお姉様は一度大きく息を吸ってニコリと微笑みを浮かべる。
「そろそろ朝食の時間ですわね。一緒に参りませんこと? クリス」
「はい! セレスタお姉様!!」
わたしは元気になったセレスタお姉様と手を繋いで食堂へと降りて行った。




