19.OL、飛びたい
テールに出会ったあの日から早くも半年以上が過ぎ、私が前世を思い出してから1年半が過ぎた。
テールは、以前出会ったヴェントと同じく、普段は魔王城とは離れた場所にある砦にいるらしく、あの数日後に魔王城を去ってしまった。
彼が城に滞在している間は、彼と一緒に城下町の子供たちに会いに行ったり、私の鍛錬に付き合ってもらったりしていたため、テールが城を離れる時は寂しくなるなぁ感じてしまった。
それからも毎日、無理をし過ぎない範囲でアルベールやヴァーノンとの鍛錬を続けていた。
私は現在7歳だが、もうすぐ8歳になる。
小説通りに進めば、私が魔王になるのは15歳だ。
タイムリミットは刻一刻と迫ってきている。
地道に鍛錬を続けているため、なんとか中級魔法も少しは扱えるようになってきた。
そのほとんどは闇属性の魔法だし、5属性の扱いはやっぱり難しく、5属性の純粋な中級魔法はいまだに発動できない。
5属性で中級レベルの魔法を発動しようと思うと、闇属性で保管しないと中級レベルにはならない。
なので、最近は5属性の何か+闇属性という構成のオリジナル魔法を生み出すことがマイブームだ。
ちなみに5属性同士の複合はまだ上手くできない。
そして、そんな私の今日の目標は……
「98、99、…っ、100!」
鍛錬をする上でウォーミングアップとして毎日行なっている筋トレメニューをやりきった私は、少し荒くなった呼吸を整える。
「ふぅ……、よし!アル!今日は飛ぶ!」
「飛ぶ……?」
普段であれば、これからアルベールと剣を交えるところだが、私の今日の目標は飛べるようになることだった。
基本的に魔王城にいるか、出かけたとしても城下町までしか行かないためつい後回しにしていたが、魔族たるもの飛べないことは恥でしかない。
背中にはこんなにも立派な羽が生えていると言うのに、私はこれまで一度もこれを活用したことがないのだ。
「そう!空を飛ぶの!」
私はそう言いながら、背中の翼をバサリと開いて見せた。
前世ではなかったものではあるが、今は私の体の一部としてしっかりくっついていて、その羽の根元には骨もあるし筋肉も付いているし神経も走っている。
前世の感覚から言うと不思議以外の何者でもないが、この黒い翼は私の意思で動く。
「だから、飛び方を教えて?」
「かしこまりました。微力ながらお力添えをさせていただきます。」
私の申し出は意外にもあっさり受け入れられた。
てっきり剣を教えて欲しいと言った時のように不満そうな顔をされるかと思っていたのだが。
それほど魔族にとっての飛行は当たり前のことなのだろう。
「とりあえず下に向けて羽を動かせばいいの?」
そう言いながら、私は広げていた羽を直立したままなるべく地面と水平にして上下に動かしてみる。
普段折りたたんでいる翼は、思い切り広げると私の身長よりも大きい。
こう、イメージ的には羽を羽ばたかせて下方向に風を送ると飛べそうなんだけど。
そんな私に、アルベールは首を横に振った。
「いえ、純粋な飛翔であれば前に進む力を利用しますので、ただ闇雲に翼を上下に動かして地面の方に向けて空気を送るのでは飛ぶことはできません。あくまで飛翔は、前に進むためのものです。」
そう言うとアルベールは大きな翼を広げ、その綺麗なシルバーアッシュの翼をゆっくりと羽ばたかせその場で少しだけ浮遊して見せた。
魔法の術名の詠唱こそなかったが、微かに魔力を感じる。
「ですので、もしこのように勢いを付けずに飛び立ったり、空中の同じ場所に留まり続けたりするためには、それに必要な風の流れを魔法で作り続ける必要があります。」
そう言ったアルベールは、確かに前に進むでも、もっと上空に行くでもなく、ゆっくりと翼を羽ばたかせながら同じ場所に浮き続けている。
「まずは純粋な飛行から風の流れと風に合わせた羽ばたき方の感覚を覚えることが先決です。理想的な風の流れを魔法で再現できるようにならなくてはいけません。」
どうやら、今回も私が思っていたよりも簡単ではないらしい。
「リゼット様、そんなに根元から大きく動かす必要はございません。翼の先の方を動かしてください。」
「うううぅ〜〜〜〜〜ん……」
飛べない。
あれからいつもの鍛錬場を後にし、魔王城を出て近くの開けた場所でしばらく飛ぶ練習をしていたが、うまく飛べない。
魔法を使わずに飛ぶなら前に進む力が必要らしく、初めは助走をつけた方がいいとアルベールが言うので、ひたすら走っては翼を羽ばたかせてジャンプするというサイクルを繰り返しているが、うまく飛び立つことができない。
「アル、」
助走をつけて思い切り地面を蹴った瞬間に、飛べそうな感覚は掴めてきたのだが、その先に進めない私にはその理由に一つの心当たりがあった。
「はい。」
「一緒に飛んで?」
こわいのだ。
走った勢いのまま空中に飛び出して、その先は?
うまく上昇していくことがてきるのか?
顔面から地面にぶつかるのではないか?
もし上昇することができたとして、うまく着地することができるのか?
気を抜いたら真っ逆さまに落ちるのではないか?
あまりの高さに恐怖に負けるのではないか、と。
自慢じゃないが、私は高いところがあまり得意ではない。
確かに空を自由に飛ぶことには憧れるしワクワクもする。
しかし、私の中には高いところは危ないということが常識として染み付いている。
前世の記憶が邪魔をしてしまうのだ。
「はい。元よりそのつもりです。」
アルベールのその言葉に、少しホッとする。
「万が一があった際には必ずお助けいたします。」
アルベールは、私の不安を汲み取ったかのようにそう言葉を続けた。
その言葉で、私が先ほどまで感じていた不安は、驚くほど息を潜めた。
前世を思い出してから、いやそれ以前も含めて、アルベールはいつも私の側にいて私を守ってくれる。
リゼットとして生を受けてから誰よりも多くの時間を共に過ごしてくれている彼への信頼は、自分が思っていた以上に大きなものだったらしい。
アルベールが助けてくれる。
そう思っただけで恐怖が消えた。
「ありがとう、アル!」
「リゼット様をお守りするのは当然のことです。私に礼など過ぎたものです。」
まぁ彼がそれほどまで私を思ってくれるのも、私がリゼットだからなんだろうけど。
一瞬胸の奥がズキンと痛んだような気がしたが、私は気付かないふりをする。
変なことを考えそうになり、私は頭を思い切り振った。
「よし!なんか飛べる気がする!」
アルベールのおかげで不安は消えた。
本当は手を繋いでいてほしいが、私が両手を広げるよりも背中にある翼は大きい。
それはアルベールも同じで、その大きな翼を羽ばたかせながら、手を繋いで横に並んで飛ぶなんてことは不可能なのだ。
私は気合を入れるため、一度深呼吸をする。
ちらりとアルベールに視線を投げると、彼はいつもの無表情で静かに頷いてみせた。
それを確認した私は、にこりと笑って前を向き直す。
いくぞ!
そう意気込んで、その場から駆け出した。
ぐんぐんと速度を上げながら、加速によって得た風に合わせて翼を羽ばたかせる。
十分に加速したところで、思い切り地面を蹴り、羽ばたく速度を上げた。
ふわりと内臓が浮く感覚に、思わず怯みそうになるが、なんとか翼を羽ばたかせ続ける。
そうして飛び上がることには成功したものの、
「ま、むり!わわっ……!」
飛行が安定しない。
羽を振り上げた時に高度が下がってしまい、なかなか上手く上昇することができない。
加えて、左右の力加減が違うのか、右に傾いたり左に傾いたりしてしまい、バサバサと乱暴に羽を動かしてしまう。
現在の高度は木に登った程度の高さだ。
側から見たら溺れているかのようにバサバサと踠きながら低空飛行している私は、酷く滑稽なことだろう。
しかし今の私にそんなことを気にしている余裕はない。
「リゼット様、落ち着いてください。羽を振り上げる時は羽根の角度を意識しながら、風に上手く乗せてください。」
私のすぐ側で並走飛行しているアルベールがそう言った。
「それっどころじゃ……っ!」
右に傾き慌てて右翼をバサバサと羽ばたかせる。
そうすると今度は左に傾き慌てて左翼をバサバサと羽ばたかせる。
そんな、悪循環の繰り返しだ。
「や、待って!攣る!攣りそう!右!むり!右!」
「リゼット様!」
前世で何度も感じたあの感覚が右翼に走り、ガクンと大きく右に傾いた。
左翼を必死に動かしてみたが飛べるわけもなく、文字通り飛んできたアルベールが、落ちそうになった私を下から掬い上げるように抱き抱えた。
いたたたたたたたた!
翼って攣るんだ!
そうだよね!
今まで使ったことなかったのにいきなりこれだけ動かしたら攣るよね!!!
私はアルベールの腕の中で痛みに悶える。
「大丈夫ですか、リゼット様。」
「大丈夫じゃないぃ……」
向き合う形で私を抱きしめたまま、アルベールは優雅に飛んでいる。
私は右翼がピーンとしたまま激痛に耐える。
アルベールの胸元に埋めた目に涙が滲む。
「すぐに救護班をお呼びいたします。」
「いやいやいや!待って!いらない!」
恥ずかしすぎるでしょうが!
「しかし……」
「攣っただけだから!すぐ治るよ!大丈夫!」
たった今、大丈夫じゃないと言ったのはどこの誰だったか。
「ですが……とにかく今日はもう止めに致しましょう。」
「賛成……。」
下手したら明日は翼が筋肉痛かもしれない……。
恥ずかしすぎる……。
今日はこれ以上翼を酷使するのは止めにして、また明日練習しよう……。
私の答えを聞いたアルベールは、私を抱きしめたまま飛んできた道を引き返した。
私が飛んでいたよりも高いところを飛んでいるようだったが、何如せん私の目の前にはアルベールの胸筋しかない。
先程はあまり高くないところを飛んでいたとはいえ、落ちそうになったときの恐怖を思い出し、必死にアルベールに抱きついていた。
その夜、夕食の場で笑い話としてこの出来事を話すと、笑い話どころか本気でみんなに心配され、マティスにより手配されたマッサージのエキスパートを魔王城に呼び出し、寝る前に翼をマッサージしてもらった。
すごく気持ち良かったです。
なんだかんだいってこの環境に甘えてしまう自分を少し情けなく思った。




