「九尾の狐、進む」
レイジがパヌを置き去りに、No.6を抱えて走りしばらくすると無数の真っ赤な鳥居に行き当たった。幾重にも重ねられていて鳥居だけで一つの道を作っているように見える。
この鳥居はサンタ・マリアの街の入り口にも立っていたものだ。やがて自分の足元はぬかるみとなり、走るたびに地は水しぶきを上げていく。
異様な光景を棚に上げレイジはただ傷ついたNo.6を救おうと足を走らせていく。呪いのように見えるNo.6の傷口はレイジのことまで侵食してしまいそうに禍々しく、広がることを止めない。
——でもあなただって何をしていいかわからないんだからいいぢゃない。歩いていればどこかへ繋がるし、この街には自分の行きたい場所へ繋がる路地があるって聞いたの。
この鳥居はきっとその行きたい場所へつながるという路地のことだ…
鳥居をいくつもくぐり抜けながらNo.6の体がどんどん熱を帯びていくことに焦る。火傷のようにジジジと音を立て彼女の体はそこから発せられる黒い靄に覆われていった。
「真理の影… 真理の影… 壊れた車… 箪笥女… 透明人間… 真理の影…」
朦朧とする意識の中しきりにNo.6はつぶやくのである。
「あ!? 何だって!?」
「ここはシュルレアリストの国。現実を、もっと現実らしく生きようとする人々の集まり…三途の川が真理と現実の間に置かれる世界だとすると、ここは真理の置かれる奥の奥の世界… レイジさん私分かった、この世界のことが…」
水霊との戦闘の後No.6が起き上がり言っていたうわ言をレイジもこれで思い出す。夢の中で見て、No.6は心の隅っこで影の王との邂逅を予想していたのである。
そう気付いた時、レイジらの周りの風景は森の中に変わっていた。どうにかしてサンタ・マリアの街を抜け出し、パヌの言葉が真だったのならば求める場所へとやってきたのだ。
レイジは歩みを緩めて周りを見渡してみた。
目の前に綺麗な水色の泉が広がり、その中の小島の間には子供の遊具のような枝が渡されている。そこに生える木は泉に根を置き天高くそびえ立っている。
その木の枝を渡る物陰が見えてレイジは少し身構えた。物陰は素早くいろいろな木の枝に写っては飛び、無邪気な子供が遊んでいるかのように飛び回る。泉の真ん中の小島へ立ってその様子を伺おうとゆっくり歩を進めていく。
泉の中の水は冷たい。石畳が底にあって尚更レイジの足は張り裂けるように冷たくなる。
サンタマリアの街と同じように、これだけ美し場所に根付いていていいはずの生命の声は全く聞こえない。
ここは世界から隔絶された場所で、誰かが戯れに作った庭園のようだ。
突然現世の村で聞いた音を思わせる鈴の音が響いた。シャラン、リン、と。
物陰の正体、その気配が背後に来たことを感じレイジは後ろを向く。誰も見えなかったが泉に一つの波紋が立っている。
何度か鈴の音が続き、気配の方へ顔を回したが一向に物陰の正体は見当たらない。ただただ、泉に小さな波紋が、無数に広がっていくばかりだ。
やがて波紋は広がり泉を満たす。それは大きな一つの波紋となって水面を揺らし、泉は強い風が吹いたようになる。
その波紋が広がるにつれて湖の透明度は無限に増していった。
「影の王の一撃…」
レイジの肩に誰かの両の手が優しく回されており、それに驚いて抱えたNo.6共々飛びのいてしまった。彼は深い水の底へ沈んでいってしまう。どこに底があるのか分からない…
すぐにNo.6の傷口は大丈夫かと確認するがそれは不思議なまでにみるみる癒えていくのであった。火傷のようだった傷口は鎮火するように消え、身体中に奇妙な痣が残るだけとなった。
やがてまた同じように優しい手が伸びてきてレイジたちを水中から引き上げた。
水面の上に出て息を吸い込むと目の前に一人の人間が立つ。肌は人間のようであったがあたまにちょこんとついた一対の耳。臀部には尻尾が見える。
身体中にある金色の毛にはところどころ水滴が付いていて、水滴はこの森の明かりを吸い込み乱反射させる。黄金の毛皮をまとった狐の女。
幻獣や森の守り神が如く水の上に平然と立っている。その足元からは波紋が立ち続け、泉の水を浄化していく。
「あんた…」
「うむ。世界の根源、月の姫、九尾の狐。世界の秘密とは妾のことよ。」
九尾の狐はずっと無愛想な顔をしている。
「あんたに聞けばこの娘の傷が癒せるって聞いてきた。」
「影の王の一撃な… いや、それは無理だ。妾はたった今神秘性を失った、主に見られてしまったからだ。」
「じゃあどうすれば!?」
「何でもいい、聞け。この世界のことを答えてやる。」
——ここはどこだ? サンタ・マリアの街って?
人の怨念を癒す場。全ての者がここを通って黄泉へ行くが、影の王含め諸々の者は怨念が強すぎるがためにここへ残っておる。
——影の王って?
影の王ガンダールヴ、またの名を真理の影。この世の救世主であったが人に殺され、その憎しみを晴らそうと眠っていたもの。お前の心に呼応し今しがた目覚め現世へ向かっていった。
——あんたは? どうして僕の前に姿を見せる?
九尾の狐、言った通りこの世界の根源。全ての憎しみを浄化し導くものだ、またの名を「死」という。死は確認できないから神秘であり人を救う。しかし死である妾にも意思がある、救世主の最期より人を導く使命を全うしてきたが救世主の怨念が目覚めた今。動き出さねばならない、だから姿を見せた。
「その娘にかけられた呪いを解きたくば真理の影を愛で消し去ってみせよ。その呪いは真理の影が現世へ顕現するための媒体となっておる… ガンダールヴの怨念をお前が拭いさるのだ。」
「おいおい、わけわからんぞ… 結局何をすればいい!?」
「ねだるでない、死に向き合って戦うのだ。簡単な話、お前は妾と共に現世へ戻り真理の影を打ち破るのだ。奴は今に世界を滅ぼそうとしている。
悲しい魂よ… いや、魂はすべて悲しい、わかるか少年。悩みこそこの宇宙の遠心力だからだ。いつか、百年後でも一億年後でも、別の銀河系に生きるほど遠い魂を迎えに行ってやらねばならない。魂は特別でない、しかし全てお前に絡まり離れないものだ。全て回収すればいずれお前も役目を終え… 滅びる。滅びて落ち着くことができる。」
その時九尾の狐より伸ばされた手をレイジは無為に取った。
「僕に死ねって言うのか…?」
「いや、主はもう妾に出会って死んだよ。だからこそ真理の影を打ち破ることができるかもしれない。」
「6番は…?」
「少しここで休ませる。現世へ戻れば真理の影によって刻まれた傷は大きくなるだろう。」
「あんたに従えばいいのか?」
「いずれ来る時までな。」
何かまだ言いたそうな顔をする九尾の狐であったが、レイジにはどう会話を続けていいのかわからなかった。
No.6を湖の中に入れたまま完全な狐の姿へと変化した九尾の狐にまたがり、レイジはこの森の中を抜けていった。
やがて光が見えてそこを抜けると、レイジがいつも見ていた現世の世界が広がっていた。




